坂の上の雲・司馬史観を再考する「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗・著

書道家の日々つれづれより
坂の上の雲・司馬史観を再考する「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗・著
その1 http://pub.ne.jp/Indianinkworld/?entry_id=3391964
NHK版「坂の上の雲」が年末に放映されることによって、日清・日露戦争以降の日本の戦争史について種々の本を再度読んでみることにした。
今回の別宮暖朗氏の著書は、日清戦争から昭和期の支那事変あたりまでを網羅している。普通、別宮暖朗氏と言えば、司馬史観「坂の上の雲」の歴史批判で有名で多くの著書がある。そう言う著書を一々読まなくても、この「帝国陸軍の栄光と転落」の日露戦争奉天会戦を読むとある程度氷解するところがある。
司馬史観で一番問題なのは、戦争史観が二次大戦以降と言うよりベトナム戦争などの近代戦争の史観によって述べられていることである。
そして、全8巻もあることから日露戦争のロシア軍の実態が小説の中に突然出てくると言う奇異な部分もある。
ロシアの貴族制度とその社会、そしてそこから派生する軍人貴族。
正確には将校は全て貴族というロシア社会は、日露戦争を記する著書にはほとんど取りあげられていない。
この点フランスの近世貴族社会を研究していた関係上その延長線上でその実態を知ることになったと言うものの、不思議なことに日本ではそう言う貴族制度というものには無理解である。
従い、「坂の上の雲」、「帝国陸軍の栄光と転落」なども当然貴族制度というものは取りあげていない。
日露戦争を語る上で、ロシアの貴族制度というものと(日露戦争などの)辺境に投入される軍隊が、新たな領土になった(ポーランドなどの)新植民地軍であるという点も余り指摘されていない。
「坂の上の雲」では後半、このロシアの植民地軍のことは多少出で来ると言うものの戦役では皆無になっている。
そして、そのロシア貴族というものを誤解しているためにロシア軍人に日本の軍人と同じような投影をして実に妙なロシア軍人が出来上がる。
その結果として、なぜその様な行動をするのか言い換えれば軍事行動の根拠が曖昧になる。
「坂の上の雲」の司馬史観で糾弾されているのが旅順攻撃を行った第3軍乃木希典大将である。
これは、本の「あとがき」でもかなり言及されているもので、この史観というものが戦後史観というものである。
日露戦争というのは、第一次大戦前において近代戦の典型的なモデルとなっている。
そのために多くの観戦武官が日露戦争を参考にして、後の独ソ戦「タンネンベルクの殲滅戦」に繋ぎ、英国は秋山好古の騎兵隊を真似して騎兵に「機関銃部隊」を付属させた。
その英国の騎兵隊が第一次大戦では、秋山好古が馬を下りて歩兵として戦ったと同じ行動をした。特に黒溝台の激戦では一部塹壕戦になったのと同じ戦い方をした。
「帝国陸軍の栄光と転落」の別宮暖朗氏はボトルアクションの薬莢式ライフル銃が普及したために騎兵が役に立たなくなったと述べている。
確かにそうではあるが、これは重機関銃が射撃の主流となった第一次大戦の話である。
以下 http://syuun.iza.ne.jp/blog/entry/2091886/
その2へ
その2 坂の上の雲・司馬史観を再考する「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗・著
司馬史観では陸軍悪、海軍善という戦後の歴史観を反映している部分もあり特に大量の戦死傷者をだした旅順攻撃に対する乃木希典批判が多い。
確かに初戦に於いて、種々の稚拙な部分があったとはいえこれは当時の参謀本部自体が官僚主義、秘密主義に陥り状況を掌握しなかったという部分もある。
しかも、旅順要塞というのは典型的な近代要塞で、当時の日本軍は全く知りもしなかったのであるから仕方がないところであろう。
その詳細は、各種の本、論考によるとしてこの様に人的な大損害を悪と見る風潮というのはその1で述べたように「二次大戦以降と言うよりベトナム戦争などの近代戦争の史観によって述べられている」ことである。
事実として、ヒットラーが従軍した第一次大戦のベルギーのイープル(Evil)の塹壕戦(約120万人の戦傷・行方不明者と約50万人の戦死者)をモデルとした小説がある。
12938002141 小説「鬼将軍」(The General・1936年・セシル・スコット・フォレスター(Cecil Scott Forester)。この小説は、ヒットラーも絶賛したという。
この小説では、主人公カーズンが騎兵隊の中佐という資格でありながら、司令部が全滅して上官不在になったために、一時的に旅団を指揮する。
その後に新陸軍が編成され臨時の少将に抜擢、師団長になる。(騎兵が馬を下りて塹壕に立て籠もり、重機関銃で応戦するという秋山好古と同じ戦い方をする。)
イープル戦はまだまだ続くところで、あまりの多くの戦死傷者が出るため攻撃を逡巡した司令官は更迭され、戦死傷者の増大も全滅も覚悟の将軍が抜擢されて行く。
ここでは新たな新軍団が編成され、軍団長に補され(戦時の)中将に昇進。
この様に、戦死傷者や損害の多さではなく戦争に勝つと言うことのみ評価されるのが一般的風潮であった。そしてその将軍は猛将として尊敬された。
この戦死傷者の多さをものともしないというのは、第二次大戦のパットン将軍まで受け継がれている。映画「パットン大戦車軍団」でその様子が描かれている。 ブルーレイお試しパック『パットン大戦車軍団』(初回生産限定) [Blu-ray]
ちなみに、第一次大戦で日本は日英同盟の関係から英国から陸軍の派兵を要請されたのは、第2次、第3次イープル戦の頃と思われる。
その頃では英国では兵士が枯渇してカナダ、オーストラリアなどの英連邦の将兵を動員して塹壕戦を展開した。
湖沼地帯で戦車は沼地に嵌って動けず、そこへ完全要塞化したドイツ塹壕の前に繰り広げられる全滅の惨劇である。
日本はこの時陸軍を出していれば間違いなく全滅に陥ったろうということは間違いない。
「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗の日露戦争では「奉天会戦」の部分に焦点を当てている。
「坂の上の雲」では奉天包囲の最左翼「最弱部隊」である乃木希典第三軍の増援部隊「後備第一旅団」の壊滅のシーンを描いて、ことさら乃木の無能ぶりを描いている。
しかし、この増援部隊の全滅、敗走については別宮暖朗氏は、「総司令部が翼端である第三軍の運動方針や部隊編成について、全く考慮を払わなかった結果でもあった」と述べている。
いずれにせよ、旅順要塞を陥落させた猛将というイメージはロシア軍に浸透していたであろうから、ロシア軍の包囲網は縮まると共に急遽ロシア軍の全面撤退による勝利ということになった。
旅順要塞の陥落がなければ、日露戦争に於いて勝利はあり得なかったであろうとは、同じく別宮暖朗氏が述べるところである。
そして、陸戦においては乃木大将の第三軍によって日露戦争の事実上の勝利をもたらしたのであって、乃木神社と海軍の東郷神社が出来ると言うのもあながち分からぬものではない。
「帝国陸軍の栄光と転落」では、学校秀才でしかない参謀たちの硬直した考え方に対して、「参謀たちの作戦の失敗を補う将軍が一体、幾多帝国陸軍にいたことか。乃木希典(山口)を筆頭に、小川又次(福岡)、黒木為楨(鹿児島)、梅沢道治(宮城県仙台)、秋山好古(愛媛)は決して忘れてはならない将軍であろう。」
と述べている。(出身は筆者註)
秘密主義に徹して失敗した井口省吾満州軍参謀(静岡)、秋山好古に戦後黒溝台の激戦の作戦失敗をなじられた(「坂の上の雲」にあり)松川敏胤満州軍作戦参謀(宮城県仙台)。
昭和の社会主義化した陸軍と別宮暖朗氏が述べる変質は、こういう陸大出の学校秀才から生まれたと以後に書かれている。
ちなみに、井口省吾は陸軍大学校長として「長州関係の教官の追い出しや合格させなかった」など東条英機と共に長州など旧軍閥排除に力を注いだ人物として有名である。