レポート:全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」

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大韓帝国強制併合100年  愛媛大学学生祭行事 
愛媛大学 城北地区<グリーンホール>  2010/11/13~ 11/14
■ 主催者代表挨拶 愛媛大法文学部・的場竜一さん
  “「韓国併合」100年に思うこと” 
  昨年夏10日間、韓国にいったが純粋に一人の人間として友好を願う人ばかりだった。「みんな「反日」なんだろうな」と事前に考えていた自分の認識が偏見だったのでないかと考えるようになった。「韓国併合」の決着がついていないことが現在の日本と朝鮮半島の問題の根源ではないか、もっと多くの人に「韓国併合100年」の意味を考えて貰う必要があるのでは、という問題意識から今回のシンポジウムを企画しました。いろいろな人の意見を聞き「新たな発見」があれば「実行委員会」としてうれしく思います。
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講演
Yasukawa861 『明るくない明治こそが「暗い昭和」につながった-「坂の上の雲」と福沢諭吉-』
          安川 寿之輔さん(名古屋大名誉教授)
 「天は人の上に人を造らず・・・と云へり」という伝聞態の冒頭句とそれに続く「すすめ」の内容が思想的に乖離していることを無視し、丸山眞男が諭吉を「典型的市民的自由主義者」と規定したため「丸山諭吉」神話ができた。
『一身独立して一国独立す』についても、NHKがドラマで秋山好古にいわせた「人、ひとりひとりが独立して初めて国家が独立できる、そういう意味じゃ」とはおよそ関係ない、「独立の気力」=「国のためには財を失ふのみならず、一命をも抛(なげう)ちて惜むに足ら」ない、国家主義的な「報国の大義」以上のことは「学問のすすめ」には書かれていない。

 丸山さんの致命的な誤りは、「先づ事の初歩として自国の独立を謀り、『一身独立』のようなその他の課題は之を第二歩に遺して、他日為す所あらん」と本人が公約しているのに、「一身独立」と「一国独立」の二つの課題は、「見事なバランスを保っている。それは……美しくも薄命な古典的均衡の時代」云々と解釈したことです。
 信じ難い事実ではあるが、有名な学者達がそろって丸山さんの決定的な誤読に追従した。2003年安川の「福沢諭吉と丸山眞男」が登場するまで福澤はその死後100年以上「典型的市民的自由主義者」、「大日本国憲法」「教育勅語」に批判的あるいは反対者である、という説が不動の定説だった。

 自由民権運動と遭遇した福沢は、「他日為す所あらん」との公約を破棄し『学問のすすめ』のように百姓や車引きまで啓蒙するのは断念すると表明して、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」と宗教教化路線に転じた。

 欧米「先進」諸国が、社会主義や労働運動の進展で「狼狽して方向に迷う」現実を認識した福澤は「強兵富国」の「無遠慮に其地面を押領」するアジア侵略路線を選択した。
同時代人からは「法螺を福沢、嘘を諭吉」(「日の出新聞」)と嘲られ、吉岡弘毅(元外務権少丞)からは、「我日本帝国をして強盗国に変ぜしめんと謀る」福沢の道のりは、「不可救の災禍を将来に遺さん事必せり」というきびしくかつ適切な批判をうけていた。
 神権天皇制を主体的に選択した彼は天皇制の本質を「愚民を籠絡する」欺術と見抜き『帝室論』冒頭で「帝室は政治社外のもの」と宣言した。(近代日本最大の保守主義者たる所以)

 福沢は日本人の「従順、卑屈、無気力」の性格・気質を「先天の性」「わが日本国人の『殊色』である」と賛美し...この国民性に依拠して以後の近代日本の資本主義的な発展を楽観的に展望した。翌年の教育勅語の発布を福沢が「感泣」をもって歓迎し...尊大な大国意識を持った排外主義的国民として立ち振る舞うよう国民を励ました...(その)福澤の先駆的罪業が21世紀の日本の精神的風土に道を開いた。
(日本人は未だ精神的「一身独立」を達成できていない。自分なりの見方考え方、自分なりに固執する原理原則にもとづき自主的に行動することが極めて不得手。集団意志の優先、自分では考えず環境に埋没。KY。) 


 労働者・農民だけでなく知識人までが、召集令状一枚によって、自己の生命と人生をいかようにも左右される、そういう国家に生きていたにもかかわらず、...そういう巨大な力をもつ<国家>とは一体なにか、それはいかなる原因や理由によって存在するのかという、「<国家>の本質、起源、存在理由」への「問いは、ひとびとの意識の上に、絶えて浮ば」なかったという衝撃的な事実を、小松茂夫は解明した。

「良心的兵役拒否」を規定した独憲法の下、1999年ドイツの青年の60.8%がこれを選択している事は、ジョン・レノンの「イマジン」の世界が夢想でない可能性を示唆する。

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目からうろこの「福沢諭吉論」を喝破された安川先生 (岡田)
 私が“松山から問う「坂の上の雲」全国シンポジューム”に参加しようと思ったのは安川寿之輔氏が講演者のひとりとなっておられることを知ったからである。
 恥ずかしながら私はつい最近まで安川氏を存じあげなかった。週間金曜日の8月27日号は『韓国「強制併合」から100年』を特集していたが、その表紙に「法螺を福沢 嘘を諭吉」という衝撃的な表現が書かれているのを見て、あわてて中を見ると、安川氏を編集部の成澤宗男氏がインタビューされていた(ちなみに週間金曜日では成澤氏の立ち位置に私は一番共感してきた)。表題は“虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治論」を撃つ”であった。

 これを読むまでは私の福沢諭吉の捉え方は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という天賦人権論者でありながら、後半は「脱亜論」を説き日本は西洋のように弱肉強食でいくべきだと、相矛盾したことを論じた人物だという程度の情けない認識しか持っていなかった。ところが、福沢諭吉こそが朝鮮の植民地化・昭和のアジア侵略戦争へと導いた思想家だというのだ。
それも私にとっては著名な政治学者として名前だけ知っている丸山眞男が福沢諭吉を「民主主義の先駆者」と持ち上げたことが一般国民に戦後もずっと福沢の本質を知らないままにさせた張本人だということも知り、まるで私は今まで何を学んできたのかと、自己嫌悪に陥ってしまった位であった。
 そこで早速安川寿之輔氏の著書「福沢諭吉のアジア認識」と共著の「「NHKドラマ『坂の上の雲』の歴史認識を問う」を購入して読んでみた。後者の安川氏の論文は短くてそれによりおおよそのことが認識できたのだが、前者の本は研究論文そのもので、(注)がしょっちゅう出てきてそれをいちいち見ていたらちっとも読み進めない。で、途中からは(注)は見ないで本文だけを追って読んだのだが、それでもなかなか難解ではあった。

 しかし、福沢諭吉の著書そのものを読んだことのない私にとってはショックの連続であった。朝鮮人・中国人に対して口汚く罵る蔑視の表現―「チャンチャン・・・皆殺しにするは造作もなきこと」「清兵・・・豚尾児、臆病」「朝鮮・・・人民は牛馬豚犬に異ならず」等‥―聞くに耐えないほどの下劣な表現には“百年の恋”(それほどはしていないが)も冷水を浴びせられたかのように消えうせてしまった。だのに、戦後の自由主義的思想界をリードしてきた丸山眞男などがどうしてそれを見破られなかったのかが、安川氏の著書を読んでいて不思議でならなかった。「丸山神話」といわれるように現在でも私たちは素晴らしい人だと評価されている人はそのまま信じ込んでしまうという弱さを持っている。ということは戦前の人々がお上からのお達しはすべて正しいと信じ込み戦争へと邁進していったのと私たちは変わらないのではないかと、深く反省させられたことである。
 さて、前書きが長くなりすぎたが、シンポジューム当日の講演のお話は、2冊の本の要約的なものだったので、時間的制約で早口で話されたがそれでもよく理解できた。そして初めてお目にかかった安川先生は70歳を超えてられるとはとても見えずお若くダンディであることに嬉しくなってしまった。あんなむつかしい本をお書きになるのだから、さぞかし固ぐるしいお方だろうかと思っていたが、きさくで庶民的で、私のような無知蒙昧なものにも気軽に声をかけてくださる、諭吉とは正反対の広い心の研究者であられることを知っただけでも、松山まで出かけていった甲斐があったと思う。
「交通費だけいただければどこでも講演に行きますよ」という有り難いお言葉を聞いて、すっかり安川ファンになってしまった私は、ぜひ機会を見つけて私の属する「平和友の会」(立命館大学国際平和ミュージアムでボランティアガイドを中心にして作っている市民団体)の学習会に来ていただいて再度お会いする機会が作れないかと思案しているところである。
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Daigo231『日本は朝鮮の独立のために日清戦争を戦ったのか-伊藤博文はよりましな帝国主義者だったか-』
       醍醐 聰さん(東大名誉教授)
 NHKが8月14日に放映した「日本の、これから ともに語ろう日韓の未来」のなかで「韓国と日本は、同じ大日本帝国の一員として、一緒に英米と戦った戦友だ。韓国併合のときは、韓国人を虐殺したわけではなく、帝国主義の時代でやむを得ずにやっただけだ」との発言と共に「3年間、韓国で韓国の人といっしょに歴史を勉強したが、...私はまず知ることだと思う。...そこから生まれる謝罪が本当の謝罪だと思う。」との発言もあった。
 今日は「まず知ること」のための「事実」を提供したい。

 日本は日清戦争を「受け身の」「祖国防衛戦争」として戦ったのか?
1894年6月9日清国軍は東学農民軍鎮圧のため牙山に上陸、同日、日本軍も「日本居留民保護」のため仁川に上陸した。外国の介入を避けるため農民軍は政府と和約し撤退した。(全州和約)
現地は平穏で大島公使は増派を思い止まるよう繰り返し政府に打電している。
 NHKドラマでは6月2日に出兵を閣議決定した際、伊藤博文に「実際に戦うわけではない」といわせたが、その後いきなり7月25日に飛んで豊島沖で戦闘が始まったと伝えた。これではなぜ全面戦争になったか何も解らない。
 実はこの間に「現代日本人に勇気を与える」ためには不都合な事実があった。
対清開戦を決意していた政府は「大義名分」を得るため、朝鮮政府に「清国軍排除」の要請文を出させる計画を立て実行した。7月23日朝鮮王宮を武力占領、国王高宗を無力化し大院君から「文書」を出させた。司馬のいう「受け身の」「防衛戦争」とは正反対の事実があった。
 歴史の教訓をしっかりと伝えることがNHKに求められる社会的責任であると考えるが、<戦地での宣戦布告の手順>という局所だけがズームアップされ日本政府の武力的威嚇、朝鮮の主権侵害という不法行為は黙殺された。

★東学農民兵士側は負傷後死亡を含め5万人以上の死者、日清戦争での日本軍戦病死者2万人の倍以上である。

 原作とドラマは伊藤博文をどのように描いたか?朝鮮の自治を尊重した平和主義者と描く歴史歪曲
★ 伊藤博文をめぐる日韓の記憶と評価の落差
 この6月から7月にかけてNHKと韓国のKBSテレビが共同で世論調査を実施し、その中で「相手の国で思い浮かぶ人物は誰か」を尋ねたところ、日本人の間では、「冬のソナタ」の主人公を演じたペ・ヨンジュンが1位であったのに対し、韓国人では、初代韓国統監だった伊藤博文が1位という結果だった。このことは伊藤博文が多くの韓国人の間で日本による植民地統治時代の暗い歴史の象徴として今でも記憶にとどまっていることを意味している。
 また、日韓・日本の歴史学者の間でも彼を日本による朝鮮の植民地統治のレールを引いたまぎれもない帝国主義者とみる見方と、彼を朝鮮の自治を尊重し(自治植民地構想)、朝鮮の近代化に心血を注いだ「よりましな帝国主義者」と評価する見方が今なお鋭く対立している。

伊藤之雄(京都大学教授・日本近現代史専攻)
「伊藤は、帝国主義の時代の列強の国際ルールに制約された韓国統治を行った。そのルールとは、自国を防衛する力がない国は侵略されても仕方がないというものである。」
「伊藤博文は韓国併合に反対であり、韓国国民に帝国主義の時代の厳しさを知らしめ、その自発的な協力を得て韓国を近代化させようとした。しかし彼の統治は韓国国民の支持を得られず、09年4月には併合に賛成せざるを得ないと決意するに至った。しかし併合後も、朝鮮に朝鮮人の『責任内閣』と植民地議会を置く形で、ある程度の『自治権』を与え、朝鮮の人々と対話を続けていくことが大事だと考えていた。また、『武装の平和』である帝国主義の時代を、批判的に見る観点も持つようになった。」(『毎日新聞』2010年7月13日)

 司馬は「伊藤博文が非戦のための尖鋭的存在であったことは、伊藤という人物がいかにファナティシズムにまどわされず、政治家として現実主義的思考をくるわさずに生き得たかという点であらためて評価を重くしてやってもいい」という。

しかしイソングン(朝鮮日報編集局長)はいう。
 「最近にいたるまでもこの事件(伊藤博文暗殺事件)に対し、日本人の中にはっきりした史実を無視し、次のような怪説を流布して内外の正確な判断を困難ならしめている者がいる。『伊藤博文はその実、早くも韓国併合に反対し、これを主張する軍部を牽制していた唯一の大物であった。ところがその点を察せず韓国人安重根が伊藤を射殺したため、韓国の併合がかえって促進された...云々。」
「伊藤博文こそ、帝国主義日本のため軍部と呼吸をともにしながら、対韓侵略から韓国併合にいたるまでの基本政策を樹立しこれを推進した張本人である。弱肉強食の「併呑」を目標に立て先頭に立って推進したのが、高宗皇帝の廃位であり、7条約の締結であり、軍隊の解散であり、新聞紙法、保安法の公布施行であった。このような伊藤の行動をだれが『韓国に対する侵略や併呑でなく保護』であったと言えようか」

 伊藤博文は朝鮮の自治を尊重した臆病な平和主義者だったか?
★ 伊藤博文が主導した「第2次日韓協約成立」の実態が知られていない事が問題。「之(伊藤案)を承諾せられずとてその儘黙止するものにあらざることを記憶せよ」と脅迫するのみでなく「断然不同意なるも...(皇帝の)命令なら詮方ない」とする大臣も=賛成とカウントし“多数”で決したことにする。(皇帝は反対)
そのとき5人の大臣、侍従長が自殺している。

★ 韓国 李垠皇太子の人質化と「王家断絶」の企て、梨本宮方子妃の悲劇も知られていない。

 司馬遼太郎の朝鮮観の揺らぎとその限界
 司馬の朝鮮観はその後、揺らいでいた。その揺らぎは朝鮮観にとどまらず、日清・日露戦争を「祖国防衛戦争」と規定した司馬の根幹的な歴史観にも及んでいた。司馬は1988年に日本放送協会出版から刊行した『「昭和」という国家』の中で韓国併合について次のように語っている。
「われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。おそらく朝鮮半島の人びとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう。」(37ページ)

 朝鮮民族のことを「堂々たる数千年の文化を持った、独立してきた国」と語る司馬の後年の朝鮮観と、「韓国自身、どうにもならない。李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった」(第二分冊、50ページ)という朝鮮観はどのような後知恵を以てしてもつじつまがあわない。
このような後年における朝鮮観の揺らぎが『坂の上の雲』のドラマ化を拒んだ司馬の意思の根底にあったのかも知れないが、彼はそれ以上、何も語らなかった。自分の歴史認識の不明を告白することは「国民的作家」司馬にとって堪えられなかったからか?
 しかし、そうすることで「国民的作家」としての司馬の体面は保たれたかもしれないが、『坂の上の雲』で歪められた歴史、貶められた朝鮮人の尊厳は回復されない。

最後に朝鮮植民地統治の実態を外務省調査局が次のように回顧していることを紹介して結びにしたい。

「羊は羊として自由に野に放ち、草を喰わせておいた方が飼い主にとっても気楽であり、経費も精々牧童と番犬位で安上がりだ。
ところが羊を放牧すれば誰かに盗まれてしまうかも知れない逃げ出してしまふかも知れないと言ふ心配から一匹や二匹の損失を無視する度胸もなく経費を掛けて柵をめぐらし、却て羊を瘠せらせたり或は羊を畜生扱ひをするに忍びず、これに人間的待遇を與へんとして羊は却て有難迷惑をすると言ふ飼主もある。
かういふ小飼主は所詮羊によって儲ける資格はないのである。」(『朝鮮統治の性格と実績』1946年)
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Iguti41『日露戦争は祖国防衛戦争だったか-歴史研究者の立場から-』
       井口 和起さん(京都府立大名誉教授)
 日露戦争は、国民の命を守るための祖国防衛戦争ではないということ、日本が朝鮮に対する支配権を確保するために始まった戦争であることは今や誰も否定しない。問題は、なぜ日本が朝鮮を支配しなければならないと考えたかということだ。
それは第一に、明治政府は明治の最初から朝鮮を無礼な国(『木戸孝允日記』など)であるとし、近世的な日朝関係を「私交」と否定し、朝鮮は天皇国家に「朝貢」すべきであると考えたから。
第二に、江戸時代から「武威」に基づいて周辺の国々を服属させようとしてきた、それを新たな「万国公法」体制の中での「国体論」的対朝鮮関係へ転換しようとしたから。しかし、「武威」は開港後幕藩体制の崩壊とともに崩壊した。これをどのように再編するか?山県有朋の建議によって、1880年代から攻勢的戦略論が成立し、1890年頃には「朝鮮」を焦点に「武威」の近代日本軍国主義への転生がなされた。
 
  開戦は避けられなかったか?
 外交交渉の経過をたどっても答えを見つけることは難しい。日本は、朝鮮だけは絶対に譲らないという基本路線を定めて、ロシアとの外交交渉に入った。この対露交渉の電訓案(在露公使宛)の起草を小村外相から命じられたデニソン氏は、開戦の断固たる決意が日本政府にあると判断するならば、つとめて友好的で平和への誠意を示す内容にするべきだとしている。(『石橋湛山全集』)故に、外交文書から日本政府の真意は読みとれない。

 「開戦世論」はどのように作られたか?
 新聞の責任は大きい。「萬朝報」(1903.10.19.社説)は「事実の報道よりも寧ろ人を驚かすことを貴しとする傾向あり、人を驚かしむるが如き事実の欠乏せる場合には、これを製造して報道す」と書き、新聞の実態を自覚していた。そうして、ロシアの「脅威論」に巻き込まれ、「開戦論」に転じた。他の各紙も同様。日本のジャーナリズムは、このことについて深刻な自己批判をしているのか。現在の日本の大新聞あるいは大放送は、「坂の上の雲」のことだけでなく、日本の現在の様々な問題についての報道をどう考えてやっているのかを、我々は真剣に考え見抜く力を持たねばならない。

 国民は本当に「国難」だと思っていたのか?
 色川大吉氏は『明治の文化』で、「私は日露戦争は国際的な意味での帝国主義戦争であったと思う。だが、その複雑であったところは、…中略…日本とロシアの衝突を宿命的な『国難』として受け止め、民族存亡の危機を一身を捨てて打開しなければならない、と観念した日本人民の意志であった。」といっている。ここで問題は、開戦前に日本人が『国難』だと受け取っていたかということである。我々は、開戦前と開戦後をきちんと分けて、それぞれに議論を立てていかなければ、祖国防衛戦争論の泥沼に陥ってしまう。色川氏のいわれるような日露戦争の性格を、国民的に大宣伝してそのようなイメージを作り出したのは、日露戦争が終わってから25周年(1929〜30年)以後。さらに、30年代にはいると柳条湖事件が始まる。その前後の25〜30周年に、大々的な日露戦争記念行事が行われ、「敵中横断三百里」が出た。1923年生まれの司馬遼太郎は、少年の頃これを読み、そのイメージがいつまでも残っていたのではないだろうか。

「主権線と利益線」山県有朋が既に88年1月軍事意見書を書いたが上奏はしていない。シュタインは朝鮮の「中立化」の選択もありと示唆したが。
大韓帝国の「光武改革」や、清国も強国の利害バランスを利用する彼らなりの策をとり努力。日本人は自力更生出来ない彼らを笑ったが。しかし現在の日米関係を考えると彼らを笑えるか。
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Takai31『司馬は明治日本像をどうやってつくったかーその「からくり」』
   高井 弘之さん(「検証ー坂の上の雲」著者)
 日清・日露戦争は清・露との戦争だがこの期間の核心的当事者=朝鮮の抵抗を排除する戦争(東学農民戦争、王妃暗殺、義兵掃討)は知られていない。「坂の上の雲」は之を「削ぎ落と」し排除する。日清・日露は朝鮮植民地化戦争の派生物であるともいえる。

 賛美すべき「明治日本像」の作り方ー視点と立ち位置
「われわれ日本人(の内支配層の男)」の物語
「第三艦隊は全滅してもよかった。..ぜんぶ沈んでも日本側にとってごく小さな損失でしかない。」(兵の命は無料とみる司令官に自らをなぞらえる)
 証拠・根拠・史料を示さず断定的に賛美
「世界史のうえで、...日清戦争から日露戦争にかけての十年間の日本ほどの奇蹟を演じた民族は、まず類がない。」「何しろ人類が戦争というものを体験して以来、この戦いほど完璧な勝利を完璧なかたちで生みあげたものはなく、その後にもなかった。」ーそんなことどうしたら解るのか。誇大妄想的。
 歴史歪曲
日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった。
前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始。
中国人の土地財産をおかすことなく、...

★ 歪曲できないときは詐欺的手法で正当化
 都合良く定義した「時代」のせいにする。
「他国の植民地になるか、...帝国主義国の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。...日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。」ーー「だからしかたがなかったのだ」と正当化のためのいいわけ。日本は「帝国主義的アジア分割」の旗振り役になった。
 地理的位置のせいにする。
「原因は朝鮮にある。といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある。」 戦争を起こす「国家の能動的意思」の隠蔽、免罪
 都合の悪い設問は「科学」という言葉を恣意的に使って封印。
「どちらがおこしたか、という設問はあまり科学的ではない。...四捨五入してきめるとすれば、ロシアが八分、日本が二分である。..この皇帝(ニコライ二世)の性格、判断力が、この大きなわざわいをまねいた責任を負わなければならない。」
「ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。...日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかった。」
 「当時の世界観は違っていた」と正当化 (略)
★ 日本型オリエンタリズムー朝中露と日本の優劣関係で描くことにより日本賛美

 司馬はなぜ賛美すべき「明治日本像」をつくったか
ー司馬の願う「日本像」の構築へ

●司馬の反戦的言辞もあるが明治の「常識」すなわち→
1.征韓論 =「王政復古」したのだからと「記紀神話=神功皇后三韓征伐的朝鮮の属国化」を当然視
2.日清戦争=「文明と野蛮の戦争」
との「思想・認識の枠組みの中」つまり福澤諭吉と司馬は同じ枠の中いる。「文・野の戦争」論は「ブッシュ戦争」の中でも現れている。
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Takei221「坂の上の雲のまちづくり」報告 松山市議会議員 武井多佳子さん
 第一の問題は、松山市は「坂の上の雲」を軸とした21世紀のまちづくりの基本理念を作成し、貴重な指針にしようとしていること。
小説に一つの解釈をつけ、まち全体の政策に組み込んでいった事は大きな間違い。ドラマが始まる前に教育長が小中学生全員にチラシを配った。これが一つの解釈を持って進めていく問題の象徴的なことではないか。
 第二は、箱物ありきの事業だということ。
町全体を屋根の無い博物館、フィールドミュージアム構想とし、30億円をかけて記念館、ミュージアムを建設した。年間1億9000万円ほどの維持費がかかる状況となっている。
第三の問題は、協定書に基づくまちづくりだということ。
基本計画の具体化に際しては、「司馬遼太郎記念財団が意見を述べ、意義を述べる権利を保有する」との協定書を取り交わした。記念館の建設や展示計画、監修、入場料に至るまで、すべて財団の許可を得、手数料を払わなければならない。まちづくりとは誰でも自由な発想で関われるもので無ければならない。
第四に、作者自身も映像化を望んでいなかった小説をまちづくりに取り入れた市政の責任は大きい。
今問うべきはアジアの国々を植民地化した歴史の真実から目をそらして、何故わくわくするのかと言う事ではないか。この課題を乗り越えて始めて、松山市の国際文化観光都市が名乗れるのだと思う。

 広告代理店に多額の税金を払って描いてもらった事業を後付の委員会で了承するような形で、市民参加といえるのか?
何より一貫して主人公たちを、高い志を持ってひたむきに努力する人たちと訴え、市民にその実現に向けて努力するよう訴えている。しかし努力しても報われない事が沢山ある。そんな弱い立場になった時の支え合いや分かち合いこそが行政が担う役割だと思う。ぜひ冷静な目で多方面から評価、検証してほしい。議員になってから三期目、ずっと坂の上のまちづくり問題を議会でやっている。議会だけでなく、この問題性を全国的に取り上げてもらい心強く思っている。

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Ijiti311パネルディスカッション
司会進行: 伊地知紀子准教授・愛媛大学法文学部人文学科
 私は韓国済州島の生活史を15年にわたりやってきました。途中2年間は島に住み込み、生活を共にしました。島民は100歳以上の方が少なくなく彼らにとって「韓国併合100年」は決して過去の事ではない。

私たちが知らされてこなかったことは何か。
安川さんは、学者の作り出してきた現実、高井さんは司馬に焦点を当て、醍醐さんはメディアによる再構成、武井さんはそれが建物、看板として現実にどう現れているか、井口さんはこの現実が造形される以前の認識と「世論操作」について報告された。
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●安川
「たかが小説ではないか」との質問があったが司馬自身が「この小説は...事実に拘束されることが100%にちかい」「どうにも小説にならない主題」と言っている。
●醍醐
さらに補足すれば司馬は「坂雲にかぎっては..事実関係に誤りがあればどうにもならず..気がついたところがあれば訂正..を繰り返した。」と書いている。
対話には共通の「事実」の基盤が必要だ。「歴史観」などというまえに「事実認識」がなさすぎると言う意味で、今日は当時の当事者の「事実」を指摘した。
●井口
「事実に拘束される」件について言えば「軍事面」に限定しても「旅順攻略」など誤りが多い。
それより歴史を語る場合、戦争の舞台となった朝鮮を頭にいれない「歴史像」など全然ダメという真偽を見分ける力。これが国民の中にない。
 この国民的枠組みができていないがため、外交戦略がたたない。これが「外国から見られている」という重要な点に日本人は気がつかない。
だから拘ざるを得ないわけです。明治の政治家たちは「外国からどう見られるか」「バカにされたくない」との意識が過剰なほど強かった。
●高井
大多数の人が「坂雲」のなかで実在の人物が語っていることは事実と思ってしまう。(実際は司馬の考えをしゃべらせられている)
司馬は「従来の日清・日露戦争」観は間違っている、とし「新しい歴史観」を強調している。この部分は「小説・フィクション」ではない。
司馬は「昭和は例外」とし、「美しい本来の日本像」を造形した。
●伊地知
本日のシンポジウムは集中講義15回でも足らないほど濃密なものであったとおもいます。
●安川
22年間学生のアンケートを採っているが基本的な重要なことが教えられていない。
1.アジア太平洋戦争の開始日を知っている学生はゼロ、(終了日はかろうじて半数が
2. 戦後,独伊で国旗国歌が改められた事は教えられていない。
3.憲法違反確定の靖国参拝に賛成の学生が70%以上。
(会場から) 学生だけでなく大人も教えられていない。
●醍醐
公共放送NHKは「異なる意見の場の提供」が必要と考える。
まず「最低限同感できる場」から出発すべきではないか。
●井口
「異なる意見」との対話を重視した運動の進め方に賛成。
残念なことに学者仲間でも1905年の日韓協約有効派と無効派の間の対話は期待できない状況。
良心的兵役拒否については湾岸戦争参加は祖国防衛と関係ないとして兵役拒否した韓国兵の観点も重要。
●安川
「良心的軍務拒否」は現代の問題であり「エーレン・ワタダ陸軍中尉、パフ少佐(独)」の例をあげておいた。
●高井
日本社会で加害認識を妨またげる要素をかえてゆく。
NHKプロジェクトJAPANは「植民地の危機の強調」により加害側面を免罪している。
また「弱肉強食の世界で伊藤もアンジュングンも国の独立のために戦った」とのべ、二人を同列におく。
●武井
「坂の上の雲のまちづくり」の後ろには大変な問題があると感じました。
●学生
明日
学術講演会「日朝関係を考える」
学生発表「韓国併合と現在を問う」
    「韓国研修発表」
前広島市長・平岡敬氏 講演
「朝鮮人被爆者の復権」
会場:グリーンホール
がありますので是非ご来場を!
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Nisi471意見交換会・質疑応答(パネリストを囲んで)
司会進行:西原一宇さん

●中島
 日韓併合は不当だが合法・有効論(海野「日韓併合」等)が優勢で政府見解でもある中でNHKの放映はだめ押しになっている。「坂雲」が明治ではなく現在の問題という共通認識が必要。また大逆事件100年も無視されている。昨年7月に京都でStartさせたものとして、本日松山で全国シンポジウムが開かれたことに感銘を覚える。
○岡田
安川氏の著作を読み、福澤がこれ程「朝鮮・中国蔑視観をあおっていること」を知り、愕然とした。彼は朝鮮・中国にいったことがあるのか?
●安川
福澤は三度の洋行の途中「印度、支那」に立ち寄っている。(印度・支那の土人等を御すること英人に倣うのみならず、その英人をも窘(くるし)めて東洋の権柄を我一手に握らん)
福澤は最初は日中朝鮮は「文明、半開、野蛮」の「半開」段階に同列にあるとし、最初から朝鮮・中国蔑視観をあおったわけではない。朝鮮侵略を決断して(武力を用いても其の進歩を助けん)からその合理化のために朝鮮・中国蔑視観を喧伝した。

○ 井口さんへ質問です。維新政府が朝鮮を朝貢国と見なした件。朝鮮通信士はどうだったのか。
●井口
その件は時間がかかる。別途場を設けたい。
なぜ日本人は幕末明治ものが好きなのか。
明治維新は日本民族の誇りの出発点でもある。(自力でやったことは評価できる)
NHKプロジェクトJAPANは「日露戦争」の取材にきている。
韓国には取材に行けないということが最大の欠陥。中国へは行った。

○ (JCJ広島)
キムオッキュン(金 玉均)と脱亜論の関係。韓国学者の考え。
韓国では「歴史を動かす力」をどう理解しているか。
●高井
司馬も小説の中で「秩序を突き崩す下からの力」に言及しているがそれが「歴史を動かす力」とは全くみていない。しかし東学農民軍の中には「自主自律」の「独立共同体」が芽生えていて「朝鮮の悪政改革」をめざした。日本軍はこれを「悉(コトゴト)ク殺戮」した。
●安川
金 玉均と脱亜論の関係は週刊金曜日の論争のなかで雁屋哲が適切にのべているので見て欲しい。
http://kgcoms.cocolog-nifty.com/jp/kinyoubi1.html

○松山 サラリーマン
松山は大政翼賛会状態で司馬遼太郎を批判できない。
なぜ司馬遼太郎がこんなに読まれるのか。
醍醐さんへ質問 NHK杯などで広告がたくさん出ているが問題にならないのか。
○学生
司馬は”明るい明治と暗い昭和”イメージと大衆迎合的発言で国民作家となった。司馬の立ち位置は?
○愛媛大法学部 学生
たとえば松下幸之助を尊敬し彼を目指すような学生にとってこのような批判は有効か。
●高井
司馬の本を読んで気持ちよくなるという話があったが、NHKに出した質問状の回答は”現代日本人に勇気を与える”というものだった。現実から離れた物語、ひとりよがりの物語からくる勇気とはどんな勇気か。別なところでその勇気をさがすべき。
○一女性
NHK番組で司馬は「戦争責任」について問われたとき”ノーコメント” ”次世代に求める”といった。どう思うか。
●安川
戦争責任に誠実に自主的に向き合っていることが、判断のメルクマール。家永三郎は自らの責任を自覚し「教科書裁判」を起こしたが、その親友、丸山眞男は共産党の前衛としての戦争責任を論じる一方、みずからが「わだつみの学徒兵」に「一人一人が主体的に祖国の運命を担う」「個々人の自発的決断」を呼びかけたことについては固く口を閉ざしている。
●醍醐
国家の責任と個人の責任の問題の関係。
国家責任を否定するたとえば「日本は明治維新ができ、近代化したが、中国や朝鮮半島は近代化できなかった。日本は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」(2010年3月27日、枝野幸男・民主党幹事長)のような政治家を選出する国民の責任は。
高倉健主演の「ホタル」の中では、朝鮮で徴兵された学生が卒業式が終わるとトラックにのせられ、知覧(特攻隊)につれてこられた話がでている。
●西原
今回の「全国シンポジウム」準備、手配はほとんど愛媛大の学生さんがやってくれました。深く感謝します。
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