帝室論

帝室論緒言
我日本の政治に関して至大至重のものは帝室の外にあるべからずと雖(いえど)も、世の政談家にして之(これ)を論ずる者甚(はなは)だ稀(まれ)なり。蓋(けだ)し帝室の性質を知らざるが故ならん。過般諸新聞紙に主権論なるものあり。稍(や)や帝室に関するが如(ごと)しと雖も、その論者の一方は百千年来陳腐なる儒流皇学流の筆法を反覆開陳するのみにして、恰(あたか)も一宗旨の私論に似たり。
固(もと)より開明の耳に徹するに足らず。又一方は直に之を攻撃せんとして何か憚(はばか)る所あるか、又は心に解せざる所あるか、その立論常に分明ならずして文字の外に疑を遺(のこ)し、人をして迷惑せしむる者少なからず。畢竟(ひつきよう)論者の怯懦不明と云うべきのみ。福澤先生茲(ここ)に感ありて帝室論を述らる。中上川先生之を筆記して通計十二篇を成し、過日来之を時事新報社説欄内に登録したるが、大方の君子高評を賜わらんとて、近日に至る迄続々第一篇以来の所望ありと雖ども、新報既(すで)に欠号して折角の需(もとめ)に応ずること能(あた)わず。今依(より)て全十二篇を一冊に再刊し、同好の士に頒(わか)つと云。 明治十五年五月 編 者 識

福澤諭吉 立案
中上川彦次郎 筆記

帝室は政治社外のものなり。苟も(いやしく)日本国に居て政治を談じ政治に関する者は、その主義に於(おい)て帝室の尊厳とその神聖とを濫用すべからずとの事は、我輩の持論にして、之(これ)を古来の史乗(しじよう)に徴するに、日本国の人民がこの尊厳神聖を用いて直に日本の人民に敵したることなく、又日本の人民が結合して直に帝室に敵したることもなし。
往古の事は姑(しばら)く擱(さしお)き、鎌倉以来、世に乱臣賊子と称する者ありと雖(いえ)ども、その乱賊は帝室に対するの乱賊に非(あら)ずして、北条、足利の如(ごと)き最も乱賊視せらるゝ者なりと雖ども、尚且(なおかつ)大義名分をば蔑如(べつじよ)するを得ず。左(さ)ればこの乱臣賊子の名は、日本人民の中にて各(おのおの)主義を異にし、帝室を奉ずるの法は斯(かく)の如くすべし、斯の如くすべからずとて、互(たがい)にその遵奉(じゆんぽう)の方法を争い、天下の輿論(よろん)に乱賊視せらるゝ者は乱臣賊子と為(な)り、忠義視せらるゝ者は忠臣義士たるのみ。我輩固(もと)よりこの乱臣賊子の罪を免(ゆる)すに非ず、之を悪(にく)み之を責めて止(や)まずと雖ども、這(こ)は唯(ただ)我々臣子の分に於て然(しか)るのみ。遥(はるか)に高き帝室より降臨すれば、乱賊も亦是(またこ)れ等しく日本国内の臣子にして、天覆地載の仁に軽重厚薄あるべからず。
或(あるい)は一時一部の人民が方向に迷うて針路を誤ることあるも、一時これを叱るに過ぎず。そのこれを叱るや、父母が子供の喧嘩して騒々しきを叱るに等しく、之を悪むに非ず、唯これを制するのみにして、僅(わずか)にその一時を過れば又これを問わず。依然たる日本国民にして、帝室の臣子なり。例えば近く維新の時に当て官軍に抗したる者あり。その時には恰(あたか)も帝室に抗したるが如くに見えたれども、その真実に於ては決して然らざるが故に、事収るの後は之を赦(ゆる)すのみならず、又随(したがつ)て之を撫育(ぶいく)し給うに非ずや。彼の東京の上野に戦死したる彰義隊の如き、一時の姿は乱賊の如くなりしかども、今日帝室より之を見れば、十五年前、我国政治上の葛藤よりして、人民共が戦争の事に及び、双方に立分れて鋒を争いしが、双方共に勇々しき有様なりし、我日本には勇士多き事なる哉(かな)、今にして之を想えば死者は憐むべしとて、一度(ひとた)びは勇士の多きを悦(よろこ)び、一度びはその勇士の死亡したるを憐み給(たま)うことならんのみ。

右の如く、我日本国に於ては、古来今に至るまで真実の乱臣賊子なし。今後千万年も是れあるべからず。或は今日にても、狂愚者にしてその言、往々乗輿(じようよ)に触るゝ者ある由(よし)、伝聞したれども、是れとても真に賊心ある者とは思われず。百千年来絶て無きものが、今日頓(とみ)に出現するも甚(はなは)だ不審なり。若(も)しも必ず是れありとせば、その者は必ず瘋癲(ふうてん)ならん。瘋癲なれば之れを刑に処するに足らず。一種の檻(り)に幽閉して可ならんのみ。
去年十月国会開設の命ありしより、世上にも政党を結合する者多く、何(いず)れにも我日本の政治は立憲国会政党の風に一変することならん。この時節に当て我輩の最も憂慮する所のものは唯(ただ)帝室に在り。抑(そもそ)も政党なるものは、各自に主義を異にして、自由改進と云(い)い、保守々旧と称して、互(たがい)に論鋒を争うと雖(いえ)ども、結局政権の受授を争うて、己れ自(みず)から権柄(けんぺい)を執らんとする者に過ぎず。その争に腕力兵器をこそ用いざれども、事実の情況は、源氏と平家と争い、関東と大阪と相戦うが如(ごと)くにして、左党右党相対し、左党に投票の多数を得て一朝に政権を掌握するは、関東の徳川氏が関原の一捷(いつしよう)を以(もつ)て政権を得たるものに異ならず。政党の争も随分劇(はげ)しきものと知るべし。この争論囂々(ごうごう)の際に当て、帝室が左を助るか、又は右を庇護(ひご)する等の事もあらば、熱中煩悶(はんもん)の政党は、一方の得意なる程に一方の不平を増し、その不平の極は帝室を怨望(えんぼう)する者あるに至るべし。その趣は(おもむき)、無辜(むこ)の子供等が家内に喧嘩する処へ、父母がその一方に左袒(さたん)するに異ならず。

誠に得策に非(あら)ざるなり。加之(しかのみならず)政党の進退は十数年を待たず、大抵(たいてい)三、五年を以て新陳(しんちん)交代すべきものなれば、その交代毎(ごと)に一方の政党が帝室に向い又これに背くが如きあらば、帝室は恰(あたか)も政治社会の塵埃(じんあい)中に陥りて、その無上の尊厳を害して、その無比の神聖を損するなきを期すべからず。国の為(ため)に憂慮すべきの大なるものなり。世に皇学者流なるものありて、常に帝室を尊崇してその主義を守り、終始一の如くにして畢生(ひつせい)その守る所を改めざるの節操は、我輩の深く感心する所なれども、又一方よりその弊を挙れば、帝室を尊崇するの余りに社会の百事を挙て之(これ)に帰し、政治の細事に至るまでも一処に之を執らんことを祈るその有様は、孝子が父母を敬愛するの余りに、百般の家政を父母に任じて細事に当らしめ、却(かえつ)て家君の体面を失わしむるに異ならず。帝室は万機を統(すぶ)るものなり、万機に当るものに非(あら)ず。統ると当るとは大に区別あり。之を推考すること緊要なり。

又皇学者流が固くその守る所を守るが為に、その主義時としては宗旨論の如くなり、苟も(いやしく)己れに異なる者は之を容(い)れずして、却て自からその主義の分布を妨るものあるが如し。人をして我主義に入らしめんと欲せば、之に入るの門を開くこそ緊要なれ。是等(これら)は我輩の感服せざる所なり。我輩は赤面ながら不学にして、神代の歴史を知らず又旧記に暗しと雖(いえ)ども、我帝室の一系万世にして、今日の人民が之(これ)に依(より)て以(もつ)て社会の安寧を維持する所以(ゆえん)のものは、明に之(これ)を了解して疑わざるものなり。この一点は皇学者と同説なるを信ず。是即(すなわ)ち我輩が今日国会の将(ま)さに開(ひらけ)んとするに当て、特に帝室の独立を祈り、遥(はるか)に政治の上に立て下界に降臨し、偏なく党なく、以てその尊厳神聖を無窮に伝えんことを願う由縁なり。 我帝室の直接に政治に関して国の為(ため)に不利なるは、前段に之を論じたり。或人(あるひと)これに疑を容(い)れ、政治は国の大事なり、帝室にして之に関せずんば、帝室の用は果して何処(いずこ)に在るやとの説あれども、浅見の甚し(はなはだ)きものなり。
抑(そもそ)も一国の政治は甚(はなは)だ殺風景なるものにして、唯(ただ)法律公布等の白文を制して之を人民に頒布し、その約束に従う者は之を赦(ゆる)し、従わざるものは之を罰するのみ。畢竟形体の秩序を整理するの具にして、人の精神を制するものに非(あら)ず。然(しか)るに人生を両断すれば、形体と精神と二様に分れて、よくその一方を制するも、他の一方を捨るときは、制御の全きものと云うべからず。例えば家の雇人(やといにん)にても、賃銭の高(たか)と労役の時間とを定るも、決して事を成すべからず。如何(いか)なる雇人にても、その主人との間に多少の情交を存してこそ、快く役に服する者なれ。即ちその情交とは精神の部分に属するものなり。賃銭と時間とは唯形体の部分にして、未(いま)だ以て人を御(ぎよ)するに足らざるなり。
故に政治は唯社会の形体を制するのみにして、未だ以て社会の衆心を収攬(しゆうらん)するに足らざるや明なり。 この人心を収攬するに、専制の政府に於ては君王の恩徳と武威とを以てして、恩に服せざるものは威を以て嚇(おど)し、恩威並(ならび)行われて天下太平なりし事なれども、人智漸(ようや)く開て政治の思想を催(もよ)うし、人民参政の権を欲して将さに国会を開(ひらか)んとするの今日に至ては、復(ま)た専制政府の旧(きゆう)套(とう)を学ぶべからず。如何(いかん)となれば国会爰(ここ)に開設するも、その国会なる者は民撰議員の集る処にして、その議員が国民に対しては恩徳もなく又武威もなし。国法を議決してその白文を民間に頒布すればとて、国会議員の恩威並行わるべきとも思われず、又行わるべき事理に非ざればなり。国会は直に兵権を執るものに非ず、人民を威伏するに足らず。国会は唯国法を議定して之を国民に頒布するものなり、人民を心服するに足らず。殊(こと)に我日本国民の如きは、数百年来君臣情誼(じようぎ)の空気中に生々したる者なれば、精神道徳の部分は、唯この情誼の一点に依頼するに非ざれば、国の安寧を維持するの方略あるべからず。

即(すなわ)ち帝室の大切にして至尊至重なる由縁なり。況(いわん)や社会治乱の原因は常に形体に在らずして精神より生ずるもの多きに於(おい)てをや。我帝室は日本人民の精神を収攬(しゆうらん)するの中心なり。その功徳至大なりと云うべし。国会の政府は二様の政党相争うて、火の如(ごと)く水の如く、盛夏の如く厳冬の如くならんと雖(いえ)ども、帝室は独(ひと)り万年の春にして、人民これを仰げば悠然(ゆうぜん)として和気を催(もよ)うすべし。国会の政府より頒布する法令は、その冷なること水の如く、その情の薄きこと紙の如くなりと雖ども、帝室の恩徳はその甘きこと飴の如くして、人民これを仰げば以(もつ)てその慍(いかり)を解くべし。

何(いず)れも皆政治社外に在るに非(あら)ざれば行わるべからざる事なり。西洋の一学士、帝王の尊厳威力を論じて之を一国の緩和力と評したるものあり。意味深遠なるが如し。我国の皇学者流も又民権者流もよくこの意味を解し得るや否や。我輩はこの流の人が反覆推究して、自(みず)から心に発明せんことを祈る者なり。 例えば明治十年西南の役に、徴募巡査とて臨時に幾万の兵を募集して戦地に用いたることあり。然(しか)るにその募に応ずる者は大抵(たいてい)皆諸旧藩の士族血気の壮年にして、然(し)かも廃藩の後未(いま)だ産を得ざる者多し。家に産なくして身に勇気あり、戦場には屈強の器械なれども、事収るの後に至てこの臨時の兵を解くの法は如何(いかが)すべきや。殺気凜然(りんぜん)たる血気の勇士、今日より無用に属したれば各(おのおの)故郷に帰りて旧業に就(つ)けよと命ずるも、必ず風波を起す事ならんと、我輩はその徴募の最中より後日の事を想像して窃(ひそか)に憂慮したりしが、同年九月、変乱も局を結で、臨時兵は次第に東京に帰りたり。我輩は尚(なお)この時に至る迄も不安心に思いし程なるに、兵士を集めて吹上(ふきあげ)の禁苑に召し、簡単なる慰労の詔を以て、幾万の兵士一言の不平を唱る者もなく、唯(ただ)殊恩(しゆおん)の渥(あつ)きを感佩(かんぱい)して郷里に帰り、曾(かつ)て風波の痕(あと)を見ざりしは、世界中に比類少なき美事と云うべし。仮に国会の政府にて議員の中より政府の首相を推撰し、その首相が如何(いか)なる英雄豪傑にても、明治十年の如き時節に際して、よくこの臨時兵を解くの工夫あるべきや。我輩断じてその力に及ばざるを信ずるなり。

又仮に爰(ここ)に一例を設けて云(い)わん。天皇陛下某処へ御臨幸の途上、偶(たまた)ま重罪人の刑場に赴く者ありて御目に留り、その次第を聞食(きこしめ)されて一時哀憐の御感を催うされ、彼の者の命だけを赦(ゆる)し遣(つか)わせとの御意あらば、法官も特別に之(これ)を赦(ゆる)すことならん。然(しか)るにこの事を新聞紙等に掲げ、世間の人が伝聞して何と評すべきや。

我輩今日の民情を察するに、世間一般の人は彼の罪人を目して唯(ただ)稀有(けう)の仕合者(しあわせもの)と云(い)うことならんと信ず。某月某日は彼の罪人の為(ため)には如何(いか)なる吉日か、不思議の事にて一命を拾うたりとのみにて、嘗(かつ)て法理云々(うんぬん)など論ずる者なく、仮令(たと)い之を論ずるも聴く者はなかるべし。固(もと)より罪ある者を漫(みだり)に赦すは社会の不幸にして、我帝室に於(おい)ても漫に行わせらるべき事に非(あら)ず。況(いわん)や本文は唯仮に例を設けて我民情を写したるまでのことなれども、或(あるい)は政治上に於(おい)て止(や)むを得ざるの場合なきに非ず、国法に於て殺すべし、情実に於て殺すべからず、之を殺せば民情を害するが如(ごと)き罪人あるときは、帝室に依頼して国安を維持するの外(ほか)方便あるべからず。故に諸外国の帝王は、無論、亜米利加(アメリカ)合衆国の大統領にても、必ず特赦の権を有するは之が為(ため)なり。我帝室も固よりその特権を有せられ、要用のときには必ず政府より請願して命を得ることもあらん。決して漫然たることには非ずと雖(いえ)ども、外国にても日本にても等しく特赦の命を下して、その民情に対して滑なるの度合如何(いかが)を比較すれば、我日本の国民は特別に帝室を信ずるの情に厚き者と云わざるを得ず。我輩が今日国会の将(ま)さに開んとするに当て、特に帝室の尊きを知り、その尊厳の益(ますます)尊厳ならんことを祈り、その神聖の益神聖ならんことを願い、苟も(いやしく)全国の安寧を欲して前途の大計に注目する者は、容易にその尊厳を示す勿(なか)れ、容易にその神聖を用る勿れ、謹で(つつしん)黙して之を軽重する勿れとて、反覆論弁して止まざるも、唯一片の婆心(ばしん)、自(みず)から禁ずること能(あた)わざればなり。

人或は我帝室の政治社外に在るを見て虚器を擁(よう)するものなりと疑う者なきを期すべからずと雖ども、前にも云える如く、帝室は直接に万機に当らずして万機を統(す)べ給(たま)う者なり。直接に国民の形体に触れずしてその精神を収攬(しゆうらん)し給(たま)う者なり。専制独裁の政体に在ては、君上親から万機に当(あたり)て直に民の形体に接する者なりと雖ども、立憲国会の政府に於ては、その政府なる者は、唯全国形体の秩序を維持するのみにして、精神の集点を欠くが故に、帝室に依頼すること必要なり。人生の精神と形体と孰(いず)れか重きや。

精神は形体の帥(すい)なり。帝室はその帥を制する者にして、兼て又その形体をも統べ給うものなれば、焉ぞ(いずくん)之を虚位と云うべけんや。若(も)しも強(し)いて之に虚位の名を附せんと欲する者あらば、試に(こころみ)独(ひと)り黙して今の日本の民情を察し、その数百千年来君臣の情誼(じようぎ)中に生々したる由来を反顧し、爰(ここ)に頓(とみ)に国会を開て、その国会のみを以て国民の身心を併せて共に之を制御せんとするの工夫を運(めぐ)らしたらば、果して大に不可なるものありて大に要する所の者あるを覚(おぼ)うべし。その要する所のものとは何ぞや。

民心収攬(しゆうらん)の中心にして、この中心を得ざるの限りは、到底今の日本の社会は暗黒なるべしとの感を発することならん。左(さ)れば帝室は我人民の依(よつ)て以(もつ)てこの暗黒の禍を免(まぬ)かるゝ所のものなり。之(これ)を虚位と云(い)わんと欲するも得べけんや。読者も心に之を発明することならん。 例えば、一利一弊は人事の常にして免かるべからず。寡人(かじん)政治の風を廃して、人民一般に参政の権を附与し、多数を以て公明正大の政を行うは、国会の開設に在ることならんと雖(いえ)ども、之を開設して随て(したがつ)両三政党の相対するあらば、その間の軋轢(あつれき)は甚(はなは)だ苦々(にがにが)しきことならん。
政治の事項に関して敵党を排撃せん為(ため)には、真実、心に思わぬ事をも喋々し(ちようちよう)て、相互に他を傷(きずつ)くることならん。その傷けられたる者が他を傷くるは鄙劣(ひれつ)なりなど論弁しながら、その論弁中に復讐して又他を傷くることならん。或(あるい)は人の隠事を摘発し、或はその私の醜行を公布し、賄賂(わいろ)依托は尋常の事にして、甚し(はなはだ)きは腕力を以て争闘し、礫を投じ瓦を毀(こぼ)つ等の暴動なきを期すべからず。西洋諸国大抵(たいてい)皆然(しか)り、我国も遂に然ることならん。文政天保の老眼を以て見れば誠に言語道断にして、国会などなきこそ願わしけれども、世界中の気運にして、この騒擾(そうじよう)の中に自(おのず)から社会の秩序を存し、却(かえつ)て人を活溌に導くべき者なれば、必ずしも之を恐るゝに足らず。

然るに爰(ここ)に恐るべきは、政党の一方が兵力に依頼して兵士が之に左袒(さたん)するの一事なり。国会の政党に兵力を貸す時はその危害実に言うべからず。仮令(たと)い全国人心の多数を得たる政党にても、その議員が議場に在る時に一小隊の兵を以て之を解散し又捕縛すること甚だ易(やす)し。殊(こと)に我国の軍人は自から旧藩士族の流を汲て政治の思想を抱く者少なからざれば、各政党の孰(いず)れかを見て自然に好悪親疎(しんそ)の情を生じ、我れは夫(そ)れに与(くみ)せんなど云う処へ、その政党も亦(また)これを利して暗に之を引くが如きあらば、国会は人民の論場に非(あら)ずして軍人の戦場たるべきのみ。斯(かく)の如きは則ち最初より国会を開かざる方、万々の利益と云うべし。斯(かか)る事の次第なれば、今この軍人の心を収攬してその運動を制せんとするには、必ずしも帝室に依頼せざるを得ざるなり。帝室は遥(はるか)に政治社会の外に在り。軍人は唯(ただ)この帝室を目的にして運動するのみ。

帝室は偏なく党なく、政党の孰れを捨てず又孰れをも援(たす)けず。軍人も亦これに同じ。固(もと)より今の軍人なれば陸海軍卿の命に従て進退すべきは無論なれども、卿は唯その形体を支配してその外面の進退を司るのみ。内部の精神を制してその心を収攬するの引力は、独(ひと)り帝室の中心に在て存するものと知るべし。且(かつ)又軍人なる者は一般に利を軽んじて名を重んずるの気風なるが故に、之が長上たる者は、仮(た)令(と)い文事理財等に長ずるも、武勇磊落(らいらく)の名望ありてその地位高きに非(あら)ざれば任に適せず。
今の陸海軍の将校が、その給料の割合に比して等級の高きも、是等(これら)の旨に出たるものならん。又亜米利加(アメリカ)の合衆国にては宗教も自由にして、政府に人を用るにその宗旨を問わずと雖(いえ)ども、武官に限りて必ずその国教なる耶蘇(やそ)宗門の人を撰ぶと云(い)う。蓋(けだ)し他宗の人は兎角(とかく)世間に軽侮(けいぶ)せられて軍人の心を収るに足らざればなり。武流の人が名を重んずるの情、以(もつ)て見るべし。然(しか)るに今国会を開設して国の大事を議し、その時の政府に在る大臣は国会より推撰したる人物にして、偶々(たまたま)事変に際して和戦の内議は大臣の決する所なりとするときは、陸海軍人の向う所は国会に由(より)て定めらるゝ者の如(ごと)し。軍人の進退甚(はなは)だ難きことならん。仮令(たと)いその大臣が如何(いか)なる人物にても、その人物は国会より出たるものにして、国会は元(も)と文を以て成るものなれば、名を重んずるの軍人にして之(これ)に心服せざるや明なり。唯(ただ)帝室の尊厳と神聖なるものありて、政府は和戦の二議を帝室に奏し、その最上の一決御親裁に出るの実を見て、軍人も始めて心を安んじ、銘々の精神は恰(あたか)も帝室の直轄にして、帝室の為(ため)に進退し、帝室の為に生死するものなりと覚悟を定めて、始めて戦陣に向て一命をも致すべきのみ。帝室の徳、至大至重と云うべし。僅(わずか)に軍人の一事に就(つい)ても尚且斯(なおかつかく)の如し。我輩は国会の開設を期して益そ(ますます)の重大を感ずる者なり。

西洋碩学(せきがく)の説に、一国の人心を収攬(しゆうらん)して風俗を興(おこ)すの方便は、その国々の民情旧慣に従て同じからずと雖ども、各国に通じて利用すべき者は、宗教、学事、音楽、謳歌(おうか)等にして、殊(こと)に立君の国に於ては王室を以て人心収攬の中心たるべしと云えり。我日本の如きは古来宗教に拘泥(こうでい)せざるの民俗なれども、僧侶善智識の一言を以て兵刃既(すで)に接するの戦を和解したるの例なきに非ず。又敗軍の将士が高野の山に登り、国事犯の罪人が鎌倉の尼寺に入り、或(あるい)は旧諸藩にて士族の間に不和を生ずるか、又は藩法の為に止(や)むを得ずしてその家来に割腹を命ずる等のときに当て、君家菩提寺(ぼだいじ)の老僧が仲裁に入り、或は命乞いとて犯罪人を寺に引取ることあり。何(いず)れも皆宗教に依て政治社会の風浪を和したるものなり。又江戸の市中に鳶(とび)の者と称する壮丁の種族が、火事場などに於て動(やや)もすれば喧嘩に及び、双方結(むす)ぼれて解けざる時に、親分なる者が仲裁に入り、公裁を仰がずしてその喧嘩の是非を糺(ただ)して、非なりと認る所の者を坊主にするか、或は自(みず)から剃髪して仲直りの式を行う事あり。

この坊主は固(もと)より寺に入るの坊主には非ざれども、その本は落飾の趣意に出でしものならん。僅に鳶の者の仲間に於(おい)ても尚且法理のみに依るべからず、必ず一種の緩和力を頼てその社会の安寧を維持す。況(いわん)や政治の大社会に於てをや。その社会の愈(いよいよ)大なるに従てその喧嘩軋轢(あつれき)も亦(また)愈大なり。その愈大なるに従て緩和(かんわ)仲裁の力を要することも亦愈急なるべし。耶蘇(ヤソ)教に熱心なる欧亜諸国に於(おい)ては、その宗教を以(もつ)て国事に利したるの例甚(はなはだ)少なからず。英国に於て千六百年代「コロンウェル」の乱に、国中の人心劇烈の極点に達して、当時議事院の如(ごと)きは左右両党に相分れ相互に疾視咆哮(しつしほうこう)して、その劇論の底止(ていし)する所を知るべからず、人をして寒心戦慄せしむる程の情況なりしが、時に一老僧の勧めに従い、急に席を改めて上帝礼拝の式を行い、然(しか)る後に座を定めて更に議事を開きしかば、満場自然に和穆(わぼく)の気を催(もよ)うして、穏に(おだやか)議を終たることあり。爾後(じご)英国の議事院に於ては、開議の前必ず礼拝の式を行い、今日尚(なお)その例に依(よ)ると云(い)う。

学風の利弊は、日本にも支那にもその例最も多くして、人心に銘すること最も深し。徳川政府にて昌平館の学風を朱子学と一定してより、各藩大抵(たいてい)皆これに傚(なら)い、太平二百七十年の間に、碩学大儒(せきがくたいじゆ)、異風を唱る者なきに非(あら)ざれども、天下一般学者の多数は朱子学に制せられて他はその意を逞う(たくまし)するを得ず。唯(ただ)旧水戸藩に於て一種の学風を起したれば、忽(たちま)ちその藩士の気風を一変したることあり。唯学校の教則のみならず、或(あるい)は一部の著書を以て天下の人心を左右すること甚(はなは)だ易(やす)し。頼山陽(らいさんよう)の日本外史は王政維新の元素となり、又維新の前後に僅々(きんきん)の著書翻訳書を以て一時に日本国の全面を一変して、朝野改進の端を開きたるものあるが如(ごと)し。

音楽謳歌(おうか)は日本に於て左(さ)まで効力なきが如くなれども、西洋諸国にては一節の歌を以て幾千万の人心を繁(つな)ぎ、之を幾百年に維持して国の治乱を制する者あり。仏の「リパブリック」、英の「ルールブリタニヤ」の曲の如き、是(これ)なり。日本にて之に類するものは、旧暦三月三日上巳の節句、家々に雛(ひな)を飾り、俗に云うお内裏(だいり)様とて雛の棚の上段に奉るは、蓋(けだ)し日本国中の至尊たる歴世の天皇と皇后との御両体を表したるものならん。

又唄の文句にも、王は十善、神は九善と云(い)うことあり。是亦(これまた)同様の意味ならん。何(いず)れも皆尊王の人心を収攬(しゆうらん)するものと云うべし。又旧暦の正月に、三河万歳(まんざい)とて、古風なる衣裳を着けたるものが、鼓太鼓(つづみたいこ)を携え、毎戸に来て祝詞を唄うは、徳川家康公の万歳を祝するの遺礼なりと云う。又元和元年、大阪の落城は五月六日なりしより、爾来(じらい)徳川の政府にて最も端午(たんご)の節句を重んじたるか、全国の風俗を成し、男児ある家には家の内外に軍旗様のものを樹(た)て武者人形を飾る等、専ら尚武(しようぶ)の風を装い、又或(あ)る地方の習慣にて、その旗と人形を収るに、武家は五月五日の夕(ゆうべ)を限り、農商の家は翌六日までに存するの風あり。

蓋(けだ)し大阪落城は六日にて、武家はこの日に凱陣(がいじん)して、軍器は最早(もはや)不用なるが故に、その前日に之(これ)を収るの式を表すれども、町人百姓は軍事に関係なくして、翌日までも勝手次第と云う意ならん。何れも皆徳川の旧を懐(おも)うて、尚武の士気を鼓舞(こぶ)する為(ため)には、大に効力ありし風俗ならん。尊王なり尚武なり、既(すで)に全国の風俗をなすときは、容易に消滅すべきものに非(あら)ず。以(もつ)て乱を治むべし、以て治を乱るべし。俚俗(りぞく)謳歌(おうか)とて決して之を軽々看過(けいけいかんか)すべからざるなり。 王室の功徳は共和国民の得て知らざる所なれども、その風俗人心に関して有力なるは挙て言うべからず。人或(あるい)は立君の政治を評して、人主が愚民を籠絡(ろうらく)するの一欺術などとて笑う者なきに非ざれども、この説を作(な)す者は畢竟(ひつきよう)政事の艱難(かんなん)に逢わずして民心軋轢(あつれき)の惨状を知らざるの罪なり。青年の書生輩が二、三の書を腹に納め、未(いま)だその意味を消化せずして直に吐く所の語なり。

試に(こころみ)思え、我日本にても政治の党派起りて相互に敵視し、積怨(せきえん)日に深くして解くべからざるのその最中に、外患の爰(ここ)に生じて国の安危に関する事の到来したらば如何(いかに)するや。自由民権甚(はなは)だ大切なりと雖(いえ)ども、その自由民権を伸ばしたる国を挙げて、不自由無権力の有様に陥りたらば如何せん。守旧保守亦大切なりと雖ども、旧物を保守し了りてそのまゝに他の制御を受けたらば如何せん。鷸蚌(いつぼう)相闘て勝敗容易ならず、全身の全力は既(すで)に尽して残す所なし。何ぞ他を顧みて之(これ)が謀を(はかりごと)為(な)すに遑(いとま)あらんや。去年発兌(はつだ)時事小言の緒言に云(いわ)く、 前略、記者は固(もと)より民権論の敵に非(あら)ず、その大に欲する所なれども、民権の伸暢(しんちよう)は唯(ただ)国会開設の一挙にして足るべし。

而(しこう)して方今の時勢これを開くことも亦(また)難きに非(あら)ず。仮令(たと)い難きも開かざるべからざるの理由あり。然(しか)りと雖(いえ)ども国会の一挙以(もつ)て民権の伸暢を企望(きぼう)し、果して之を伸暢し得るに至て、そのこれを伸暢する国柄は如何(いか)なるものにして満足すべきや。民権伸暢するを得たり、甚(はなは)だ愉快にして安堵(あんど)したらんと雖ども、外面より国権を圧制するものあり、甚だ愉快ならず。俚話(りわ)に、青螺(さざえ)が殻中に収縮して愉快安堵なりと思い、その安心の最中に忽(たちま)ち殻外の喧嘩異常なるを聞き、窃(ひそか)に頭を伸ばして四方を窺(うかが)えば、豈(あに)計らんや身は既(すで)にその殻と共に魚市の俎上(そじよう)に在りと云(い)うことあり、国は人民の殻なり。その維持保護を忘却して可ならんや。

近時の文明、世界の喧嘩、誠に異常なり。或(あるい)は青螺の禍なきを期すべからず。この禍の憂うべきもの多くして之を憂る人の少なきは、記者に於(おい)て再び不平なきを得ざるなり。唯(ただ)如何(いかに)せん、今日は是(こ)れ民権論一偏の世の中なれば、世論或は却(かえつ)て記者に対して不平なる者あらんと雖ども、今後十年を期し、その論者が心事を改て今日の記者と主義を同(おなじ)うするの日を待つのみ。 右時事小言の所論も、その旨は本編の義に異ならず。斯(かか)る内政の艱難に際し、民心軋轢(あつれき)の惨状を呈するに当て、その党派論には毫(ごう)も関係する所なき一種特別の大勢力を以て双方を緩和(かんわ)し、無偏無党、之を綏撫(すいぶ)して各(おのおの)自家保全の策に従事するを得せしむるは、天下無上の美事にして人民無上の幸福と云うべし。

是れ我輩が偏(ひとえ)に我帝室の独立を祈願する由縁なり。方今世の民権論者も帝室を尊崇すると言い又実に尊崇するの意ならんと雖ども、その語気真実の至情に出るものゝ如(ごと)くならず、唯公然と口を開き帝室は尊きが故に之を尊ぶと云うのみにして、その功徳の社会に達する由縁を語らず、人民の安寧は帝室の緩和力に依頼するの理由を述べず、その殺風景なる有様は、家の子供が継母に対して、苟も(いやしく)我々の母なるが故に孝養を尽すは勿論(もちろん)の事なりと公言する者に彷彿(ほうふつ)たり。加之(しかのみならず)主権云々(うんぬん)に就(つい)ても何か議論がましく喋々と(ちようちよう)述立(のべた)て、又或はその論者の党類と称する者の中には随分過激の徒もなきに非ず。

凡(およ)そ政党に免(まぬ)かるべからざることなれども、保守論者の流より之を見れば猜疑(さいぎ)なきを得ず。彼等は口に甘き言を唱れども、内心は甚だ危険なる者なり、去迚(さりとて)は恐ろしき次第、これを捨て置くべからずとて、何の手段もなくして唯容易に帝室の名を用い、公に帝室保護などゝ唱えて経営するその有様は、恰(あたか)も帝室の名義中に籠城して満天下を敵にする者の如(ごと)し。固(もと)よりこの保守論者も、立憲政体、国会開設の事に付ては異論なくして、その辺は民権家と同一致の如くなれども、その帝室云々(うんぬん)と口に唱え筆に記する所の気風を察し、その主権論などの論鋒を視(み)れば、維新以前専制政治の時代に唱えし古勤王の臭気を帯るが如くにして、その持論の要点には常に神代の事共持出(もちいだ)し、我帝室は開闢(かいびやく)の初(はじめ)に於(おい)て斯(かく)の如くなりしが故に、今日に在て斯の如し、今後も亦(また)斯の如くなるべしとて、唯(ただ)歴史上の旧事のみを称揚し、今の日本国民が帝室を奉戴するは、恰(あたか)も唯その旧恩に報ずるの義務の如くに披露するのみにして、その帝室が現に今日に在て人心収攬(しゆうらん)の中心と為(な)り、以(もつ)て社会の安寧を維持するの理由は之(これ)を知らず。

即(すなわ)ちその帝室に尽す所は単に過去報恩の一点に在るものにして、現在の恩徳を識別するの明なし。之に尽すこと薄しと云(い)うべし。又今後国会の開設、随て(したがつ)政党軋轢(あつれき)の不幸もあらば、未来の恩徳は益(ますます)洪大なるべしと雖(いえ)ども、その辺に就(つい)ても誠に漠然(ばくぜん)たる者の如し。之に望むこと少なくして、之を仰ぐこと高からずと云うべし。畢竟(ひつきよう)保守論者皇学者流の諸士は、その心術忠実なるも経世の理に暗きが為(ため)に、忠を尽さんと欲して之を尽すの法を知らず、恩に報いんと欲してその恩徳の所在を知らざる者のみ。持論、常に過去の報恩を主として、現在の事を云わず。故にその所説、往々宗旨論の風を帯びて変通に乏しく、自(みずか)ら守て他に敵すること劇烈なるのみならず、その党類と称する者の中には、古勤王論に不似合なる人物もあり、又少壮の輩には随分不学にして劇(はげ)しき者もなきに非(あら)ざれば、民権の自由論者より之を見て、純然たる頑固物と認め、彼等は口に立憲国会など云うと雖(いえど)も、元来その持論に於(おい)てあるべからざる言なり、結局我々を駆除してその本色の専制に復古せんとするの内心ならんとて、亦大に猜疑(さいぎ)の念なきを得ず。

即ち方今世論の実況にして、その勢、近日に至て益増進するが如し。我輩は固より今の所謂(いわゆる)自由改進の民権論に心酔する者に非ず、又今の所謂守旧保守の輩に左袒(さたん)する者に非ず。彼の流の人が双方その主義の相投ぜずして政談を争うは自由自在にして、気力のあらん限りに勉強すべしとて之に任ずると雖ども、双方共に攻撃するにも又弁駁(べんばく)するにも、唯政治の談のみに止りて謹て(つつしみ)帝室に近づくなからんこと、双方の諸士に向て飽くまでも冀望(きぼう)する所なり。若(も)しも然(しか)らざるときは、緩和の功徳は変じて劇烈なる乱階と為るべきのみ。恐るべきに非ずや。尚(なお)甚(はなはだ)しきは近日政府の内閣もこの党派に関係するとの説あり。その関係の深浅は我輩これを知らずと雖も、仮令(たと)い内閣たりとも、未(いま)だ政党の姿を為さずして、民間に党与を募るが如き痕跡(こんせき)なければ則ち止まん。苟も(いやしく)その姿を成すこと真実にして、その痕跡の見るべきものあらんには、その党派として決して帝室の名を用ゆべからず。

我帝室は下界の政党に降り給(たま)うべきものに非(あら)ざればなり。万に一も、我輩の憂慮する所、過慮ならずして、後日或(あるい)は之(これ)が為(ため)に不幸の禍を見ることもあらば、我輩は、今の在野の諸政党に併せて政府の内閣に向い、その弁解を乞わんと欲する者なり。 前段に陳述する如(ごと)く、我日本国民は帝室に対し奉りて、過去の恩あり、現在の恩あり。今後国会を開設して政党の軋轢(あつれき)を生ずるの日には、必ずその緩和の大勢力に依頼せざるを得ず。即(すなわ)ち未来の恩にして、この三様の大恩は日本国民たる者に於(おい)て平等に戴くべき者なり。然(しか)るに近来民間に党派を結で改進自由など唱る者あれば、之を目して民権党と名(なづ)け、民権に反する者は官権なりとて、世間漸(ようや)く官権党の名を生じたるが如(ごと)し。抑(そもそ)も官とは如何(いか)なる字義なるぞや。今の内閣の大臣参議以下の官吏を〔総〕惣称したる名にして、官権とはこの官吏が政府に立て国事を執るの権力と云(い)う義ならん。今日の政体に於ては、官吏は天皇陛下の命じ給う所の者にして、そのこれを命ずるの間に天下人心の向う所を斟酌(しんしやく)し給うに非ず、固(もと)より賢良なる人物を挙げて衆庶の望(のぞみ)に副(そ)わせられ給うは明々たることなれども、公然たる姿に於て人民よりその人を推撰するに非ず、投票の多数に由(より)て進退するにも非ざれば、官吏は純然たる帝室の隷属にして、帝室と政府との間に殆(ほとん)ど分界なしと云うも可なり。

即ち明治元年より今年に至るまで我国の政体なれば、今年に在て官権と云えば、その権は帝室の威光の中に在るものにして、或は之を帝室の大権中の一部分と云うも大なる不可なかるべし。然るにこの官権の下に党の字を加えて官権党の名を作り、之を口に唱えて党派を募るとは何事ぞ。字義を推してその極度に至れば、帝室の御為(おんため)に特に尽力せよと云う意味に落ることならん。天下四分五裂、大義名分も殆ど紊乱(びんらん)の姿を呈して、帝室の安危如何(いかが)とて憂慮の余りに、帝室に御味方申せと天下の志士を募りたるの例はなきに非ざれども、此(こ)れは是(こ)れ上古乱世の事にして、明治の昭代には夢にも想像すべからざるの不祥なり。既(すで)に御味方申せと云うからには、畏(かしこ)くも真実帝室に反する朝敵の所在なかるべからずと雖(いえ)ども、今日の日本に朝敵は何処(いずこ)に在るや。我輩は世の新聞記者の流を学で態(わざ)と過激なる語法を用る者に非ず、又巧に辞を婉曲(えんきよく)にする者にも非ず、中心に我帝室を仰(あおぎ)てその安泰を祈り奉り、之を祈て果して天下に朝敵なきを信ずる者なり。朝敵と云えば、維新以来旧幕政府の一類共に何か不審の筋あり云々(うんぬん)等の事ならば、先(ま)ず古来和漢の例に於ても、国民前政府を慕うとか云う意味にて、随分世にあるまじき嫌疑に非ざれども、幕府滅却の後は断(た)えてその痕跡(こんせき)を見ざるのみならず、旧幕府の談は政治社会に於(おい)て信に意に介する者もなきに非(あら)ずや。

世界古今革命の事少なからずと雖(いえ)ども、その革命の後に物論の穏な(おだやか)るは、独(ひと)り我明治政府を以(もつ)て未曾聞(みそうもん)の一例と為(な)すべき程のことにして、我輩は実に我帝室の万々歳を信じて疑を(うたがい)容(い)れず、之(これ)を疑わんと欲して中心にその疑懼(ぎく)の端を得ざる者なり。斯(かか)る昭代に居て、等しく是(こ)れ帝室の臣民なるに、その一部分の人が何を苦んで帝室保護等の言を吐くや。不祥の甚し(はなはだ)きものなりと云(い)わざるを得ず。固(もと)よりその社会の長老は必ず誠実なる人物にして、唯(ただ)一偏に帝室の御為(おんため)を思い、之(こ)れを思うの余りに世間を見て不安心なりと認る箇条もあらんと雖ども、その不安心は唯是(こ)れ局処に止まるものゝみ。万頃(ばんけい)の杉の林に両三根の松を見ればとて、その松の繁茂して杉林の景色を変ずべきに非ず。帝室は全国人心の帰する所也(なり)。二、三の狂愚あるも之を如何(いかに)すべきや。

苟も(いやしく)社会の大勢に着眼する者ならば、之を視(み)ること難きに非ざるべし。今一歩を進めて我輩は別に却(かえつ)て恐るゝ所のものあり。その次第は、官権主張の人物が、誠意誠心に帝室を重んじて、その極度は遂に帝室の御味方を申すとまでの姿に陥るときは、恰(あたか)も敵なきに味方を作りたるものにして、その味方なる者は敵を求めて敵を得ず、却て新に敵を作るの媒介たるなきを期すべからず。去迚(さりとて)はその誠実の本心に戻(もと)るに非ずや。或(あるい)は長老の人物に於(おい)ては、徒に(いたずら)敵を作るが如(ごと)き粗漏(そろう)もなきことならん、寛大以て人を容るゝの度量あらんと云うと雖ども、如何せん俚俗(りぞく)に所謂(いわゆる)禍(わざわい)は下からとて、その社中の末流に至ては大に長上の意の如くならずして、本源は独り却て心を痛ましむるものあらん。

甚しきは旧幕政府の末年に、幕府が世論の劇(はげ)しきに苦しみ、政府の成規外に新徴組、(しんちようぐみ)新撰組(しんせんぐみ)なるものを作て、之を制せんとして却て益そ(ますます)の劇しきを増進したるが如き齟齬(そご)を生ずべきやも測られず。誠に苦々(にがにが)しき次第にして、帝室の大恩徳を空(むなし)うする者と云うべし。都(すべ)て事を論じて他よりその論を聞くに当り、論ずる者と聞く者との間に一点の猜疑(さいぎ)ありてはその論旨は通達せざるものなり。故に我輩が斯(か)く論じ来るも、読者に於て何か疑を抱くときは実に際限もなきことなれども、我輩の持論は既(すで)に世に明告したる如く、在野の政党に与(く)みするものに非ず、又今の政府の官吏に左袒(さたん)するものに非ず、唯社会の安寧(あんねい)を祈て進で建置経営する所あらんを願い、その針路方法を論じて世の政治家の注意を喚起せんとするまでのことなれば、彼の政治宗旨の小大夫が、真宗を出れば必ず日蓮宗に帰し、両宗の一に帰依するに非ざれば身を処すること能(あた)わざるが如(ごと)き者に比すれば、少しく異なる所のものあり。読者も少しく静(しずか)にして先(ま)ず猜疑(さいぎ)の念を去り、虚心平気以(もつ)て聴く所あれ。記者の行文波瀾(はらん)を失い、誠に無力赤面の至なれども、只管(ひたすら)読者の推考を乞うのみ。 官権固(もと)より拡張せざるべからず。苟も(いやしく)一国の政府として施政の権力なきものは、政府にして政府に非ず。殊(こと)に維新以来の政府は三百藩を合併したるものにして、その財政なり又兵力なり、頗(すこぶ)る強大なるべき筈(はず)なるに、今日の有様にて日本国と日本政府との権衡(けんこう)を見れば、我政府は決して強大なるものと云(い)うべからず。

官権大に拡張せざるべからざるなり。然(しか)りと雖(いえ)ども、この官権は前節に論じたる如く、今日の政体に於(おい)ては直に帝室に接したる政府の権力にして、毫(ごう)も人民の意見を交ゆべき者に非(あら)ざれば、今の法律に従い今の慣行に由(よ)り、名も実も帝室の旨を奉じて政を施すべきは無論、内閣の大臣参議以下真実に帝室の隷属にして、その施政の際に一毫の私意を交(まじ)うべからず。故にこの政体を遵奉(じゆんぽう)するの間に、政府より発する所の政令は、悉皆(しつかい)帝室の政令たるべきのみならず、或(あるい)は施政の便利の為(ため)に人民に説諭することあれば、その説諭も帝室の旨を奉じたるものと認めざるを得ず。又その説諭は様々の事に関して或は官権を拡張するの旨に出ることもあらん。即(すなわ)ち今の政体の政権を強大にするの趣意なれば、我輩に於て毫も異論あるべからずと雖ども、官権の二字に党の字を加えて官権党の熟字を作るときは、即ち純然たる政党にして、その政党の中には帝室を含有するものと云わざるを得ず。

如何(いかん)となれば、今の官権は下の人民より集めたるものに非ずして、上の帝室に出(いで)たるものなればなり。然(しか)るに帝室は無偏無党、億兆に降臨して、我輩人民はその一視同仁の大徳を仰ぎ奉るべきものなりとの事は、我輩が反覆論弁したる所にして、この論旨果して是にして、日本人民が帝室に対し奉るの本分は、正(まさ)にこの点に在るものなりとするときは、帝室の政党に関係すべからざるや明なり。強いて之に関係すべしと云う者は、畏(かしこ)くもその尊厳を瀆(けが)してその神聖を損するものにして、尊王の旨に非ざるなり。故に曰(いわ)く、今の政体にて官権を拡張するは可なりと雖ども、官権党の名義を作て党与を募るが如きは不祥の甚し(はなはだ)きものなり。 或は去年の十月国会開設の詔を拝してより、在朝の人もその心事を改め、明治二十三年の後は必ず党派政治となることならん、その時には我々も一政党を団結して他の政党と頡頏(けつこう)せんものをと思い、その党与を求るに、今日偶々(たまたま)同時に官途に在るの縁故を以て、官吏の仲間に一政党の体を成して、兼て又民間に同志を募り、偶然に之(これ)を官権党と名(なづ)けて、以(もつ)て二十三年後の用意を為(な)すが如(ごと)きは怪しむに足らず。然(しか)るときはその政党は全く帝室に縁なきものにして、帝室より降臨すれば毫(ごう)も他の諸政党に異なる所あるべからずと雖(いえ)ども、尚(なお)この趣向にても官権党の名は穏な(おだやか)らざるが如し。如何(いかん)となれば、この官権党が明治二十三年の後より尚(なお)幾年も官に在れば、その名実相適(かな)うべしと雖ども、苟も(いやしく)党派政治とあれば幾歳月の間には落路の政党たるべきやも図るべからず。若(も)しも然るときは、之を在野の旧官権党と名けざるべからざればなり。語を成さゞるが如し。但(ただ)しその名称は何様にても苦しからず、唯(ただ)我輩の冀望(きぼう)する所は、今の官権が若しも党派の姿を成すことならば、速に(すみやか)帝室と分離して他の諸政党と併立するの一事に在るのみ。右の如く官権党たる者が、恰(あたか)もその身を国会開設の後に置き、爾後(じご)の資格を今より仮定して帝室と分離し、その分界明白なることならば、今の在野の諸政党が何程に進歩し、又一方の官権党が何程に有力にして、相互に軋轢(あつれき)を生ずるも、その軋轢は唯在官の人と在野の人との間に止まりて、大変乱に及ぶこともなかるべし。云(い)わばその軋轢辛うじて政府に達して、其(それ)以上に昇らざるものなり。

若しも然らずして、その官権が帝室に縁あるときは、この官権と頡頏(けつこう)するは、恰も帝室に頡頏するが如くに見え、この官権が民権を征伐するは、帝室が之を征伐するが如くに見えて、その人心を震動するの禍は実に容易ならざることならん。恐るべきの甚し(はなはだ)きものなり。我帝室は万世無欠の全璧(ぜんぺき)にして、人心収攬(しゆうらん)の一大中心なり。我日本の人民はこの玉璧(ぎよくへき)の明光に照らされてこの中に輻輳(ふくそう)し、内に社会の秩序を維持して外に国権を皇張すべきものなり。その宝玉に触るべからず、その中心を動揺すべからず。

官権民権の如きは唯是(こ)れ小児の戯の(たわむれ)み。豈(あに)小児をして之に触れしめんや、之を動揺せしめんや。謹て汝(なんじ)の分を守て汝の政治社会に経営すべきものなり。 我輩が帝室に望む所は唯前条々に止まらずして、他に又依頼するもの甚(はなは)だ多し。近来は法律次第に精密を致して、世間に法理を言うもの次第に喧し(かまびす)きに随て(したがつ)は、政府の施政も都(すべ)て規則を重んずるの風と為(な)るべきは自然の勢にして、国会開設の期にも至らば、政府は唯規則の中に運動するのみにして、規外には一毫(いちごう)の自由を得ざることならん。然るに人間社会はこの規則中に包羅すべきものに非ず。即(すなわ)ち政府の容量は小にして、社会の形は大なりと云うも可なり。

小を以て大を包まんとす、固(もと)より得べからず。例えば鰥寡孤独(かんかこどく)を憐れみ、孝子節婦を賞するが如し。人情の世界に於ては最も緊要なる事にして、一国の風俗に影響を及ぼすこと最も大なるものなれども、道理の中に局促(きよくそく)する政府に於(おい)ては、決して之(これ)に着手するを得ず。政府の庫中に在る一銭の金も一粒の米も、その出処は国会に議定したる租税にして、粒々銭々皆是(こ)れ国民の膏血(こうけつ)なるぞ、焉ぞ(いずくん)この膏血を絞て他の口腹を養うの理あらんやなどゝ論じ来るときは、道理の世界に於て之に答るの辞あるべからず。去迚(さりとて)国民全体の情に訴るときは、無告を憐れみ孝悌(こうてい)を賞す、誰か之を拒む者あらんや。之を拒まざるのみならず、その挙を聞見(ぶんけん)して心に悦の感を生じ、共に之を助けんとする者こそ多からん。然(しか)るにその国民の名代たる国会議員の政府は、道理の府なるが故に情を尽すを得ざるなり。理を伸さんとすれば情を尽すべからず、情を尽さんとすれば理を伸ばすべからず。二者両立すべからざるものと知るべし。

左(さ)ればこの際に当て、日本国中、誰かよくこの人情の世界を支配して徳義の風俗を維持すべきや。唯(ただ)帝室あるのみ。西洋諸国に於ては宗教盛(さかん)にして、唯に寺院の僧侶のみならず、俗間にも宗教の会社を結で往々慈善の仕組少なからず、為(ため)に人心を収攬(しゆうらん)して徳風を存することなれども、我日本の宗教はその功徳俗事に達すること能(あた)わず、唯僅(わずか)に寺院内の説教に止まると云(い)うべき程のものにして、到底この宗教のみを以(もつ)て国民の徳風を維持するに足らざるや明なり。帝室に依頼するの要用なること益(ますます)明なりと云うべし。人事を御(ぎよ)するに必要なる者は勧懲賞罰(かんちようしようばつ)にして、その勧賞の必要なるは懲罰の必要なるに異ならず。然るに国会の政府に於てはよく懲罰を行うべしと雖(いえ)ども、勧賞の法は甚(はなは)だ難くして之を行うこと甚だ稀(まれ)なり。蓋(けだ)し罪を犯す者は証左に拠(より)て罪の軽重を量り、その軽重に従て罰も亦(また)軽重すべきが故に、恰(あたか)も実物の軽重を量るが如くにして、約束の書に記すこと難からず。即(すなわ)ち法律書の用を為(な)す由縁なれども、人の功を賞しその徳を誉るが如きは、その軽重を測量すること甚だ易(やす)からず。孝子節婦の徳義の軽重、固(もと)より量るべからざるのみならず、或(あるい)は戦場の武功とても、その大小を区別して、何を大功と称し、何を小功と評するは、甚だ難きことならん。即ち政府にて勧賞の事を行うの難き由縁なり。

西洋諸国に於ても、その国民が何か大事業を挙げて国に益するか、又は海陸の軍人等が非常の働を(はたらき)為したるときに、国会の議決にて之に謝するの法なきに非ざれども、極めて稀有(けう)の例なりと云う。故に国民の善を勧めてその功を賞する者は、必ず政府の外に在て存すること緊要にして、彼の国に於ては一地方の人民が申合せて有功の人に物を贈ることあり、或は学校その他公共の部局より之を賞することあり。稍(や)や以て人事の欠を弥縫(びほう)するに足ると雖ども、結局国民の栄誉は王家に関するものにして、西洋の語に王家は栄誉の源泉なりと云(い)うことあり、以(もつ)て彼の国情の一〔斑〕班を見るべし。既(すで)に栄誉の源泉なるときは断じて汚辱の源泉たるべからず。懲罰を蒙(こうむ)るは人生の汚辱なれば、その源を王家に帰すべからざるの理由明白にして、一国の王家は勧る有て懲(こ)らす無く、賞する有て罰するなきものなり。是(これ)即(すなわ)ち各国帝王の詔勅にも、罰則を掲ることなきのみならず、懲罰以て人民を威するが如(ごと)き語法をも、容易に用いざる由縁なり。

之(これ)を譬(たと)えば、風俗厚き良家の父母はその子に命ずるに、斯(か)くせよと云うに止まりて、斯くせざれば鞭(むちう)つぞと云わざるが如し。口に之を云わず、況(いわん)や手に鞭(むち)を取て直に之を打つに於(おい)てをや。良家の父母の常に慎しむ所なり。一国の帝王は一家の父母の如し。固(もと)より親から鞭を執る者に非ず、口にも鞭の字を云うべからず。帝王の常に慎しむ所なり。西洋諸国の慣行に於て、その帝王と国民と相接するの厚情、斯(かく)の如し。況や我日本に於ては一層の厚きを加えざるべからず。数百千年来、賞罰共に専制の政府より出るの法にして、民間公共の部局に於て人を勧賞するが如2きは曾(かつ)て聞見(ぶんけん)したることもなきものが、俄(にわか)に国会の政府に変じて規則の内に局促(きよくそく)し、よく懲らして勧ること能(あた)わず、よく罰して賞すること能わず、数を以(もつ)て計(かぞ)え時を以て測り、規矩縄墨(きくじようぼく)を以て社会の秩序を整理せんとしたらば、人民は恰(あたか)も畳なき室に坐するが如く、空気なき地球に住居するが如くにして、道理の中に窒塞(ちつそく)することあるべし。今この人民の窒塞を救うて国中に温暖の空気を流通せしめ、世海の情波を平(たいらか)にして民を篤(あつ)きに帰せしむるものは、唯(ただ)帝室あるのみ。

学術技芸の奨励も亦(ま)た専ら帝室に依頼して国に益すること多かるべし。方今全国の教育を司て(つかさどり)学芸を奨励する者は文部省なりと雖(いえ)ども、その直轄の学校は誠に僅々(きんきん)にして生徒の数は数百に過ぎず。固より以て全国の学士を養うに足らざるなり。且(かつ)文部も亦政府中の一省なれば、常に政府と運動を共にして、府に変あれば省にも亦(また)変を生じ、甚し(はなはだ)きは文部卿の更迭に従て省中の官吏を任免するのみならず、その学校の教員に至るまでも或(あるい)は進退なきを期すべからず。教員を進退し学制を改革し、既(すで)に之を改革して又之を修正し、毎三、五年に変換するが如きは、教育に於て最も不利なるものと云うべし。加之(しかのみならず)国会開設の後は、国庫の金を以て国中唯二、三の官立学校のみに給与することあるべきや。甚(はなは)だ難きことならん。左(さ)ればその開設の後は、仮令(たと)い文部省を廃せざるも、省の事務は唯国中の学事を監督するに止まりて、直に学校を支配するの慣行は止むことならんと信ず。

天下既に官立の学校なし。仮令い是(こ)れあるも全国の学士を養うに足らず。然(しから)ば則(すなわ)ち私立の学校を奨励して之を盛大ならしむるの外(ほか)に方便あるべからず。然るに今日各地に在る私学校の有様は、実に微々たるものにして、見るに足るべきものなし。よく数百の生徒を教育してその法を誤らず、之(これ)を十数年に維持して学校の名に恥じざるものは、日本国中僅(わずか)に指を屈するに足らず。小学下等の教(おしえ)は地方の協議に附して小学校に任すべしとするも、苟も(いやしく)小学以上学術の部分を以(もつ)て、之をこの微々たる私立学校に任ぜんとするは、固(もと)より行わるべき事柄にあらず。是(ここ)に於(おい)てか、我輩の大に冀望(きぼう)する所は、帝室に於て盛(さかん)に学校を起し、之を帝室の学校と云(い)わずして私立の資格を附与し、全国の学士を撰(えらび)てその事に当らしめ、我日本の学術をして政治の外に独立せしむるの一事に在り。文化漸(ようや)く進で国民皆文の貴きを知るに至らば、民間富豪の有志にて学術のために金を捐(すて)る者をも生ずべしと雖(いえ)ども、今日の民情尚未(なおいま)だこの段に進まず、之を如何(いかん)ともすべからざれば、唯(ただ)帝室に依頼して先例を示すの一法あるのみ。斯の如(ごと)く、新(あらた)に高尚なる学校を起し、又在来の私学校には保護を与え、又或(あるい)は時に随て(したがつ)は今の官立学校の取るべきものを取て一度(ひとた)び帝室の御有(ぎよう)と為(な)し、更に之に私立の資格を附与して従前の教官等に授るも可ならん。

その細目の如きは実際の談として姑(しばら)く擱(さしお)き、兎(と)に角(かく)にこの大体の趣向にて、我学術を政治社外に独立せしめてその進歩を促すは、内国の利益幸福のみならず、遠く海外に対して、日本の帝室は学術を重んじ学士を貴ぶとの名声を発揚するに足るべし。国の一美事なり。方今英国等に於て大学校の盛(さかん)なる者は、悉皆(しつかい)独立私立の資格なれども、その本を尋れば在昔(ざいせき)王家の保護を蒙(こうむ)る者多しと云う。又近くは同国の皇婿(こうせい)「アルバルト」公は、在世の間、直接に政事に関せずと雖ども、好んで文学技芸を奨励し、国中の碩学(せきがく)大家は無論、凡(およ)そ一技一芸に通達したる者にても、親しく公の優待を蒙らざるものなし。蓋(けだ)し数十年来英国の治安を致して今日の繁栄を極るも、間接には公の力与(あずか)りて大なりと云う。王家帝室の名声を以て一国の学事を奨励し、その功徳の永遠にして洪大なること以て知るべし。

又一方より論ずれば、学者は静(しずか)にして政治家は動くものなりと雖ども、人生各(おのおの)長所あり、悉皆(しつかい)動くを好む者に非(あら)ず。政治家が朝に立て威福を行い、軍人が敵に臨て勝を制す、愉快は固より愉快ならんと雖ども、学者が天然の原則を推究して、化学器械学等の微細を試験し、偶然の機に会して千古の疑を解き、或は幽窓(ゆうそう)の下に孤坐して深妙の事理を思考し、一部の著書以て容易に天下の人心を左右するが如き、その時の愉快は他人の得て知らざる所にして譬(たと)えんに物なし。啻に連城の璧(へき)のみならず、天下を得る、亦大なりとするに足らず。心志茲(ここ)に至れば、眼中復(ま)た王侯将相(しようしよう)を見ざるなり。之(これ)を学者の愉快と云(い)う。左(さ)れば人生の快楽はその人の性質と職業の習慣とに由(よ)り異なる者なれば、よくその性に随て(したがつ)職業を得せしむるときは、世に学者なきを憂るに足らず。続々輩出してその業に安(やす)んずべきなり。

人或(あるい)は近日の世態を見て政談客の多きに驚き、日本の学者は一種の気風を帯びて悉皆政治に熱する者なりとて、漫(みだり)に臆測憂慮する者なきに非(あら)ざれども、畢竟(ひつきよう)学者に一種の気風あるに非ずして、世間に一種の気風を欠くが故に然(しか)るものなり。即(すなわ)ち世間に学術を貴ぶの気風なし、之を貴ばざるが故に学者は学問を以(もつ)て身を立ること難し、身に才気を抱て世に身を立るの路(みち)なし、静(しずか)ならんと欲するも得(う)べからず。今の学者が政談に奔走するも亦謂(またいわ)れなきに非ざるなり。学者が自(みず)から好(このみ)て政談に入るに非ず、駆て之を政談に入らしむるものあればなり。故に今若(も)し帝室に於(おい)て天下に率先して学術を重んずるの先例を示し、学者をして各そ(おのおの)の業に就(つ)くを得せしめなば、全国靡然(びぜん)として風を成し、政治社外に純然たる学者社会を生ずるを得べし。是(ここ)に於てか始めて我学問の独立を見るべきなり。且(かつ)又学者なるものは、政治家に比すれば生活の趣を(おもむき)殊(こと)にして、衣食住の外見を装う者に非ず。又これを装うの要用もあらざれば、自(おのず)から質素にして他に異なる所のものあるべし。外の形体は粗にして内の精神は密なり、身の外見は賤(いや)しくして社会に対するの栄誉は極めて貴し。亦以て人の標準として世の教風を助くるの方便たるべし。偶然の利益と云うべし。今日の有様にては後進の学生日に増加すと雖(いえ)ども、学問を以て静に身を畢(おわ)らんとする者は甚(はなは)だ稀(まれ)なるが如(ごと)し。蓋(けだ)しその静なるを好まざるに非ずと雖ども、静にして依頼すべき中心を得ず。学に志すこと愈(いよいよ)篤(あつ)き者は愈名利に遠ざかるの勢なるが故に、枉(ま)げて学問の社会を脱するのみ。我輩が只管(ひたすら)我帝室を仰で全国学術の中心たらんことを願うも、その微意は蓋し此(ここ)に在て存するものなり。 前節の論旨に帝室を仰で学術の中心に奉ぜんと記したるは、我日本の学問をして、仮令(たと)いその主義は之を西洋近時の文明に取るも、之を取て以て遂に独立すること、今の漢学がその源を支那に取て遂に我国に独立したるが如くならしめんと欲するの趣意にして、学問の稍(や)や高尚なるものに就(つい)て説を立たることなれども、尚(なお)この以下の芸術に於ても帝室に依頼せざるべからざるもの甚だ多し。抑(そもそ)も一国文明の元素は際限なく繁多(はんた)なるものにして、人間社会の一事一物、文明の材料たらざるものなし。

日本内地の人民と北海道の土人とを比較するときは、内地は文明にして北地は不文なりと云うべし。如何(いかん)となれば内地は人事繁多にして北地は簡約なればなり。内地の人民は三度の食事するに毎人に膳椀と箸(はし)とを備えて、北地の土人には往々是(こ)れなきものあり。左れば人間世界、僅(わずか)に箸一膳の有無にても文明の高低を見るに足るべし。箸は文明の物なり。之(これ)を用る、文明の事なり。之を作り之を売買す、亦(また)文明の事なり。況(いわん)や箸(はし)以上の事物に於(おい)てをや。その益(ますます)多きに従て、益文明の高きを徴(ちよう)すべし。之を要するに人事の繁多(はんた)、即(すなわ)ち文明開化と云うも可ならん。 故に一国の文明を進むるの法は、人事の繁多を厭(いと)うべからざるのみならず、多々益これを奨励して繁多ならしむるにあり。二十年前は二汁五菜を以(もつ)て盛饌(せいせん)としたりしも、今は之に兼て西洋風の料理を食う。我人民は洋食の旨否(しひ)を嘗(なめ)るの知見を増して文明を進めたるものなり。二十年前は僅(わずか)に漢書を読て学者の名に恥じざりしものも、今は漢書に兼て洋書を知らざれば学者の社会に歯(よわい)すべからず。

我人民は横文を解するの知見を増して文明を進めたる者なり。人事繁多の世の中にして、文明進歩の秋と云(い)うべし。然(しか)りと雖(いえ)ども、此(これ)は是(こ)れ新(あらた)に文明を作て旧に加うるの談なれば、他日の議論に譲て暫(しばら)く筆を擱(かく)し、爰(ここ)に我輩が端を改めて専ら陳述せんと欲するものは、旧来我国に固有する文明の事物を保存せんとするの一事にして、又重ねて帝室に依頼せざるを得ざるなり。抑(そもそ)も人心を震動するの甚し(はなはだ)きは政治の革命にして、政府爰に一新すれば人心も亦随(したがつ)て一変し、その好尚の趣を(おもむき)も旧に異にすること多し。殊(こと)に我日本近時の革命は、唯に内国政治の変換のみに非(あら)ずして、恰(あたか)も外国交際の新なる時に際して、外の新奇を以て内の旧套(きゆうとう)を犯したるもの少なからず。苟も(いやしく)旧時の事物とあれば、利害得失を分たずして、旧の字に加うるに弊の字を以てし、旧弊の熟語は下等社会にまで通用して、是れも旧弊なり、其(そ)れも旧弊なりとて、之を破壊する者は世間に識者視せらるゝの勢にして、内外両様の力を以て人心を顛覆(てんぷく)したることなれば、その有様は秋の枯野に火を放ちたるが如く、際限あるべからずして、殆(ほとん)ど旧来の文明を一掃したるものと云うも可なり。

〔太〕大陽暦を用いて五節句を廃し、三百藩を廃して城郭を毀(こぼ)ち、神仏混淆(こんこう)を禁じて寺社の風景を傷(そこな)うたるが如きは、今更恢復(かいふく)するも難からん、又今の事実の利害に於て恢復すべからざるものもあらんなれば、是等(これら)は姑(しばら)く不問に附して、爰に我輩の特に注目する所は日本固有の技芸にして、今日これを保存せんと欲すればその事難からず、之を放却すれば遂にその痕(あと)を絶つの恐(おそれ)あるもの、即(すなわち)是れなり。日本の技芸に、書画あり、彫刻あり、剣槍術、馬術、弓術、柔術、相撲、水泳、諸礼式、音楽、能楽、囲碁将棋、挿花、茶の湯、薫香等、その他大工左官の術、盆栽植木屋の術、料理割烹(かつぽう)の術、蒔絵(まきえ)塗物の術、織物染物の術、陶器銅器の術、刀剣鍛冶(かじ)の術等、我輩は逐一これを記し能(あた)わずと雖(いえ)ども、その目甚(はなは)だ多きことならん。是等の諸芸術は日本固有の文明にして、今日の勢既(すで)に大なる震動に逢うて次第に衰えんとするものなれば、之(これ)をその未(いま)だ滅了せざるに救うは実に焦眉(しようび)の急と云(い)うべし。如何(いかん)となれば、芸術は数学、器械学、化学等に異にして、数と時とを以(もつ)て計るべきものにあらず、規則の書を以て伝うべきものに非(あら)ず。

殊(こと)に日本古来の風にして、仮令(たと)い規則に拠(よ)るべきものにても、所謂(いわゆる)人々家々の秘法に伝るもの多くして、その人に存するが故に、その人亡ればその芸術も共に亡ぶべきは当然の数にして、今日僅(わずか)にその人を存し、然(し)かもその人は将(ま)さに自然に亡びんとするの時なればなり。今この急を救うの策、果して如何(いかに)すべきや。之を今日の文部省に托すべからず。之を托せんとするも、省の資格に於(おい)て行われ難きもの多からん。況(いわん)や国会政府たるの後に於てをや。唯冷なる法律と規則とに依頼して道理の中に局促(きよくそく)し、以て僅に国民の外形を理する政府の官省が、目下の人事に不用なる芸術を支配して特に之を保護奨励せんとするが如き、全く想像外の事にして、唯(ただ)この際に依頼して望むべきは帝室あるのみ。帝室は政治社会の外に立て高尚なる学問の中心となり、兼て又諸芸術を保存してその衰頽(すいたい)を救わせ給(たま)うべきものなり。

人或(あるい)は曰(いわ)く、前段に記したる諸芸術を保存せんが為(ため)に、帝室に依頼するは則(すなわ)ち可なりと雖ども、その芸術の中には全く今日に無用なるものあるを如何(いかに)せん、無用の芸術を保存するに有用の心思を労して、又随(したがつ)て多少の金を費す、全く無用の事なりとの説あれども、或人(あるひと)は誠に今日の人にして明日を知らざる者なり。人間の文明は、その日月永遠にして其(そ)の境界広大なる者なり。文明一(いつ)跳、(ちよう)千歳一日の如(ごと)し。豈(あに)今日目下の無用を以て千歳文明の材料を棄(すつ)ることを為(なさ)んや。今日土中より掘出す勾玉(まがたま)金環等の如きも、当時に在てその時代の経済理論に明なる書生の評に附したらば、或は無用の物なりしならんと雖(いえ)ども、数千年の下、今日に於てその勾玉の細工とその金環の鍍金(めつき)とを視察すれば、我日本は数千年の前、既(すで)に鍍金の術ありしことを知て、その文明の度を見るに足るべし。

左(さ)れば今日無用の物も明日その無用たらざるを知るべからず。試(こころみ)に今の書画骨董(こつとう)を見よ。十余年前は塵埃(じんあい)に埋めて顧る者もなく、緋威(ひおどし)の鎧(よろい)一領はその価金二朱と云うも尚(なお)買う者なし。名家の筆跡と称する金屏風(きんびようぶ)も、之を焼てその金箔の地金を利するの時勢なりし者が、今日は全くその反対にして、鎧も刀剣も骨董として之を貴び、書画の如き、一片紙帛(しはく)、価幾百円なる者あり。僅に十年の経過にして尚且(かつ)然(しか)り。況(いわん)や今後百年を過ぎ千年を経るに於てをや。人の好尚の変化は決して計るべき者に非ざれば、物の存すべきは之を存し、術の伝うべきは之を伝えて、我文明の富を損するなきこと緊要なるのみ。諸芸諸術、無用ならざるのみならず、我国固有の美術にして、洋人等の絶て知らざる者あり。茶を喫するに法あり、茶の湯の道と云(い)う。花を器に挿すに法あり、挿花立花の術と云う。香品を薫して之(これ)を嗅(か)ぐに法あり、薫香の芸業に付き利を射るよりも名を争うに忙(せ)わしく、所謂(いわゆる)芸術家の功名心よりして、往々非常の名人を生じて、名作も少なからざりしことなり。

蓋(けだ)しその名作の物を代価に積るに、名人の家に数代宛行(あてが)う所の扶持米(ふちまい)を算用したらば、非常に高価なるものならんと雖(いえ)ども、封建の諸侯はその会計変則にして、入を計らずして出を為(な)す者なれば、之を厭(いと)わざりしことならん。今後世に富豪を出して、その富或は(あるい)古(いにしえ)の諸侯に優(まさ)る者もあらんと雖ども、苟も(いやしく)計入為出の常則に従うときは、その芸術に対するの功徳は容易に望むべからざるなり。左(さ)れば今日に在て芸術家に世禄を与るは固(もと)より行われざることなれども、爰(ここ)に一種の法を設けてその功名心を奨励するの要用は明に知るべし。その法如何(いかに)して可ならん。前節に帝室は栄誉の源泉なりと云えり。然(しから)ば則(すなわ)ち芸術家の栄誉もこの源泉より涌出(ゆうしゆつ)するの法に依(よ)るべきのみ。近くその先例を挙れば、徳川の時代に陪臣又は浪人の儒者医師等に高名なる人物あれば、御目見(おめみえ)被仰付とて将軍に拝謁(はいえつ)を許し、時としては之に葵(あおい)の紋服を賜わるの例あり。

一度(ひとた)び拝謁したる者は、仮令(たとい)幕臣ならざるも所謂(いわゆる)御目見以上の格式にして、諸藩士の上に位し、幕府旗下の士と同格なるが故に、儒医の身に在ては殆(ほとん)ど無上の栄誉にして、世間の名望甚(はなは)だ高し。儒医のみならず、囲碁将棋等に巧なる者にても、名人の誉(ほまれ)ある者には拝謁を許し、且(かつ)碁所将棋所とてその芸の宗家には豊に扶持を給し、毎年例に依(より)て幕府の殿中に上覧の囲碁将棋会を開て屈指の者共芸を闘わすときには、将軍も必ず親(みず)から出座して之を観(み)るの例あり。代々の将軍必ず碁将棋を嗜(たしな)むにも非(あら)ざるべし、随分迷惑なりしこともあらんと雖(いえど)も、俗間にては之(これ)を御城(おしろ)碁、御城将棋と唱え、その当人は当日一局の勝敗を以(もつ)て生涯の栄辱を卜(ぼく)し、甚し(はなはだ)きは勝敗心労の為(ため)に吐血して死したる者もありしと云(い)う。この他(ほか)能楽者にも扶持(ふち)を給し、刀鍛冶(かじ)、彫刻師にも宛行(あてがい)を与る等、様々の工夫を以て、徳川政府十五世の間に芸術将励の一事は甚(はなは)だ行届(ゆきとどき)たるものなり。

今日は既(すで)に幕府なし、又諸侯なし。是(ここ)に於(おい)てか全国人心の中心栄誉の源泉なる帝室に於て、今の民情を視察し前年の例を斟酌(しんしやく)して、或(あるい)は勲章の法を設け、或は年金の恩賜を施し、或はその人に拝謁(はいえつ)を許され、或は新古の名作物を蒐集せ(しゆうしゆう)らるゝ等の事あらば、天下翕然(きゆうぜん)として一中心に集り、栄誉の源泉に向て功名の心を生じ、我芸術を将(ま)さに衰えんとしたるに挽回(ばんかい)して、更に発達の機を促すのみならず、人心の帝室を慕うに一層の熱を増して、益そ(ますます)の尊厳神聖を仰ぐに至るべきなり。 帝室は人心収攬(しゆうらん)の中心と為(な)りて国民政治論の軋轢(あつれき)を緩和(かんわ)し、海陸軍人の精神を制してその向う所を知らしめ、孝子節婦有功の者を賞して全国の徳風を篤(あつ)くし、文を尚(たつと)び士を重んずるの例を示して我日本の学問を独立せしめ、芸術を未(いま)だ廃せざるに救うて文明の富を増進する等、その功徳の至大至重なること挙て云うべからず。

蓋(けだ)し軽躁(けいそう)の書生輩はこの大徳の軽重を弁ずること能(あた)わずしてこれを言わず、或はこれを言うもその情水の如し。畢(ひつき)竟(よう)無智の罪なり。又鄭(てい)重(ちよう)にして着実なりと称する長老の輩もその実は案外に性急にして、熱心極れば過激と為り、却(かえつ)て恩徳の所在を忘れて狼狽(ろうばい)を致す。是(こ)れ亦(また)無智の罪なり。無智の罪は有心故造にあらず。之(こ)れを恕(ゆる)して正に帰するの日あるべきのみ。天下皆正に帰したり。乃(すなわ)ち帝室に於(おい)て前条々の事に着手せんとするに、第一の需要は資本、是(これ)なり。
明治十四年度の予算に、帝室及皇族費は百十五万六千円にして、宮内省の定額三十五万四千円とあり。この金額多きや少なきや。伊太利(イタリア)の帝室費は三百二十五万円にして、皇弟の賄料六万円、皇甥(こうせい)同四万円、その他国皇の巡狩費又は皇居建築営繕(えいぜん)費等の如きは、別に国庫より出すと云う。又英国はその富裕の割合にして他の諸国に比すれば帝室費の少なきものなれども、二百万円を限りて、この外(ほか)に「ランカストル」侯国より入るものあり。日耳曼(ゼルマン)は三百八万円の外に、帝室に属する土地山林甚(はなは)だ広大にして、その歳入は悉皆(しつかい)宮殿及び皇族の費に供す。荷蘭(オランダ)は三十一万二千円の外に、曾(かつ)て第一世「ウヰルレム」王の時より王家の私産に属するもの甚だ多しと云う。 右各国の比例を見れば、我帝室費は豊なるものと云うべからず。

金円の数も少なきその上に、帝室の私に属する土地もなし又山林もなし。今後国会開設の後に於(おい)ては、必ず帝室と政府とは会計上にも自(おのず)から分別の姿を為(な)すべきことなれば、今日より帝室の費額を増し、又幸(さいわい)にして国中に官林も多きことなれば、その幾分を割て永久の御有に供すること緊要なるべしと信ず。「バシーオ」氏の英国政体論に云(いわ)く、世論喋(ちよう)々、(ちよう)帝室は須(すべか)らく華美なるべしと云(い)う者あり、須らく質素なるべしと云う者あり、甚し(はなはだ)きは華美の頂上を極むべしと云う者あれば、之に反対して全く帝室を廃すべしと云う者あり、皆是(こ)れ一場の空論のみ、今の民情を察して国安を維持せんとするには、中道の帝室を維持すること甚(はなは)だ緊要なり、理財の点より観察を下すも、例えば百万「ポンド」を帝室に奉じて人心収攬(しゆうらん)の中心たるを得るは、策の最も良きものにして、百万は百万の用を為(な)すものと云うべし、今これを減少して七十五万「ポンド」と為し、その用法を異にして人心を得ること能(あた)わざるときは、七十五万の全損にして拙策の甚しきもの云々(うんぬん)と。

言論簡単にして事理を尽したるものと云うべし。都(すべ)て帝室の費用は一種特別のものにして、その公然たるものあるべきは無論なれども、或(あるい)は自由自在に費して殆(ほとん)ど帳簿にも記すべからざる程の費目もあるべし。最も大切なる部分なり。例えば在昔(ざいせき)仏帝第一世の先后「ヂョセフヒン」は名高き賢婦人にして、常に皇帝の内行を助けてその失を弥縫(びほう)し、宮中府中を問わず人心をして離散せしむるなきを勉(つと)めたりしが、皇帝が一旦の変心にて皇后を廃してより、忽(たちま)ち内外の人望を失うたることあり。又近くは今の伊太利(イタリア)の皇后「マガリタ」は夙(つと)に賢明順良の名あり。よく人心を収めて皇帝を輔翼(ほよく)し、間接には政治上の風波も平素皇后の徳に依(より)て鎮静するもの少なからずと云う。左(さ)れば帝室の徳義の民心に通達するは一種微妙のものにして、冥々(めいめい)の間に非常の勢力を逞う(たくまし)するを得べし。万乗の皇帝、微行(びこう)して一夫の貧を救い、以(もつ)て一地方の人民をして殖産の道に進ましむることあり。

一士卒の負傷を尋問して、三軍の勇気を振わしむることあり。花の莚、月の宴、決して軽々(けいけい)に看過(かんか)すべからざるものあり。是等(これら)の事に付ても必要なるものは財なり。然(し)かもこの財を費して、その費目は帳簿にも記すべからざるものならん。我輩は固(もと)よりその目(もく)を論ぜずして、唯(ただ)全体に皇室費の豊ならんことを祈る者なり。 或人(あるひと)云く、帝室の大名声を以て天下の人心を収攬するの説は則(すなわ)ち可なりと。その有功の者を賞し文学芸術を保護奨励するに当り、或は従前の習慣に於て帝室に近づく者は兎角(とかく)に古風の人物多きが為(ため)に、実際の着手に於ても自から古を(いにしえ)尚(たつと)ぶの気風を存して、例えば人を賞するにも所謂(いわゆる)勤王家に厚くして他は之(これ)に預ること薄く、或(あるい)は学芸を奨励すればとて専ら皇漢の古学に重きを附する等の意味なきを期すべからず、去迚(さりとて)はこの駸々乎(しんしんこ)たる文明進歩の為(ため)に如何(いかに)あるべきやの説あれども、我輩に於(おい)ては毫(ごう)も之を恐れず。嘉永(かえい)癸丑(みずのとうし)開国の以来、我国勢を一変したるものは西洋近時の文明なり。この大勢進歩の間に、或は故障もあらん、妨害もあらんと雖(いえ)ども、唯是(ただこ)れ一局処の障害にして憂るに足らず。古学は日新の学に害あるが如(ごと)くに見ゆれども、その害たる唯一時一部分に止まるのみ。

千百の古学者あるも天下の大勢を如何すべきや。況(いわん)やその古学流の中にも、物理原則の部分を除くときは、取るべきも甚(はなは)だ少なからず。我輩は勉(つと)めて之を保存せんと欲する者なり。尚(なお)況や我輩が帝室を仰で人心の中心に奉らんとするは、その無偏無党の大徳に浴して一視同仁の大恩を蒙(こうむ)らんことを願う者なれば、我輩の志願決して空しからず。帝室は新に偏せず古に党せず、蕩々平々(とうとうへいへい)、恰(あたか)も天下人心の柄(へい)を執て之と共に運動するものなり。既(すで)に政治党派の外に在り。焉ぞ(いずくん)復(ま)た人心の党派を作らんや。謹でその実際を仰ぎ奉るべきものなり。

帝室論大尾
──────────────────────────────────────

タイトル 帝室論
別タイトル On the imeprial household
著者 福澤, 諭吉 (Author)
中上川, 彦次郎 (Transcriber)
出版地 東京
出版者 丸善
出版年 1882 (明治15)
識別番号 福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A35

[解説]

明治十四年の政変のとき、十年後を期して国会を開設すべき旨の詔勅が発せられたので、民間に幾つかの政党が結成されたが、その中には時の政府の庇護の下に 帝政党と称するものも出現し、漫りに帝室のことを楯にとって政敵を論難するような事態が生じたので、福沢はこの風潮を憂えてこの論説を発表した。後に出版 された「尊王論」と共に、福沢の帝室に関する二大論説として世の注目するところとなり、それぞれ単行本として出版され、また両書の表題を併記した合本や、 「日本皇室論」と題して両書を合本したものなど、いろいろの形で時事新報社から刊行せられた。帝室を政治社外に高く仰こうとする福沢の真意は、ややもすれ ば古風の勤王論者から曲解され、帝室に虚器を擁せしめんとするものとの批難を招ぎ、出版当初からこの書は多少の物論の的となったが、今日においてはこの書 の所論が日本の皇室のために最も妥当な考え方であるとの説が殆んど定まったと見られている。
 明治十五年四月二十六日から五月十一日まで十二回に亘って時事新報社説として発表し、同月四六判洋紙活字版の単行本として出版した。表紙はボール紙の芯 に鼠色の洋紙を貼った厚表紙で、「福沢諭吉立案/中上川彦次郎筆記/帝室論全/ 明治十五年五月刊行」の文字を三ツ割りに記し、周囲に飾り罫の枠を配した 意匠で、背に黒色のクロースを使っている。
 扉は白の洋紙に表紙と全く同一の印刷をし、左下隅に「慶応義塾蔵版之印」の朱印を捺してある。緒言二頁、本文六十八頁、奥附一頁。奥附には「明治十五年 五月十三日御届/ 同年同月出版/定価金二十五銭/編輯兼出版人飯田平作/東京芝区三田二丁目二番地寄留」と記し、その友に売捌書肆として丸善商社、山中 市兵衛、慶応義塾出版社、および大阪の丸善支店、梅屋亀七の五軒が、その所在地の所書きと共に掲げてある。