時事小言 1

1タイトル  時事小言
別タイトル  Commentary on the current problems
著者  福澤, 諭吉 (Author)
出版地  東京
出版者  [福澤諭吉]著者蔵版
出版年  1881 (明治14)
識別番号  福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A33
請求記号: 福 33-1 著作
[解説]
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=97
前記「国会論」の項に記したように、初め「国会論」の続編のつもりで起草され、後に「時事小言」と題して明治十四年の秋慶応義塾出版社から刊行されたものである。明治十四年の政変直前に東北御巡幸に供奉中の大隈重信に使を以てこの書の仮製本五部を届け、その序でに東京の政界の雲行を報告したことがある。
 四六版洋紙活版刷、扉一丁、緒言九頁、目次一頁、本文三二〇頁、奥附一丁、福沢氏蔵版目録二頁、黒色クロース仕立て、背に「時事小言 全 福沢諭吉著」の文字に飾り枠を配し、金箔打込みの装丁である。扉は「福沢諭吉著/ 時事小言全/明治十四年九月出版著者蔵版」の文字を三行に記しこれを飾り枠で囲った意匠で、左下隅に「福沢氏蔵版印」の朱印が捺してある。奥附には「明治十四年八月廿三日版権免許/著述出版人東京三田二丁目二番地福沢諭吉/売捌書林山中市兵衛東京芝三島町拾四番地/丸善商社同日本橋通三丁目拾四番地/慶応義塾出版社同三田弐丁目二番地」と記してある。右下隅に「定価金壱円五十銭」の朱印が押してある。
 本文はその頃新聞に使われた五号活字で組んであり、残存している原稿を見ると、一枚ごとに、鉛筆で「宮」「柴」「久保多」「遠」「荒」「井」「久」「大」「村」といふような文字が書き入れてある。察するに文選もしくは組版の職工の姓の頭字であろう。慶応義塾出版社では既に「民間雑誌」と題する目刊新聞を発行した経験もあり、又この頃から新たに新聞刊行の計画もあり、新聞活字を大量に取揃えたので、仕事の段取りが新聞の工場らしくなって来たものと察せられる

時事小言
九 頁
時事小言緒言
一、本書は昨年来、時勢に感ずる所あれば随時窃(ひそか)に
之(これ)を書記(かきしる)して筐底(きようてい)に収め置きたるものを集め
て、遂に一書六編に編纂したるものなり。蓋(けだ)し時
に居て時を語るは政事家の事にして学者の本
分に非(あら)ず。余は政事家に非ず。時事に迂(う)なり。迂に
して語るは自(みず)から取らざる所なれども、抑(そもそ)も亦(また)止(や)
むを得ざるものあり。維新の初(はじめ)に当てその革命を
王政復古と称し、天下の人皆その復古の文字を読
でその義を解する者少なく、復古とは鎌倉以前、王
代の古政に復することゝ想像したりしにや、大義名分、普天〔率〕卒土、政祭一途、云々等の議論世間に流行して、啻(ただ)に政機当局の人のみならず、世の耳目(じもく)たるべき学者、論客に至るまでも、その流行に流されて嘗(かつ)て自己の主義を唱る者なく、輿論(よろん)の風に吹かれて名利(みようり)の海に浮沈し、民権等の談に至ては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。記者に於(おい)ては聊(いささ)か不平なきを得ず。大義名分以下の事は固(もと)より大切なるものなれども、その一方に思想を委(ゆだ)ねて目的を定め、却(かえつ)て民権護国の何物たるを忘れたらば遂にはその目的をも誤るに至るべしと思い、是(ここ)に於てか西洋の書を翻訳し、又その書の主義に従て新(あらた)に書を著わし、以(もつ)て斯民(しみん)をして政治の思想を抱かしめんことを勤めたれども、之に応ずる者誠に寥々(りようりよう)たり。思うにこの時に当ては天下の人も亦記者に対して不平なりしことならん。一、当時記者は誠に望洋(ぼうよう)の歎を為(な)し、迚(とて)も我主義に応ずる者はなきことゝ、或(あるい)は一度は覚悟したる程の次第なりしかども、国歩の進捗(しんちよく)は亦意外のもの
にて、日新教育の影響、近年に至ては民権の議論漸(ようや)く盛(さかん)にして、殆(ほとん)ど普通の常談たるが如(ごと)し。今日その学者、論客を見るに、数年間に少年の成長して大人たる者なり、前年の輿論を脱して今の新主義に移りたる者なり。恰(あたか)も一人にして二生あるが如(ごと)し。誠に愛すべし誠に祝すべしと雖(いえ)ども、本書第二編に云(い)える如く、新に衣を製したる者は頻(しき)りに之を着てその敝(やぶ)るゝを知らず、初て馬を飼うたる者は漫(みだり)に之に乗てその疲るゝを忘るゝの事実に違わず、この輩が興(きよう)に乗じて頻りに民権論を唱
えて却て大に忘るゝ所の者あるは、記者に於
て再び不平なきを得ず。即(すなわ)ちその忘るゝ所のもの
とは何ぞや。国権の議論、是(これ)なり。記者は固(もと)より民
権の敵に非(あら)ず。その大に欲する所なれども、民権の伸
暢(しんちよう)は唯(ただ)国会開設の一挙にして足るべし。而(しこう)して
方今(ほうこん)の時勢これを開くことも亦(また)難(かた)きに非ず。仮令(たと)
い難きも開かざるべからざるの理由あり。然(しか)りと
雖(いえど)も国会の一挙以(もつ)て民権の伸暢を企望(きぼう)し、果し
て之(これ)を伸暢し得るに至て、そのこれを伸暢する国
柄(くにがら)は如何(いか)なるものにして満足すべきや。民権伸
暢するを得たり、甚(はなは)だ愉快にして安堵(あんど)したらん
と雖(いえ)ども、外面より国権を圧制するものあり、甚だ
愉快ならず。俚話(りわ)に、青螺(さざえ)が殻中に収縮して愉快
安堵なりと思い、その安心の最中に忽(たちま)ち殻外の喧
嘩異常なるを聞き、窃(ひそか)に頭を伸ばして四方を窺(うかが)
えば、豈(あに)計らんや身は既(すで)にその殻(から)と共に魚市(うおいち)の俎
上(そじよう)に在りと云(い)うことあり。国は人民の殻なり。その維
持保護を忘却して可(か)ならんや。近時の文明、世界
の喧嘩、誠に異常なり。或(あるい)は青螺の禍(わざわい)なきを期す
べからず。この禍の憂うべきもの多くして之を憂る

人の少なきは、記者に於(おい)て再び不平なきを得ざ
るなり。唯(ただ)如何(いかに)せん、今日は是(こ)れ民権論一偏の世
の中なれば、世論或は却(かえつ)て記者に対して不平な
るものもあらんと雖ども、今後十年を期し、その論者
が心事を改めて今日の記者と主義を同(おなじ)うする
の日を待つのみ。
一、本書六編は全く記者の不平より成りたるもの
にして、即(すなわ)ちその時事を語て人に少年視せられ、才
子視せらるゝをも憚(はばか)らざる由縁なり。幸に(さいわい)して
大方(おおかた)の士君子がこの書を一覧して説を同うする

あらば、記者の満足これに過るものあるべからず。
時事を語るも尚(なお)且(かつ)学者の本分に非ず。況(いわん)や時事
を行うに於てをや。記者の関する所に非ず。記者
の一身の私(わたくし)に於ては毫(ごう)も不平あるなし。唯(ただ)同説
の人を得て世論を動かし、遂に之を事実に施す
者あるを見れば、爰(ここ)に宿志を達したるものなり。
彼の鳶(とび)、烏を射撃する者を見るに、その肉を食うが
為(ため)に非ず、唯これを打落すを以て目的と為すが
如(ごと)し。記者も亦斯(かく)の如し。その目的は唯時事を語て
時勢を変ずるに在るのみ。時事を取て時事を行
16p

うは本意に非ざるなり。 明治十四年七月二十九
日東京三田に於て 福澤諭吉 記

目録
第1編 内安外競之事
第二編 政権之事 附国会論
第三編 政権之事 前編之続
第四編 国権之事
第五編 財政之事
第六編 国民之気力を養う事

時事小言
福澤諭吉 著
第一編 内安外競之事
天然の自由民権論は正道にして人為の国権論は権道なり。或(あるい)は甲
は公(おおやけ)にして乙は私(わたくし)なりと云(い)うも可(か)なり。抑(そもそ)も天地の間に生々する
人類にして、自(みず)から労して自(みず)から衣食し、一毫(いちごう)も取らず一毫も与え
ず、自(みず)からその適する所に従て心身の快楽を致し以(もつ)て死すべし。人間
の正道なり。この道の中に在て顧(かえりみ)て俗世界を看来(みきた)れば、その妄漫(ぼうまん)無条理
なること殆(ほとん)ど名状するに堪えず。元来この俗世界に於(おい)て金玉視(きんぎよくし)する
所の法律とは抑も何ものなるや。唯(ただ)是(こ)れ復讐の具にして、無用の長
物、有害の障碍(しようがい)と云うべきのみ。人を殺す者を死刑に行えばとて、その

殺されたる者が蘇生すべきに非(あら)ず。人の財物を盗(ぬすみ)たる者を懲役に
処すればとて、その財物が旧主人の手に返るべきに非ず。唯無益に人
類を苦しめ以て一時の怒(いかり)を慰るに過ぎず。小児の戯(たわむれ)と云うべし。自
労自食、固(もと)より天然の約束にして疑(うたがい)を容(い)るゝ者あるべからず。然(しか)るに
今日の実際に於(おい)ては決してその然るを見ず。貧者は労して尚(なお)饑寒(きかん)に
迫られ、富者は逸して常に坐食す。彼の金穴(きんけつ)と称する者を見よ。父祖
の遺産を承(う)けて之(これ)を私有し、身に尺寸(しやくすん)の功労なくして家に巨万の
富を重ね、その富を保護するには法律の有るあり。労者餓(う)えて逸者飽
く。不公平も亦(また)甚(はなはだ)し。畢竟(ひつきよう)今の法律を以てこの不公平を致すものと云
うべし。無用の長物、有害の障碍に非ずして何ぞや。
又所見を広くして全地球を通覧すれば、茫々(ぼうぼう)たる宇宙、人無数、人生

僅(わずか)に五十年、一視(いつし)同(どう)仁(じん)、四海(しかい)兄弟(けいてい)、天与の物を平等に衣食して以てこの
五十年を経過せんのみ。何ぞ区々(くく)の利害に関して喜怒哀楽の情を
煩(わずら)わすに足らんや。民権自由の極意(ごくい)は蓋(けだ)しこの辺に在て存するもの
なり。人類を万物の霊と称して万物の上流に位(くらい)せしめ、この地球を私
用して果して妨(さまたげ)なきものとすれば、人々自(みず)から土地の一部分を占
め、万物の幾部分を利用して可なり。何ぞ殊(こと)更(さら)に国を分(わか)つことを為(なさ)ん
や。或は山川河海の形勢に従て天然の地理を区分するが為(ため)にとて、
此(こ)れを亜細亜(アジア)と名(なづ)け、其(そ)れを欧羅巴(ヨーロツパ)と称し、又その中に日本と云い、支
那と云い、英と云い、仏と云うが如(ごと)きは、記憶を便利にするが為(ため)に妨(さまたげ)
なしと雖(いえ)ども、国を分(わかち)て又随(したがつ)て政府なるものを作り、人意を以(もつ)て天然
の土地を分割して、その土地人民を管轄するが為にとて君主又は統

領等を置き、その名義を以て一国の事を左右す。その状恰(あたか)も天有を私有
するものにして、人類の僭越(せんえつ)と云(い)うべし。尚(なお)甚(はなはだ)しきはこの人為の社会
中に階級なる者を作為し、彼(か)れは此(こ)れより
も貴く、此れは其れよりも賤(いや)しとて、同様一型の形体を具したる人類に、上下貴賤の別を定
めて、無理に栄辱(えいじよく)の口実と為(な)すが如きは、啻(ただ)に無益なるのみならず
徒(いたずら)に具眼者(ぐがんしや)の一笑に附すべきのみ。結局今の人間社会の国なり政
府なり又法律、習慣なり、之(これ)を一掃し去て人民の財産、権利を平等一
様に分布するに非(あら)ざれば、天然の民権論はその力を逞(たくまし)うすること能(あた)わ
ざるものなり。
右は天然の自由民権の正論にして、遽(にわか)にこの論を聞き心を一にして
唯(ただ)一方に思想を注げば毫(ごう)も不正の点を見ず。人間世界は斯(か)くあり

てこそ始めて真の人間世界なれと思わるゝが如し。読者は果して
如何(いか)なる感覚を起したるか。請う、先(ま)ず記者の所見を述べん。元来こ
の正論は、今のこの世界の人類を十全円満無欠の者と想像し了して
論を立(たて)たるものなり。この世界をして果して堯舜(ぎようしゆん)の叢淵(そうえん)、釈迦(しやか)、孔子(こうし)の
社中ならしめなば、法律も固(もと)より無用にして、却(かえつ)て衆聖人の行為を
妨るの障碍(しようがい)ならん。況(いわん)やこの法律を作り又随(したがつ)て兵備を設け、是等(これら)の事
務を処するが為に政府を置き、その政府の費用を支弁するが為に国
税を徴収す。恰も我(わ)が銭を投じて我が行為を妨るの具を買うに異(こと)
ならず。謂(いわ)れなきの甚しきものなれども、如何(いかに)せんこの社会は善人の社
会に非ず、善悪相混(あいこん)じ堯舜、盗跖(とうせき)相隣するものにして、現に今日我輩
と雖ども、戸外に出る一歩にして兇徒、窃盗、掏摸(すり)の輩と雑居するに非

ずや。仮令(たと)い或は人を殺し物を盗むに至らざるも、人を欺く者あり、
約束を履行せざる者あり。悪事百端、齟齬(そご)千緒、枚挙(まいきよ)に遑(いとま)あらず。この点
より見れば今の世界は円満無欠の域を去ること甚(はなは)だ遠く、唯(ただ)僅(わずか)に人
力に依頼して諸(もろもろ)の欠典を弥縫(びほう)修飾し、辛(かろう)じて人間社会の体裁を備
るものと云うべきのみ。然(しか)り而(しこう)してこの弥縫修飾を施すの術は如何(いかに)
すべきや。法律を作て善悪の因果を明にし、兵備を厳にして暴を伐(う)
つの外(ほか)に策略あるべからず。左(さ)れば前の正論、その正は則(すなわ)ち正ならんと
雖ども、無限の未来を期してその成跡を待つべし。之を待て千百年の後
に時節到来すべきや、我輩は之を保証するを得ざるなり。之を譬(たと)え
ば、社会の人に善悪相混ずるは、病者と無病者と相混ずるが如し。元
来人類の天然は決して病に罹(かか)るべき者に非ず、そのこれに罹るは本

人の不養生か、又は流行病の伝染か、又は父母祖先の遺伝に係るも
のなり。左(さ)れども今日の実際に於(おい)て、人の天然は無病なり、医術は無用
の長物なりとて、之(これ)を廃せんとするは智者の策と云(い)うべからず。無限
の未来を期し、天下無病の時節を待て然(しか)る後に可(か)ならんか、我輩又
その到来を保証するを得ず。然(しから)ば即(すなわ)ち今人間社会に善悪相混(あいこん)ずるを
知らずして、政法を無用なりとし、唯(ただ)一方に偏して天然論を唱るは、
病者の有るを忘れて医術を廃せんとする者に等しきのみ。畢竟(ひつきよう)政
法は悪人の為(ため)に設け、医術は病人の為に備るものなり。今より千万
年の後、天下無病にして医術廃すべし、天下至善にして政法廃すべ
きなり。
然ば即ち天然の民権論は、今日これを言うも到底無益に属して弁

論を費すに足らず。故に吾輩は、国に政府を立てゝ法律を設け、民事
を理して軍備を厳にし、その一切の事務を処する為には大小の官吏
を置き、その一切の費用を支弁する為には国税を納め、以(もつ)て国内の安
寧(あんねい)を求むるの説を説く者なり。然りと雖(いえ)ども、既(すで)に政府を立てゝ主治
者の地位と被治者の地位と直接に相対(あいたい)するときは、被治者は法律に
従て政府に求る所あるべし、主治者も亦(また)約束に由(より)て人民に促す所
あるべし。その相互(あいたがい)に求め促すその際に、相互に意見の異(こと)なるあり、又或(あるい)
は内部の意見は相同(おなじ)うして、唯双方の間にその意見の相通ぜざるが
為に、遂には敵対の意を生じ、相互に妨げ相互に害し、甚し(はなはだ)きは戦争
以て勝敗を決して、その決果は唯全体の損害を致すこと、古今世界に実
例甚(はなは)だ多し。国の安寧を破る、之より大なるはなし。畢竟その本源を尋

れば、俗に所謂(いわゆる)間違なる者より外(ほか)ならず。近くは旧幕政府の末年
に、国内諸方の有志者なるものは、幕政府に攘夷鎖国を促して、その意
の如(ごと)くならざるを憤(いきどお)り、又当時政府の外面を皮相(ひそう)すれば、如何(いか)にも
外国人を近づけて之を親しみ、嘗(かつ)て果断なきが如くに思われ、之を
目(もく)して因循姑息(いんじゆんこそく)なりと咎(とが)め、政府も亦彼の有志者の真実を知らず、
一概に之を浮浪の徒と称して毫(ごう)も容(い)るゝ所なく、双方益(ますます)敵意を生
じて、遂に討幕の師(いくさ)にも及びしことなれども、その実は徳川の内部に入て
有司の意見を察し、又諸幕臣の所言を聞けば、攘夷鎖国の説は徳川
に最も甚しかりき。仮に当時徳川家を列藩中の一藩と視做(みな)し、徳川
藩士中に鎖攘を欲する者の多少を計(かぞ)えて之を他諸藩に比較した
らば、徳川こそ日本第一の鎖攘藩なりしことならん。左れども如何(いかに)せん、

唯是(こ)れ幕府内部の人気にして、その気風は外に通達するを得ず。独(ひと)り
外国人と内国有志者との中間に〔挟〕狭まり進退惟谷(これきわま)りて、帰する所は
因循姑息、外夷に佞(ねい)する等の汚名を得たるものなり。我輩敢(あえ)て今日
に在て旧幕政府に左袒(さたん)するに非(あら)ず、且(かつ)その廃滅は別に原因のあること
なれども、鎖攘一件に付ての事情は全く右の如(ごと)くにして、今日世間に
は尚(なお)未(いま)だその情を知らざる者も多からん。全体の得失は姑(しばら)く擱(さしお)き、この
一事は徳川家の寃(えん)と云(い)うも可(か)なり。左(さ)れば政府と人民と相対(あいたい)して
その間の一大緊要事は、他なし、唯(ただ)相互(あいたがい)にその情実を知るに在るのみ。若(も)
しも不幸にしてその路(みち)を得ざるときは、政府も忌(い)むべからざるを忌み、人
民も怨(うら)むべからざるを怨み、その紛紜(ふんうん)、尋常に緩和すれば則(すなわ)ち可なりと
雖(いえ)ども、或(あるい)は然(しか)らずして双方の損害を致すこと尠(すく)なからず。苟も(いやしく)老練の

考(かんがえ)あらん士君子は、之(これ)を思うて自(みず)から発明する所あるべし。
我輩の主義とする所は内国の安寧(あんねい)に在り。凡(およ)そ何(いず)れの時代、何れの
人民にても、我国内の安寧を祈らざる者なし。今更これを喋々(ちようちよう)する
は徒(いたずら)に弁を費すに似たれども、目下(もつか)我日本に於(おい)ては特に安寧を要す
るの事情あるものなれば、多弁を憚(はば)からずして之を論ぜざるべから
ず。蓋(けだ)しその情とは何ぞや。二十年前の開国、是(これ)なり。抑(そもそ)も万国交際の性
質たるや、名実の二様あり。その名とする所のものに拠(よ)れば、則(すなわ)ち云(いわ)く、
世界中の人民、その数凡そ十億、風俗人情、処に随(したがつ)て異(こと)なり、文明開化の
度、時に随て同じからずと雖ども、等しく是(こ)れ造化同類の人にして、上
帝に対するときは則ち兄弟なり、既(すで)に兄弟とあれば、この兄弟なる者は
互にその智術を交易しその道徳を教導し、又天造人工の物品も、各地天

然の気候とその人民の習慣とに従て一様ならざれば、互に貿易売買
して有無相通(あいつう)じ過不足相補い、以(もつ)て天与の幸福を空(むなし)うせずして上
帝に事(つかう)るの義務を全(まつと)うすべし、人或(あるい)はこの大義を知らずして、動(やや)もす
れば競争の悪念を起し、強を以て弱を虐(ぎやく)し、智を以て愚を制するの
弊あり、その甚(はなはだ)しきは兇器を携えて、同類の人を殺伐(さつばつ)するに至る、不仁
の極と云(い)うべし、然(しか)りと雖ども博愛の主義漸(ようや)く進歩するに従い、法律
約束に於(おい)ては万国公法の書あり、道徳教化に於ては宗旨宣教の人
あり、遂には四海昇平(しかいしようへい)、戦争を見ざるの日も亦(また)遠きにあらざるべし
云々とて、無慾淡白、公平至極(しごく)の論あり。この論は方今(ほうこん)多くは西洋耶蘇(ヤソ)
宗の教師か、又はこの宗教に心酔する人の口に唱る所の言にして、前
に記したる天然の自由論と稍(や)や符合するものなり。遽(にわか)に之を聞け

ば正論と云わざるを得ず。名義甚(はなは)だ美なり。然るにこの名義を去り、今
日交際の実に就(つい)て見れば、その名実の反対する、驚駭(きようがい)にも尚(なお)余(あまり)あり。古
来の習慣に各国の間には条約書なるものあり。その書の大意は必ず
両国親睦の主義にして、その義甚(はなは)だ重きが如(ごと)くなれども、何ものに対し
てその重きを致すや。この条約を破れば道徳の旨に背(そむ)くが故に、之(これ)を破
らずして互に遵奉(じゆんぽう)するものか。我輩未(いま)だその痕跡(こんせき)をも発見する能(あた)わ
ず。苟(いやしく)も西洋諸国古今の歴史を見たる者は明々白々にその情を知る
ことならん。「ナポレオン」第一世は道徳上に如何(いか)なる条約を遵奉して
その征伐を思留(おもいとどま)りたることあるか。「フレデリッキ」大王は如何(いかん)。「ロイス」十四
世は如何(いかん)。近くは魯国と土耳古(トルコ)との関係は如何(いかん)。枚挙(まいきよ)に遑(いとま)あらず。孟
子は春秋に義戦なしと云(い)うたり。未だ世界各国交際の情を知らざ

る者なり。前の正論を目安にして論ずれば、今日我輩は即(すなわ)ち世界古
今に義戦なしと云わざるを得ず。その趣(おもむき)は恰(あたか)も利を重んじて義を顧
みざる商人等が、互に約束書を取替わし、互にその釁(きん)を窺(うかが)うて之を破
らんとする者に異(こと)ならず。商人の破約には法廷公裁の恐るべきも
のありて容易に動き難(がた)しと雖(いえ)ども、国と国との破約には世界中にその
法廷あるなし。故にこの約束を守ると守らざるとの機会、即ち条約書
の威重を有すると否(いな)との機会は、両国の金力と兵力とを比較して
その多寡(たか)強弱如何(いかん)の一点に在て存するものと知るべし。余曾(かつ)て云え
ることあり。金と兵とは有る道理を保護するの物に非(あら)ずして、無き道
理を造るの器械なりと。蓋(けだ)し本文の意なり。危険も亦(また)甚(はなはだ)しからずや。
彼の正論家は坐して無戦の日を待つことならんと雖ども、我輩の所見

に於(おい)ては、西洋各国戦争の術は今日漸(ようや)く卒業して今後益(ますます)盛(さかん)なること
ゝこそ思え。近年、各国にて次第に新奇の武器を工夫し、又常備の兵
員を増すことも日一日より多し。誠に無益の事にして誠に愚なりと
雖ども、他人愚を働けば我も亦愚を以て之に応ぜざるを得ず。他人暴
なれば我亦暴なり。他人権謀(けんぼう)術数(じゆつすう)を用れば我亦これを用ゆ。愚なり
暴なり又権謀術数なり、力を尽して之を行い、復(ま)た正論を顧るに遑
あらず。蓋し編首に云える人為の国権論は権道なりとは是(こ)の謂(いい)に
して、我輩は権道に従う者なり。
兵力の戦争は戦争の時の戦争なれども、爰(ここ)に又太平無事の時に当て
工業商売の戦争あり。欧洲各国に於ては、有形物理の学、夙(つと)に開けて、
人間百般の事、皆実物の原則を基として次第に進歩を致し、物産製

造、運輸交通、農工商一切の事業より、居家(きよか)日常の細事に至るまで、物
理学の原則に出るもの多し。試に(こころみ)今西洋舶来の製造品と称する物
品を取て、その由(よつ)て産出する所の次第を推究したらば、大抵(たいてい)皆器械の
力と化学の作用とに由らざるものは無かるべし。而(しこう)してその器械学、
化学は皆物理の原則を研究し、千古(せんこ)不易(ふえき)、天然の約束を知て之(これ)を人
事に施したるものなり。固(もと)よりこの原則を知らざればとて物を製す
ること能(あた)わざるに非(あら)ず。例えば昔日(せきじつ)の日本、支那の如(ごと)し。曾(かつ)て有形の物
理を究めてその原則を利用したることなしと雖(いえ)ども、衣食住百般の物品
を作り出して人間の需要に供し、大なる不自由を感じたることなし。
然(しか)りと雖ども、原則を知らずして物を作り事を行う者は、恰(あたか)も人々個
々の手練(しゆれん)を以て偶中するものなれば、その事物の進歩甚(はなは)だ易(やす)からず。
例えば水は大気の圧力を受け二百十二度の熱に逢うて沸騰すれ
ども、気圧を減ずればこの熱度を待たずして沸騰すべし。流動物沸騰の
原則なり。この原則を知り、爰(ここ)に砂糖を精製するに、熱度を低くして沸
騰を促すの要用なるに当て、乃(すなわ)ちこの原則に基づき、その釜を密閉して
釜中の大気を排出し、気圧を減じて沸騰を容易ならしむるの法あ
り。西洋人が原則を知て之を人事の実際に活用するの一例なり。百
般の事業に改革を施して次第に進歩するものは、大抵皆この類に
あらざるはなし。又沸湯の熱は二百十二度にして、蒸気の熱度も之
に同じけれども、その器を密閉して火を盛(さかん)にすれば、熱度の昇ること殆(ほとん)ど
際限なくして、蒸気湯中金類をも溶解すべき程のものなり。即(すなわ)ち原
則なり。今飯を炊くには勉(つと)めて熱度の高きを良とす。故に五升焚(ごしようだき)の

釜に米の本量五升を減じて三升五合と為(な)し、釜の上辺直(じか)に火に接
せざる部分には蒸気を充(み)たしめて熱を助け、この釜に厚く重き蓋(ふた)を
密閉すれば、釜中の熱度は二百十二度以上に昇りて程好(ほどよ)き飯の出
来ることなり。家々の炊婦その事実を知らざるに非ず。飯は常に釜一杯
に炊かずして、又その蓋の重くしてよく釜の口に密合するを貴ぶ。その
所為如何(いか)にも原則に適すれども、所謂(いわゆる)手練の偶中、その然るべき由縁の
理を知らずして然(し)かするものなれば、世々の炊婦唯(ただ)その先代の遺法
に依るのみにして更に炊飯の改良なく、又この法を以(もつ)て他の事業に
施すを望むべからず。之を譬(たと)えば原則を知て之を後世子孫に伝え次
第に改良に赴く者は、樹木を植えて年々に成長するが如し、年々
にその実質を増して大木に至るべし。手練の偶中は、人間一生涯の力

を以て進むべきの点に進み、第二世の者は復た改めて初段より進
み、恰も先進の進みし処に至て止(や)むことなれば、その趣(おもむき)は一年立ちの草
が年々歳々同一様の成長を為して遂に大幹に至ること能わざるが
如し。西洋諸国の学者は多年この原則を推究し、地球上の万物を砕
て五十元素と為(な)し、又発見して六十と為し八十と為し、その性質を試
験しその功用を説き、又この外(ほか)には熱、光、越気(エレキ)等、無形力の作用を制御
して人間の実業に転用し、以(もつ)て物産工業の路(みち)を開進するその際に、独(ひと)
り東洋の士君子は数十年来、陰陽(いんよう)五行(ごぎよう)の説に甘んじて曾(かつ)て進歩の
念慮なく、工業製作の如(ごと)きは挙て之(これ)を下等社会の事に放却したる
は誠に遺憾に堪えず。固(もと)より我東洋士人の教育に於(おい)て、道徳なり、気
節なり、又風韻(ふういん)なり、毫(ごう)も他に恥る所なくして遥(はるか)にその右に出ること疑(うたがい)

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なしと雖(いえ)ども、唯(ただ)物理原則の一事に至ては、今の老儒が万巻の書を読
むもその拙劣は彼の炊婦に等しきのみ。
西洋諸国に物産工業の盛(さかん)なるは決して偶然に非(あら)ず。陰陽五行論の
中に教育せられたる我東洋人の未(いま)だ及ぶべからざるや明(あきらか)なり。その業、
盛なればその製造は巧(たくみ)にしてその価は必ず廉なり。又その物品の運転売
買の法に於ても専ら学問上に基き、大体を論ずるには経済学あり、
実際に於ては銀行の法あり、保険の法あり、会社の法、簿記の法、些細(ささい)
の事に至るまでも自(みず)から一課学の体裁を成して、之を教え之を習
うて然(しか)る後に実地に施すその趣(おもむき)は、恰(あたか)も師(いくさ)を出(いだ)すに平生軍法を研究
して進退自(おのず)から定則ある者に異(こと)ならず。之を彼の人々個々の手練
を以て商業に従事する者に比すれば固より同日の論に非ず。今こ

の諸国に敵対して工商の鋒(ほこさき)を競わんとするは実に容易ならざる
ことゝ知るべし。加之(しかのみならず)各国交際の定法、又商売の性質に於て利を争わ
ざる者なし。先方に如何(いか)なる不利あるも何等の不都合なるも誰か
之を顧る者あらんや。利益を貪(むさぼ)り尽してその極度に止(とど)まるべきのみ。
而(しこう)してそのこれを争い之を貪るの法一様ならず。或は学者の私論を
以てすることあり。英国の如き人力の製造品多くして世界中に輸出
を利とするものは、その国の学者、大概皆自由貿易の説を主張し、亜米
利加(アメリカ)合衆国の如き天然の産物に富て製造未だ盛なるの極に至ら
ざる者は保護の主義を唱え、議論百出、止(や)むときなしと雖ども、結局自国
の利を謀(はか)るより外ならず。此(こ)れは是(こ)れ学者、論客の事として、この外に
又貿易商売を助る一大器械あり。即(すなわ)ち軍艦、大砲、兵備、是なり。各国の

人民相互に貿易するには、各貿易の条約ありて、その取扱(とりあつかい)に就ては双
方派遣の公使、領事等に智愚もあらん、又その人民の商業に巧拙もあ
らんと雖ども、結局の底を叩て吐露(とろ)すれば、貿易の損益も亦(また)その国の兵
力如何(いかん)に在て存する者と云(いい)て可(か)ならん。方今(ほうこん)合衆国にては諸外
国より輸入の製造品に非常なる重税を課すれども、世界中の列国こ
れに喙(くちばし)を容(い)るゝ者あるを聞かず。又英人は阿片(アヘン)と名(なづく)る毒薬を支那
に輸入して、支那人は金を失い人命を害し、年々歳々国力の幾分を
損すれども之を咎(とがめ)る者なきその際に、支那の人民が亜米利加(アメリカ)に行き節
倹勉強して僅(わずか)に資産を作る者あれば、亜人は之(これ)に驚き我国財を失
うとて支那人を放逐(ほうちく)せんとするの議あり。現に英領「オースタラリ
ア」州にては、支那人の渡来して同州の金山に働かんとする者あれ

ば、その人別に五「ポンド」の関税を課して恰(あたか)も節倹勉強者の侵入を防
ぐと云(い)う。今試(こころみ)に東洋の一国をして亜米利加の例に効(ならつ)て頓(とみ)に非常
の海関税を課することあらしめなば如何(いかん)。支那人と英亜人と地位を
易(か)えてその事を行わしめなば如何(いかん)。列国の政府も人民も異口同音、否(いな)
と云わんのみ。その然(しか)る由縁は何ぞや。様々に口実を唱る者はあるべ
しと雖(いえ)ども、我輩はその事の底を叩て、単に国の強弱に由(よ)るものなりと
明言せざるを得ず。
又貿易上に恐るべきものは、兵力の外(ほか)に金力なるものあり。西洋諸
国の人民は資産に富む者多くして、凡(およ)そ世界中富豪の大半は欧羅
巴(ヨーロツパ)、亜米利加(アメリカ)に在りと云(いい)て可(か)なり。既(すで)にこの富豪多きその外に、細々の資
金を一処に集るの習慣に養われて、往々大業を企るに便利なること

あり。即(すなわ)ち会社法なり。散じて無力なる資金を集めて有力のものと
為(な)し、工商の仕組(しくみ)常に盛大なるが故に、資金に乏しくして利子の貴
き国人と相対(あいたい)するときは、百事同様同等なるも、唯(ただ)金の為(ため)に大なる得
失の差を見るべし。資金豊(ゆたか)なれば工業に於(おい)ては結果を急がずして
永遠の大利を望むべく、商売に於ては売買の掛引(かけひき)を持張(じちよう)して人に
致さるゝこと無かるべし。その利害は甚(はなは)だ見易(みやす)く、我輩の言を俟(ま)たずし
て世人の既に知る所なれば之を擱(さしお)き、爰(ここ)に唯資金の散じて無力な
る所以(ゆえん)の一例を示さん。古来我日本にても、各地に巨万の産を有し
て人に貸し或(あるい)は自(みず)から手を下(く)だして工業商売に従事する者甚だ
多し。然(しか)るに近年、公債証書の発行以来、この富豪が或は無事安閑を
祈るが為に産を傾けて証書を買入れたる者も亦(また)尠(すく)なからず。今その

成跡(せいせき)如何(いかん)を察するに、証書発行前にはその巨万の資金を以(もつ)て、本人の
直接にも、或は人に貸して間接にも、大に殖産工商の業を助成した
るものが、証書を買入たるが為に資金は細々に分裂して世間に散
じ、恰(あたか)も一大塊を砕て幾百千の細片に変じたる有様にして、全国商
工の為に一時は多少の影響を及ぼしたることならん。資金離合の大
切なること以て知るべし。西洋人が東西印度(インド)その他、未開野蛮と称する
地方に行き、往々大事業を企てゝ永遠に非常の利を得たるも、特に
金力に由(よ)るもの多し。彼輩は既に製作に巧(たくみ)にして商法に敏(さと)く又金
力の豊(ゆたか)なるあり。之と相対する、決して易事(いじ)に非(あら)ず。且(かつ)兵馬の戦争は
人間稀有(けう)の事にして、仮令(たと)い之(こ)れあればとてその時日も亦(また)甚だ短き
ものなれども、工商の戦争は終始片時も止(や)むときなくして、戦法も亦極

て多端(たたん)なれば、その勝敗の結果に至ては、利害の及ぶ所、兵馬の戦争に
幾倍なるを知るべからず。最も注意すべき所なり。
外国交際の困難なるは前条々に述る所を以(もつ)て読者もその大概を了
解したることならん。我輩特に今の時を以て困難なりとするは、抑(そもそ)も
亦(また)その由縁あり。元来、我国は世界中無類の国柄(くにがら)にして、古来海外の強
国と交際を開(ひらき)たることなし。往古(おうこ)、朝鮮、唐土の交通は捨(すて)て論ぜず、中古、
足利の末世、徳川の初年に、西洋人の出入せしことあれども、当時の西洋
諸国は文物未(いま)だ盛(さかん)ならず、技術未だ開けず、唯(ただ)僅(わずか)に風帆船を運用し
て遠洋に航するのみのことなれば、之(これ)に接する甚(はなは)だ難(かた)からず。徳川政
府にて異国船打払の厳令を下(く)だし之を実施したるを見て知るべ
し。下(くだつ)て文化年中、魯国船が蝦夷(えぞ)地に乱暴したるときも、その結末は双方

共曖昧(あいまい)に帰して後患(こうかん)を遺(のこ)したることなし。勢州白子の船頭、幸太夫磯
吉なる者、天明二年十二月、
駿河沖にて難船、漂流の末、魯国に着し、十二年を経て寛政五年、同国
の船に乗せられて蝦夷の根室に帰る。之を魯船日本に来るの初と
す。文化元年、魯国の船将「レサノツト」、国王の使節と称して長崎に来
り通信を請う。許さず。文化三年、「ミカライサンタライチ」なる者「カム
サツカ」の地方より船に乗て樺太の地に上陸、乱暴して我番人等を
搦捕る。又「エトロフ」の地に於ても同様の始末、文化八年、復た同地に
渡来、この時には応接もなく我方より砲火して魯人八名を生捕る云々。太平年表にあり。之を要するに三百年
外より文化の頃に至るまでの洋人は、小児の如(ごと)きものにして恐る
ゝに足らざるなり。固(もと)よりその心術は古今万国の通情にして、或(あるい)は之
を評して狼貪(ろうたん)飽くなき者と云(い)うも可(か)ならんと雖(いえ)ども、如何(いかに)せんこの虎
狼が未だ運動の機を得ざるが為(ため)に、仮令(たと)い我国人に小児視せらる
ゝも黙々し去たることなり。然(しか)るに千八百年代、彼国に蒸気、電信の用
法を工夫し、輓近(ばんきん)、三、四十年来その法の整頓するに従て、社会の事物頓(とみ)

に面目を改め、軍備戦闘の事、殖産工業の事、一切皆これに藉(よ)らざる
はなし。殊(こと)に運輸交通の法に於(おい)ては、開闢(かいびやく)以来、蒸気発明の日を界(さかい)に
して、前後正(まさ)しく別乾坤(べつけんこん)と云(い)うも可(か)なり。在昔(ざいせき)、欧洲人が東印度(インド)の地
に往来するとき、往(ゆ)くに四箇月、来るに六箇月の諺(ことわざ)りしものも、今日
は欧洲と日本との往来僅(わずか)に五、六十日にして、正(まさ)にその航路を三十分
の一に短縮したるものなり。故に文化年中の小児は頓(とみ)に成長して
大人と為(な)り、虎に翼を生じたるものなれば、之(これ)に対して決して昔年
の観を為(な)すべからず。亜米利加(アメリカ)大地の鉄道も数年前に成り、又「カナダ」
の地方にも同様の工業に着手し、又近日は〔太〕大平洋に電信線を沈め
て亜より日本に通ずるの議あり。この事成らば電信線も地球を一周
したるものなり。鉄道も欧羅巴(ヨーロツパ)より亜細亜(アジア)に亘り支那の東岸に達
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するは多年を待たざることならん。支那の内地縦横に鉄道を通じ又
電信線を架するに至らば、今の支那帝国政府は依然として旧帝国
政府たるべきや、我輩これを保証するを得ず。余曾(かつ)て云えることあり、
支那人が蒸気、電信の如(ごと)き文明の利器を入れざれば国を失わん、之
を入るればその政府を顛覆(てんぷく)せん、二者その一を免(まぬ)かるべからずと。この言若(も)
し当らば支那国の変動も遠きに在らざるべし。この変動に際しても
我日本は決して傍観すべきの地位に非(あら)ず。国事多忙なりと云うべ
し。西洋諸国との交際既(すで)に甚(はなは)だ易(やす)からず、又近くは支那との関係も
あるべし。この困難多忙の時に当て我日本の人民は如何(いかに)すべきや、唯(ただ)
須(すべか)らく眼を刮(かつ)して外交の利害を視察し、力を尽してその実効を奏す
るの外、又他事あるべからず。是(これ)即(すなわ)ち我輩が内国の安寧を祈て特に目(もつ)

下(か)の急要とする由縁なり。往古(おうこ)、足利の時代には数十百年、日夜戦争
内乱のその末に、外人の交際あるも絶て患とするに足らず、実に之を
小児視して安心なりしかども、今の外人は足利時代の外人に非ず、国
の全力を挙げて之に対峙するも尚(なお)及ばざるを恐るゝなり。
右の如(ごと)く論じ去れば、西洋各国に対しては到底我日本人民の力に
及ばざる所のものあるが如くに思わるれども、この一点に就(つい)ては我輩
又大に見る所あり、読者須らく落胆することなかるべし。抑(そもそ)も今の西
洋各国を目(もく)して文明なり開化なりと云うと雖ども、その文明開化なる
ものは所謂(いわゆる)近時の文明開化にして即ち千八百年代の事なり。然(し)か
も蒸気、電信の発明施行、僅(わずか)に三十年乃至(ないし)四十年来の事のみ。彼の国
人もこの利器を発明して之を人事の実際に施してより、恰(あたか)も社会の

旧機関を顛覆(てんぷく)して、之を兵事に用れば小弱却(かえつ)て強大に克(か)ち、之を商
工に用れば貧富忽(たちま)ち主客の地を易(か)え、俄(にわか)に富む者あれば俄に飢る
者あり、後進の壮年これを利用して得々たれば、老大の先輩は方向
に迷うて不平を鳴らす等、一時の変動その劇に過ぎて却て狼狽(ろうばい)の様
なきに非ず。然(しか)るに我日本も近時の文明を見て之(これ)を取らんとした
るは既(すで)に二十年、その利器を以(もつ)て実用に試みたるも亦(また)十年に近し。その
変動は固(もと)より少々ならず。実に日本社会を顛覆(てんぷく)して狼狽(ろうばい)甚(はなはだ)しと雖(いえ)
ども、東西比較して僅(わずか)に二、三十年の差あるのみにして、固より計(かぞう)るに
足るべき数に非(あら)ず。然(しから)ば則(すなわ)ち近時文明の元素は吾人と西人と共に
与(とも)にする所のものにて、共にこの利器に乗じて恰(あたか)もその出発の点を同(おなじ)
うしその着鞭(ちやくべん)の時を同うするものなれば、今後競走して前後遅速の

勝敗はその人の勤惰(きんだ)如何(いかん)に在て存するのみ。我輩常に謂(おもえ)らく、我国嘉
永の開国をして五十年を後(おく)れしめ、彼国近時の文明既(すで)に已(すで)に底止(ていし)
する処に定まるの後に於(おい)て、頓(とみ)にその勢を以て依然たる我睡眠中に
迫ることあらば、日本人民に何等の奮発心あるも、その激動に堪えずし
て国の存亡も図(はか)るべからざることならん。今その然(しか)らずして早くも嘉永
年中に亜人の渡来したるは、我ためには一大僥倖(ぎようこう)と云(い)わざるを得
ず。今の西洋諸国、活溌は則(すなわ)ち活溌なるも、近時の文明に於ては恰も
是(こ)れ青年若輩の活溌のみ、尚(な)お与(く)みし易(やす)きものあり、之と進歩を競
うこと決して難(かた)きに非ず。加之(しかのみならず)我日本人民の天資と古来遺伝の教育
とに於て、果してその能力の足らざる所のものあるか、他国の人は能(よ)
く之を為(な)して日本人に限りて能くせざる所のものあるか、我輩未(いま)

だ之を見ず。文学武芸、百工製作、一として吾人の手に成すべからざる
ものなし。唯(ただ)或(あるい)は方今(ほうこん)尚(なお)拙なるものもあらん、尚未だ知らざるもの
もあらんのみと雖(いえ)ども、今日知らざるものは明日知るべし、今年拙な
るものは明年巧なるべし。その然る由縁は、吾人に天資の乏きに非ず、
祖先遺伝の教育に慣(なれ)たる資力をして、その形を変革せしむるが為(ため)に
些少(さしよう)の時日を費すのみ。例えば今日、我日本人にしてよく洋書を読
み、その巧なるは決して西洋人に譲らざる者多し。その然る由縁は何ん
ぞや。吾人の始て洋書を学びたるは僅に数年前のことなれども、字を読
み義を解するの教育は遥(はるか)に数十百年、父母祖先の血統に之を伝え
たるか、若(もし)くは全国一般、読書推理の空気に浴したるものにして、その
横文を読むの力は本来無一物より始造したるに非ず、唯僅に縦行

文に代るに横行文を以てし、縦に慣れたる資力を横に変形したる
ものゝみ。この資力変形の主義は百般の人事に通達して皆然らざる
はなし。人或はこの義を知らず、偶(たまた)ま日本人が新に事を企てゝ拙(つたな)きも
のあるを見れば、之を評論して不智無能と称し、以て同国人を罵詈(ばり)
するものあり。その趣は(おもむき)剣術の達人に鎗(やり)を授け、その働の(はたらき)拙きを見て本
来武芸を知らざる者と評するに異(こと)ならず。無稽(むけい)も亦(また)甚(はなはだ)し。蓋(けだ)し不智
の評論は論者自(みずか)ら之に当て可ならん。之を要するに、我日本の人民
は祖先伝来の資力を以て今日正(まさ)に近時の文明に接する者なれば、
唯速(すみやか)にその形を変じて可(か)なり。一時の困難に逢うて落胆する者は自
暴自棄の罪人と云うべし。
人の言に云(いわ)く、富国強兵は国人の勉強に在り、貧家の子はよく勉強

して富家の子は怠惰なり、西洋諸国はその土地に天然の富なくして
恰(あたか)も貧家の如(ごと)き者なれば、その人民は即(すなわ)ち貧家の子にして善(よ)く勉強
す、故に国富み兵強し、之(これ)に反して東洋諸国、我日本の如きは地味、気
候共に最上にして、山林河海、天然の物産に富むが故に、その人民の怠
惰なる、富家の子に異(こと)ならず、国の富強を望むこと難(かた)しと。今この言葉を
考るに、初(はじめ)に云(い)う所、富強は人の勉強に在りとは誠に是(これ)なり、我輩固(もと)
より之を間然(かんぜん)するなしと雖(いえ)ども、貧家の子は勉(つと)めて富家の子は怠る
とは何故ぞ。貧窮は事を勉強するに便利なりとの理はあるべからず。
左(さ)ればその勉強とは苦しさの余りに止(や)むを得ずして勉(つとむ)ると云う意
ならん。窮する者は油断すべからず、油断すれば飢寒(きかん)に迫る、故に勉(つと)む、
人情の常なり。この論旨も亦(また)間然すべからず。然(しか)りと雖(いえ)ども、貧富を以(もつ)て人

の勤惰(きんだ)を左右するその貧富は、天然の貧富も人為の貧富も差別ある
べからず。今我国は天然の物産に富むと雖ども、人為の貧富に就(つい)て英亜
諸国に比較したらば尚(なお)貧なりと云わざるを得ず。貧者果して勉強
することならば、我国の人民こそ勉強すべき筈(はず)ならずや。若(も)し然らず
して我人民を怠惰なりと云わば、その怠惰は貧の致す所に非(あら)ずして、
自(みず)から貧を知らざる無智の致す所なり。その罪、他物に在らずして自
身に在り。即ち足らざるを知らざるの罪なり。この弊風を救うの法は
別に論あり、今姑(しばら)く之を擱(さしお)き、結局今日の開化に在ては、天然の貧富
も人の勤惰を左右するに足らず、之を左右するに足らざれば、何ぞ
故(ことさ)らに他の貧を羨(うらや)むを為(なさ)んや。天然の富は誠に国の幸にして、我輩
同胞の兄弟相互に之を祝して可なり。且(か)つ開け行く世界文明の有

様を見るに、人類の智愚強弱は次第に平均に赴くの勢あるが如し。
商売工業の如き、欧羅巴(ヨーロツパ)洲中に於(おい)ても初は一、二の国の壟断(ろうだん)に属し
て他はその制御を仰ぎしものも、近時は互に競うて先後を争うに至
れり。白耳義(ベルギー)の、製造を以(もつ)て小英国と称せらるゝもその一例なり。この勢
を拡(おしひろ)めて世界中に及ぼし、人力のあらん限りを尽して競争を極め、
その極度に至て頼むべきものは何ぞや、唯(ただ)天然富有の利あるべきの
み。言少しく理論に陥り千年の後を語るが如くなれども、我輩は必ず
しも千年を待たず、現に今日に於ても事を勤るに富と貧と孰(いずれ)か利
ある、我輩は我国天然の富を利用して事を勤めんと欲する者なり。
外国の交際易(やす)からずと雖ども、苟も(いやしく)日本人の名ある者は直接に間接
に之を負担せざるべからず。無事の日に之を忘れざるは勿論(もちろん)、一旦事

あるに臨(のぞみ)ては財産も生命も又栄誉をも挙て之に奉ずるこそ真の
日本人なれ。結局この担任は日本人の名尽きて止(や)むものと知るべ
し。数年前、世の攘夷家なる者が、仮令(たと)い我国を焦土にするも外人を
ば国に入れずと云(い)いしことあり。今にして之(これ)を思えばその言甚(はなは)だ劇烈
して、固(もと)より今日に行わるべきに非(あら)ざれども、その国を思うの精神に
於(おい)ては誠に感ずべし。我輩の所論も、他なし、この精神を変形して之を
今日に用んと欲するのみ。況(いわん)や今日は是(こ)れ我国を焦土にするに非
ずして、金玉(きんぎよく)と為(な)すべき時節なるに於てをや。前途の望(のぞみ)決して乏し
からず。近時の文明は既(すで)に我手に在り、天然の富有は固(もと)より我に属
す、今後の方向唯(ただ)勉(つと)めて怠(おこた)らざるの一法あるのみ。我輩前段に国の
安寧(あんねい)を祈ると云えることあり。抑(そもそ)も安寧とは唯消極の事にして積極

の働に(はたらき)非ず。之を一家にすれば唯悪事災難なきを祈ると云うに止(とどま)
りて、未(いま)だ家を起し産を作るの働きに至らざるものなり。決して之
に満足すべからず。蓋(けだ)し安寧は堪忍(かんにん)に由(より)て得べき者にして、外国交
際の艱難(かんなん)を知り真に之を人々の身に負担するものと思えば、内国
安寧ならざらんと欲するも得べからず。亜米利加(アメリカ)合衆国に於て大
統領を選挙するとき、両党相分(あいわか)れて競争の末、遂には殆(ほとん)ど敵対の意を
生じ、僅(わずか)に一票の多寡(たか)を以(もつ)て勝敗を決する等、危険の際に当ては、今
度こそ合衆国の人民もその不平を兵器に訴えて安寧を失うことなら
んと、世界衆人の期する所に反して嘗(かつ)てその事なく、失敗の党派も不
平を呑(のん)で之に堪忍するは、唯内外の軽重を弁知するに由て致す所
の美果と云うべきのみ。外の艱難を知て内の安寧を維持し、内に安

寧にして外に競争す。内安外競、我輩の主義、唯この四字に在るのみ。
内既に安し、然(しから)ば則(すなわ)ち消極を去て積極に向い、外に競争する所以(ゆえん)の
用意なかるべからず。次で之を説かん。

第二編 政権之事

附国会論
前編に内安ければ則ち外に競うの用意なかるべからずと云えり。その
目甚(はなは)だ多しと雖(いえ)ども先ず一、二を挙れば、第一、政務の権力を強大にし
て護国の基礎を立ること、第二、この大義を実際に施行するが為(た)めに
国庫を豊(ゆたか)にすること、第三、全国資力の源を(みなもと)深くするが為(ため)に農工商を
奨励保護して殖産の道を便ならしむること、以上三項は今日我輩の
所見に於て至急の急とする所のものなり。譬(たと)えば国に政府あるは、
猶(なお)家に主人あるが如(ごと)く、会社に頭取(とうどり)、支配人あるが如く、又邸地に居
宅あるが如し。某家を見るに主人に権なく、某会社に於ては頭取、支
配人の差図(さしず)に従う者なく、又某邸地を見るに地坪は幾万坪にして

主人の居宅は則ち一小茅屋(ぼうおく)、以てこの屋舗(やしき)はこの家に属しこの家を以て
この屋舗を支配すと云うも、実際不釣合(ふつりあい)にして屋舗中を支配すること
も難く、隣屋舗と并立して交際も叶わぬことならん。何(いず)れも皆事物の
権衡を失うものなり。左(さ)れば一国あればその大小貧富に準じて一政
府を立て、政府と国と至当の釣合あるものなるに、今我日本国と日
本政府との大小は果してその釣合(つりあい)を得たるものと云(い)うべからず。是(こ)れ
我輩が前の三項を以(もつ)て急とする由縁なれども、読者は果して之(これ)に異
議なきか。我輩窃(ひそか)に思う、今の学者論客に於(おい)ては必ず少しく之に異
議あるべしと。如何(いかん)となれば、学者論客は近年に至て漸(ようや)く民権なる
ことを唱え出し、今の政府の行政上に向て攻撃を試み、政府の一挙一
動、これも非なり其(そ)れも不都合なりとて、演説に新聞に、その目的とす

る所は結局政務の権力を縮めて民人の権力を伸ばさんと欲する
者なればなり。譬(たと)えば長さ一尺の権力を官民の間に争い、一寸にて
も五寸にても政府の権を縮むれば、その縮まりたる長さは人民に帰
するものと思い、只管(ひたすら)政府の退縮を熱望する者の如(ごと)し。固(もと)より彼の
少年血気の輩が巡査と大議論して曲直を争うが如きは、深く咎(とがめ)る
にも足らずとして之を擱(さしお)くも、或(あるい)は天下の輿論(よろん)を写出すなどゝ自(みず)
から称して自得する学者、論客に至るまでも、その実は熱心煩悶(はんもん)して
方向を分(わか)たざるこの時に当て、政務の権力を強大にする云々と説来(とききた)
らば、未(いま)だその説の半(なかば)をも聞かずして先(ま)ず否(いな)と云うことならん。我輩その
情を知らざるに非(あら)ずと雖(いえ)ども、試みにその人の為(ため)に惑(まどい)を解かざるを得
ず。蓋(けだ)し世の学者、論客はその思想に混雑する所のもの有て、明に(あきらか)躬(みず)か

らその企望(きぼう)を訴ること能(あた)わず。或は之を訴るも、そのこれを訴る所以(ゆえん)の原
由(げんゆう)を明にするを得ず。之を譬(たと)えば朴訥(ぼくとつ)不文なる田舎漢(いなかもの)が、病に罹(かか)り
その医療を希(ねが)うて、躬から容体を訴ること能わざる者の如し。我輩試(こころみ)に
代て容体を述べん、若(も)しその所述のもの果して患者に適中するあら
ば、同病相憐(あいあわれ)むの情を以(もつ)て今後共に方向を与(とも)にすべきなり。
今の世の学者、論客、殊(こと)に彼の政談論者は、国会開設の事を企望(きぼう)す。我
輩これに異議なし。啻(ただ)に異議なきのみならず、明治の初年、今の論者
の輩が、或は攘夷論を主張し、或は守旧論に固着し、或は新政府の下
に奔走する等に忙わしくして、未だ自(みず)から主義を定るに遑(いとま)あらず、
唯(ただ)その時の気風に制せられて民権自由等の事は曾(かつ)て之を知らず、或
は之を知るも為(ため)にする所ありて之を言わず、寥(りよう)々た(りよう)る天下、我輩は

殆(ほとん)ど孤立して依る処なきその時代に在ても、尚且(なおかつ)民権自由の一義は
曾(かつ)て之を忘るゝことなく、或は同社相謀(あいはかり)て著書、翻訳等に従事し、或は
始て討論演説の事を工夫する等、勉(つと)めて世間を誘導して民権の
何ものたるを知らしめんことに尽力したりしに、その労空(むな)しからず、近
年に至ては政談の論者も次第に成長して稍(や)や我輩と見(けん)を同(おなじ)うす
る者多く、復(ま)た昔日の寥々(りようりよう)を覚えざるは誠に欣喜(きんき)に堪えず。況(いわん)や立
憲政体、国会開設論の如(ごと)き、多年奨励する所にして、今日この論旨が
苟も(いやしく)輿論(よろん)の勢(いきおい)を得たるは実に望外の好結果、これを大にすれば天
下公(おおやけ)の幸福、これを小にすれば同社私(わたくし)の栄誉、これに過るものなし。
我輩は固(もと)より民権自由の友なり、論者幸(さいわい)に安心する所あれ。但し、新(あらた)
に衣裳を製したる者は頻(しき)りに之(これ)を着てその敝(やぶ)るゝを知らず、初て馬
64p
を飼(かい)たる者は漫(みだり)に之に乗てその疲るゝを忘る。人情の常にして、俗に
云(い)えば珍しさの余りにその物を濫用する者なり。今の論者も近年、新
に民権自由の論を知り、初て演説等の愉快を覚え、その珍しさの余り
に之を濫用する者にして、熱心の熱は悉皆(しつかい)外部に発顕し、恰(あたか)も内に
含有すべき潜伏熱なく、以(もつ)て思想の混乱をも生じたることならん。論
者の為(ため)に尚(なお)少しく遺憾なきを得ざるなり。
抑(そもそ)も国会の開設は政体(コンスチチューション又ガーウルメンタル・ヲ
ルガニシエーション)の変革にして、政務(アドミニストレーション又ガ
ーウルメンタル・ミジュール)の変革に非(あら)ず。政務の変革、或(あるい)は政体の変
革に由(より)て生ずることもあるべしと雖(いえ)ども、開設第一着の目的は政体に
在て政務は第二着の事なり。政体とは政府の仕組にして、例えば独
裁の政体と云えば君主の独権を以て政務を制裁することなり、立憲
の政体と云えば、国に憲法を作り、この国の主人は何人にしてその国民
は何人の臣民たるべし、この臣民はこの国の法に対して何等の義務あ
るべし、行政の権は何人(なんぴと)に帰すべし、議政の権は何人に帰すべし、その
人物を選定するには斯(かく)の如くすべし、その新陳交代の法は斯の如く
すべし云々とて、国民の政治に関係する権限を規則に由て定ること
なり。政務とは政府の事務にして、議政、行政等の人物既(すで)に定りし上
にて、その人物の所見に従い、政府の財政は斯の如くすべし、租税の法
は斯の如くすべし、兵制は斯の如く、外国交際は斯の如く云々とて、
実際の事務を処分することにして、政体と政務と二様の間に著し(いちじる)き
分界あるものと知るべし。譬(たと)えば家を建築するに、何(いず)れの建築学士
を雇い、何れの職工に命じ、そのこれを雇い之を命ずるの法は斯の如
くし、絵図面は誰れの手に製し、地形(じぎよう)切組(きりくみ)は誰れの手に任(まか)し、普請中
の差図(さしず)は誰れの負担にして、その普請を受負(うけおい)にし又は工手間(くでま)にする
等云々は、建築の人に関する仕組にして、政府にて云えば即(すなわ)ち政体
の部分なり。学士、職工等の人物既に定りし上にて、地形の法を斯の
如くし、間取りの模様を斯の如くし、小屋組は斯(かく)の如(ごと)く、柱、舗居(しきい)、鳧居(かもい)
の寸法は斯の如く云々とて、着手の実際を取扱うは建築の事にし
て、政府にすれば即(すなわ)ち政務に属する部分なり。今の世の政治論者が
国会開設を企望(きぼう)するは即ち善(よ)しと雖(いえ)ども、その企望する所以(ゆえん)の主義は
専ら何(いず)れの辺に在るか、今の政府の政務上に在るか、政体上に在る
か、これを明に(あきらか)せざれば論理の体を失する者にして、与(とも)に語るに足
らざるなり。
論者の国会開設を企望する第一着の目的は政務上に在て、今の政
務を一時に改革せんと云(い)うか、我輩これに感服するを得ず。如何(いかん)と
なれば、国の政務は容易に変革して容易に好結果を得ず、仮令(たと)い好
結果を得べき所見あるも、百般の事情に妨げられて容易に施行し
難(がた)きものなればなり。人民の数は甚(はなは)だ衆多にして政務の事項は甚
だ多端なり。その衆多の人民各(おのおの)利害を異(こと)にする者に向て一定の法を
設けんとすることなれば、甲に利あるものは乙に不利なるあり、此処(ここ)
に便なるものは彼処(かしこ)に不便なるあり。例えば士族の不利は農家の
利益と為(な)り、農民の富実は間接に都下貧人の難渋たるが如し。是等(これら)
を計(かぞう)れば枚挙(まいきよ)するに遑(いとま)あらず。遠方より傍観して、この事は斯の如く改め
て可なり、斯の如く施行して容易なるべしと思(おもい)の外(ほか)、近くその事に接
して実情を見れば往々(おうおう)容易ならざるもの多し。遠山を眺れば誠に
滑に(なめらか)して誠に円(まる)き様なれども、之(これ)に近付て登らんとすれば崖(がい)峭(しよう)巌窟(がんくつ)、
決して然(しか)らざるが如し。人事の最も見易(みやす)きものにして、少しく老練
の考(かんがえ)あらん者は、仮令い局外に居るも容易に喙を(くちばし)容(い)れて改革論を
唱ることなきを常とす。論者もこの一点に於(おい)ては必ず我輩と見(けん)を同(おなじ)う
する者ならん。然(しから)ば即ちその国会開設を企望する目的は、必ずしも政
府の政務を一時に改革せんとするの意には非(あ)らざるべし。固(もと)より
今の政府とて鬼神に非(あら)ず、その政務に往々失策欠典もあらん、得策盛
挙もあらん、或(あるい)は外面よりの視察に反して内部の内情は甚し(はなはだ)き私
にして醜なるものもあらん、又或は案外に公明にして美なるもの
もあらんと雖(いえ)ども、此(こ)れは是(こ)れ人事の常にして、之を評論するにはその
得失醜美の平均を見ること緊要なるのみ。結局国会の設なき間は天
下公論の帰する所を見るに由(よし)なし。その公論もなくして漫(みだり)に目下(もつか)の
事を喋(ちよう)々す(ちよう)るは、之を評して空論なり、水掛論(みずかけろん)なりと云わざるを得
ず。俗に之を譬(たとう)れば行〔司〕事なくして相撲を取るが如く、会頭(かいとう)なくして
会読(かいどく)するが如し。唯(ただ)徒(いたずら)に労して自(みず)から疲れんのみ。論者も斯(かか)る空論
を悦(よろこ)ぶ者には非ざるべし。然ば則(すなわ)ち論者が国会開設を企望するその
目的は、直に政務上に在らずして政体上に在ることならん。若(も)し夫(そ)れ
果して然るものならば、公明正大に之を述べて可なり。何ぞ故(こと)さら
に婉曲諷規(ふうき)、暗々裡(あんあんり)に政府を怨(うら)むを須(もち)いん。況(いわん)や得失の弁別もなく、
只管(ひたすら)政権の退縮を祈て、之(これ)を名(なづ)けて民権の伸暢(しんちよう)と称し、以(もつ)て俗間の
喝采を求めんとするに於(おい)てをや。尚(なお)況や事実に行わるべからざる事
を想像して一時の口実に用い、後日の実際に齟齬(そご)するをも顧ざ(かえりみ)る
に於てをや。無識の甚(はなはだ)しきものと云(い)うべし。尚語法を酷にすれば卑
屈の甚しきものと云わざるを得ざるなり。
例えば警察の官吏は、その法を守り法の如(ごと)く施行するのみにして、法
の是非得失を論ずる者に非(あら)ず。その法は良法にても悪法にても、唯(ただ)こ
れを実施すれば十分に職を尽したる者と云わざるを得ず。然(しか)るに
世間の壮年輩が政談、演説等を催(もよ)うして、動(やや)もすれば警察吏と争論
を起し、その結末は孰(いず)れが非(ひ)にして孰れが是(ぜ)なるも些々(ささ)たることにし
て、常に大風波もなく治ることなれども、是等(これら)の事を新聞社の探偵者が
探り得て之を紙面に記するには、某地方に有志者あり、某月某日に
斯(かく)の如し云々とて、暗(あん)にその演説者を庇保(ひほ)して警察吏を咎(とがむ)るその筆法
は、毎常、例に依て、俗に所謂(いわゆる)常文言とも云うべき風なり。稀(まれ)に一、二回
の事なればその筆法も一時の興(きよう)に随分面白き様なれども、再三再四、陳
腐(ちんぷ)に属して却(かえつ)て人をして厭悪(えんお)するに至らしむるは気の毒なる者
とこそ云うべけれ。又彼の府県庁と府県会との関係を見るに双方
各(おのおの)利害の異(こと)なるものもあらん、之を論議するは至当のことなれども、或(あるい)
は議事の利害をば第二着のことゝして、議員の熱心は唯原案破毀(はき)の
一点に在るもの尠(すく)なからず。世の論者も亦(また)この議員と心事を同(おなじ)う
するか、新聞紙等を見れば、庁と会と不和にして議員等が説を吐く
こと愈(いよいよ)劇なれば愈これを称誉して、某地方は議事盛(さかん)なりと、欣喜(きんき)に堪
えざる者の如し。その条件を枚挙(まいきよ)することは姑(しばら)く爰(ここ)に擱(さしお)き、全体の気風を論ずれば、今の政談論者の本色は只管政府の権力を退縮せしむ
るに汲々(きゆうきゅう)にして止(や)まざる者と云わざるを得ず。又論者は頻(しき)りに人
民の利益を謀(はか)る者なりと自(みず)から称して、租税は寛ならんことを欲し
民費は少なからんことを希(ねが)い、年来政府が税法を弛(ゆる)めて為(ため)に論者の
譏(そしり)を招きたることなく、又論者が新(あらた)に収税の法を工夫して増税の事
に論及したることもなく、結局その旨とする所は益(ますます)租税を薄くして斯
民(しみん)を休養するの一点に在るが如くして、人民も亦自家の勝手より
この旨を信じて疑わざることならん。然(しか)るにその論者が一方に財政困難
と名(なづく)る題を設けて謂(おもえ)らく、熟々(つらつら)案ずるに方今(ほうこん)国会開設の時正(まさ)に到
来したり、今や紙幣下落、物価騰貴、貧民饑寒(きかん)に堪えず、この時に当てこの
困難を救うの法は唯国会を開設するの一策あるのみとて、その工夫
極て容易なるが如し。我輩甚だ之に惑う。今試(こころみ)に論者の所望に任せ
て国会を開設せん。之を開設してこの困難を救うにその実際の方法は
何とするや。財政の困難とは国庫に金銀の少なきことなり、金銀少な
きが故に紙幣の交換難きことなり、紙幣の交換難きが故に紙幣下落
して物価騰貴することなり。故に一時にこの困難を救わんとするには、
内国債を募るか、又は外国に金を借用するの二法あるのみ。左(さ)れども
内債にても外債にても、金を借用すれば国庫の金を以(もつ)て之(これ)を償却
せざるベからず。又或(あるい)は漸次に之を救うて紙幣を交換せんとすれば、
毎年幾分の金を国庫に集めざるを得ず。然(しか)るに政府は金銀を生ず
るの地に非(あら)ず、国会も亦(また)これを生ずるの奇器に非ず、共に是(こ)れ本来
無一物の空処なれば、何(いず)れにも国庫に金を集るその金の出処は国民
の外(ほか)ならず。国民より国庫に納るもの、之を名(なづ)けて租税と云(い)う。本来
無一物の無中より頓(とみ)に有を生ずるの理なきは、三歳の童子も之を
聞て了解すべき事なるに、三十歳の論者にして之を解する能(あた)わざ
るか。思うに論者も実際の着手に臨(のぞみ)たらば、必ず他に妙案もなくし
て特に租税徴収と云うことならん。今日の議論上には斯民(しみん)を休養す
るの意を含み、以て人民の好意を買い、後日の実際に至ては特に租
税徴収と云うか、首尾顛末(てんまつ)齟齬(そご)するものと云うべし。蓋(けだ)し論者の思
想混乱とはこの辺の謂(いい)なり。
尚(なお)甚(はなはだ)しきの極(きわみ)は、国会開設の遊説者が民間に開設の便利を説諭す
るその便利の一箇条に、国会果して開く時は或(あるい)は現今の租税も尚一
層の寛大を致すべしとて、人間の私情に依頼して民心を動かす者
あるに至る。その遊説者は遊説を以て事とする者なるが故に、一時の
方便にこの説諭の策を用る者なりとして之を許すも、苟も(いやしく)憂国の士
君子を以て自(みず)から居る学者、論客が、その民心の動揺を見て某地方に
は幾万の有志者あり、その志は云々、その団結は云々とて、暗(あん)に之を奨励
して自(みず)から欣喜(きんき)の顔色を開くが如(ごと)きは、誠に憐むに堪えたり。論者
をして果してその志を遂(とげ)るを得せしめて、之に国事を議するの地位
を授けたらば何とするや。曩(さき)に減租の夢を妄想せしめたるその人民
の名代(みようだい)と為(な)りて、改めて増租のことを議するか、甚しき詐欺(さぎ)なり。仮令(たと)
い或は之を増さゞるも、前約の如く減ずるを得ざるときは如何(いかに)せん。
前言は之に戯るゝのみとて遁(のが)れんか、民事は戯に(たわむれ)非ず。孔子曰、(いわく)教え
ざる民を以て戦う、是(こ)れ之を棄(す)つと云うと。今の論者は民を教えざ
るのみならず、又随(したがつ)て之を欺くものなり。何の面目か以て復(ま)た人民
を見んとするか。維新の以前、世の有志者なるものは頻(しき)りに尊王攘
夷の説を主張し、一時に天下の民心を籠絡(ろうらく)して遂に幕府を倒し、天
下太平の東天、将(まさ)に明けんとするその時に於(おい)て、攘夷の説は早く既(すで)に
跡を収めて消滅したり。この時に於ても世の物論喧(かまびす)しからざるに非
ず、渾身(こんしん)攘夷を以て成立したる血気の壮年は、恰(あたか)も他人に売られた
るの思(おもい)を為(な)して大に不平を抱き、遂に之を兵器に訴えて、明治の初
年に長州の乱、次て肥後の神風連(じんぷうれん)の挙の如(ごと)きは、その精神の発表した
る者なり。左(さ)れども維新の事は兵馬の大挙にして、強大なる旧幕政府
を倒すが為(ため)に国人の血を流したることなれば、その大変動の際に或(あるい)は
前説を改るも大変中の一細事として人を瞞着(まんちやく)するの機もあるべ
しと雖(いえ)ども、この度の国会開設は王政維新に異(こと)なり、固(もと)より少年血気の
事に非ず、固より兵馬の力を藉(かり)るものに非(あら)ず、その由(よつ)て来(きた)る所は学者
の議論にして、その事に当るものは政治家の働な(はたらき)り、徹頭徹尾、道理に
基て腕力に依らざるものなれば、その道理論中に苟(いやしく)も人を欺き人を
売るの元素を含有したらば、実際に於(おい)て進退惟谷(これきわま)るの窮に陥ること
あるべし。真に愍然(びんぜん)ならずや。是(こ)れ即(すなわ)ち我輩が国会開設の事に付き、
論者の思想を転じて先(ま)ず政務喋(ちよう)々(ちよう)の壇を去らしめ、第一着の目的
を政体上に移さしめんと欲する由縁なり。
国会開設の目的とする所、政務に在らずして政体に向い、今の政体
を改めて立憲政体に為(な)さんとすることならば、固より我輩の主義に
して毫(ごう)も異議なし。殊(こと)に我輩はこの改革を以(もつ)て内の安寧(あんねい)を維持して
外に競争せんとする者なれば、公明正大に之(これ)を唱えて毫も憚(はばか)る所
あるを覚えず。抑(そもそ)も我日本は古来独裁の政体にありしかども、二十余
年前、国を開て外国と交を(まじわり)通じてより、人心俄(にわか)に一変して、文学技芸、
人間交際の事より衣食住居の物に至るまでも、旧を棄(す)てゝ新に移
るの風と為り、就中(なかんずく)政府なるものは最も人の注目する所の大物な
れば、この物をも旧を改めて新に移さんとする人心の企望(きぼう)に従い、遂
に明治元年、維新の大業を成したり。この大業は素(もと)より一、二の人力に
成るべきに非ざるの処、幸に(さいわい)して薩長土と云える強大なる三藩に
人物の結合して活溌なる者あるを以て、その藩名を用いて天下に率
先し、成功も意外に容易なりしことなり。斯(かか)る事の次第なるを以て、維
新の後に至り新政府に立て事を執(と)る者は大概皆三藩の士族に限
79p
り、啻(ただ)に貴顕の位に在るのみならず末流の小官に至るまでも、用い
らるゝ者は三藩人に多くして、世間或(あるい)は之を評して、日本の政府は
日本国の政府に非ずして三藩の政府なりと云(い)う者あるに至れり。
亦(また)謂(いわ)れなきに非ざるが如し。固よりこの三藩の士人にその才徳よくその
職に称(かな)う者も多からんと雖(いえ)ども、世間の目を以て之を見れば、他の事
情は捨て問わず、唯(ただ)その政府に用いらるゝは三藩人なるが故に用い
らるゝ者なり、三藩人の朋友なるが故に用いらるゝ者なりと臆測
せざるを得ず。道理を以て推すときは、才徳さえあれば之に国事を托
して苦情なき筈(はず)なりと思わるれども、心波情海(しんぱじようかい)、今日の実際に於(おい)ては
決して然(しか)らず。譬(たと)えば此方(こちら)より偶(たまた)ま招待せんと思う所の客にても、
主人の案内を待たずして強(し)いて人の家に入来(いりきた)るものあれば、その来
る事柄の偶ま都合好(よ)きと否(いな)とに拘(かかわ)らず、強いて来るの一点に付き
主人は必ずその入来を悦(よろこ)ばざるべし。人情の常なり、如何(いかん)ともすべから
ず。今三藩人の専ら政府に在る者を世間より見れば、恰(あたか)も我家に招
待せざる客の観を為(な)す者多し。即(すなわ)ち世人をして不平を抱かしむる
の一大原因にして、近来その国会開設を熱望するも、由(よつ)て来(きた)る所はこの
不平の一点に在りと云(い)わざるを得ず。今この不平の原因を除て社
会の安寧を維持するの法如何(いかに)して可(か)ならん。国会を開て政体を一
変し、多数を以(もつ)て政府の基礎とするの外(ほか)にその路(みち)なかるべし。
世の論者は明に(あきらか)その思想を述べず、或(あるい)は之(これ)を述るに拙にして紊乱(びんらん)す
る所のもの多しと雖(いえ)ども、その内部を開て心事の底を叩き、左の一案を
掲げて之に示したらば、必ずその本心に適中して是(ぜ)なりと云うことな
らん。等しく是(こ)れ日本国中の人民にして、薩長の士人に限り独(ひと)り政
治の才を有するの理あるべからず、薩州と云(い)い長州と云い、日本国中
如何(いか)なる地理の国なればその地に限りて人物を生じ、他の地方に限
りて人物を生ぜざるか。仮令(たと)い或は明治の初年には実に九州、中国
の両地方に人物多かりしとするも、十三年の日月を経て人民の教
育も漸(ようや)く進歩し、明治元年、十四、五歳の童子も本年は既(すで)に三十に近
き大人と為(な)りて、天下に人物決して乏しからず。早く政体を改革し
て立憲国会の政府と為し、三藩とも云わず薩長とも云わず、唯(ただ)衆庶
の望(のぞみ)を属する人物を選挙して之に国事を托し、日本国の国事を日
本国人の手に執(と)り、人を用るに地理に由(よ)らずして主義と才徳とに
由り、その才徳乏しければ人望爰(ここ)に去らん、その主義相異(あいこと)なれば政党こ
れに由(より)て相分(あいわか)れん、政党爰に分るれば、上は天皇陛下を戴き下は三
千余万の人民に対して、公明正大、白昼に前後を争い、その一進一退は
兵器に拠(よ)らず腕力を藉(か)らず、唯天下人心の向背(こうはい)に任ずるのみにし
て、恰(あたか)も争うて戦わず競うて乱れざるものなれば、競争活溌の間に
安寧(あんねい)の大義を存すべし。政体一変、以て国を泰山(たいざん)の安(やすき)に置て帝室を
無窮に伝え、その事情期せずして自(おのず)から英吉利(イギリス)の風に効(なら)い、東洋新(あらた)に
一大英国を出現して世界万国と富強の鋒を(ほこさき)争い、他をして三舎を
譲らしむるの愉快を見ること遠きにあらず。之を一個人にすれば真
に丈夫の事なり、之を一国にすれば真に独立国の事なり。我輩の考
案は斯(かく)の如(ごと)きのみ。論者以て如何(いかん)とす。必ず大なる異論もなきことな
らん。即(すなわ)ち我輩と所見を同(おなじ)うする者なり。然(しか)るに論者は唯その議論を
婉曲にせんと欲するが為(ため)に却(かえつ)て本色を失い、事の枝末に亘(わたり)て遂に
その論理失体の痕(あと)を示すは遺憾に堪えず。今日に在ては明に(あきらか)その所思
を吐露(とろ)し、一点の私情を交えずして訴うべきを訴え、以(もつ)て天下人心
の向背(こうはい)を試(こころみ)んこと我輩の希望して止(や)まざる所なり。前に記す如(ごと)く国
の政治を家の建築に譬(たと)え、行政の事務を普請の仕様として、政体の
仕組(しくみ)を職工雇入(やといい)れの事とするときは、論者は頻(しき)りに仕様の細目に眼
を着(ちやく)して職工の巧拙を評論する者にして、今の行政の枝末に喙を(くちばし)
容(い)れ、此(こ)れも斯(か)くあるべからず其(そ)れも然(しか)るべからずとて、その煩(わずら)わしきは
殿中の衆少婦人が部屋に集会して老女の挙動を評するに等しき
者なりと云(い)わるゝも、或(あるい)は少しく答弁に窮することならん。我輩は之(これ)
に反して今日遽(にわか)に普請の仕様を問わず職工の巧拙を論ぜざる者
にして、今の行政を可否するを好まず、官吏の賢愚を評するを好ま
ず。又その実際に就(つい)て見れば、行政必ずしも拙(せつ)ならず、官吏必ずしも愚(ぐ)
ならず、政府は人物の集る場所なりとて常に人の感心する所なり。
或はその人物の有無に拘(かか)わらず、その事業に拙なるものもあらん、その挙
動に私情の甚し(はなはだ)きものもあらんと雖(いえ)ども、之を論ずるも畢竟(ひつきよう)水掛論(みずかけろん)
のみ。故に我輩は今の行政を妄評せざる者なり、之を評するもその無
益なるを知る者なり、その無益なるを知て之に頓着せざる者なりと
雖ども、唯(ただ)爰(ここ)に止(や)むを得ざるの事情は、仮令(たと)いその行政は活溌にてもその
人物は賢良方正にても、この人物が何故に政府に在るか、この人に限り
て政府に在るは何故なるや、一度(ひとた)び政府に出れば何時(いつ)までも新陳
交代の路(みち)はなきやとの問題を起すに至ては、之に答ること甚(はなは)だ難(かた)し
その有様は彼の建築の一事に付き、仕様も悪(あ)しきことなからん、職工も
拙ならざることならんと雖ども、何故にこの職工に限りてこの建築を命じ
他は一切謝絶するやと問うて、之に答るに窮するが如し。畢竟この
問題は人の情に出る者なれば、新陳交代の門をさえ開けば、以て
人情を慰るに足るべし。開門後の実際に於(おい)て或は新陳交代せざる
こともあらん、夫(そ)れにても苦しからず。或は大に交代することもあらん、
是(こ)れにても差支(さしつかえ)なし。交代すればとて何程の事かあるべきや、唯(ただ)今
の政府の長官がその地位を去るのみに過ぎず。之を去ればとて外国
に行くに非(あら)ず、又これに代る者あればとて外国人の出現するには
非ず、結局日本国民中の事なれば、左(さ)まで熱して論ずるにも足らず。
故にその新陳交代の実際は兎(と)も角(かく)も、唯その門を開くのみの一挙にし
て、人民全体の所観は所謂(いわゆる)我方より案内したる客の入来なれば、人
情以て安く、不平以て除くべし。我輩が国の安寧(あんねい)の為(ため)に国会の開設
を企望(きぼう)して、専ら政体の一方に着眼するも即(すなわ)ち之が為のみ。
凡(およ)そ人類として権を好まざる者なし、権柄(けんぺい)を掌握して威福を行う
を好まざる者なし。之を名(なづ)けて私心と云えば私心なれども、驚くに足
らず。所謂聖人ならば或はこの私心を抱かざる者もあるべしと雖(いえ)ども、
迚(とて)も文明の今日に在て聖人の出るを望むべからず。左(さ)れば人の威福
を好むは真にその天性にして、猶(なお)生来の酒客が酒を好むの情に異(こと)な
らざるものと云(い)うも可(か)なり。今政府の要地に立つ者は、或(あるい)は時とし
て威福を行う事もあらん、誠に当然の事にして猶(なお)劉伶(りゆうれい)が甕下(おうか)に坐
して飲むが如(ごと)し、誠に当然の事にして誠に怪しむに足らず。若(も)しも
甕下の劉伶が終年醒(さむ)ることもあらば、その時こそ却(かえつ)て驚くべき者な
れ。抑も(そもそ)威福とは要路の執権者がその地位に居て人を畏(おそ)れしめ人を
喜ばしむることなり。或は人物を採用して之(これ)に官を授けたらばその人
は喜ぶことならん、又これを擯(しりぞ)けんとしたらば畏るゝことならん。或は
官途の進退のみに非(あら)ず、民間の人に政府の勢を貸すこともあらん、或
は直に金を貸すこともあらん、その事情は様々にして、之を処するに当
路者が私意を以(もつ)てすると否(いな)とに拘(かか)わらず、苟も(いやしく)その一挙一動、衆人の
喜憂たらざるはなし。即(すなわ)ち人をして己が動静に注目せしむる者な
り。他の鼻息を窺(うかが)う者こそ鄙劣(ひれつ)なれども、人をして己が鼻息を窺わし
むるは、他に在て鄙劣なる程に此方(こちら)に於ては愉快に堪えず、政治家
の最も得意とする所にして、誠に小児の戯に(たわむれ)等しき様なれども、所謂(いわゆる)
功名なるものゝ実を叩てその正味を云えば唯(ただ)この辺に在て存するの
みの事なれば、この政治家に向て、徒に(いたずら)その道徳の薄きを咎(とが)め、その賢良方
正ならんことを希(ねが)い、その威福を行うの功名心を留めんとするは、畢(ひつ)竟(きよう)
人類の天性に背くものにして到底行わるべきに非ず。強(し)いて之を
留めんとするは、劉伶をして自(みず)から酒を禁ぜしめんとするに異(こと)な
らず、迂闊(うかつ)の談と云うべきのみ。故に世の論者が若(も)しも今の政府に
威福の行わるゝを見て之を不快なりと思わば、直にその事柄を喋(ちよう)々
す(ちよう)るよりも、そのこれを行うの地位に規則を定め、何人(なんぴと)にてもその地位
に進むべきの路(みち)を開き、その進退の法を公に(おおやけ)せんことを勉(つと)むべし。即ち
何は扨(さて)置(お)き国会を開設することなり。斯(かく)の如くしたる上にても威福
を行うの心は人類に止むべきに非ざれば、何人の手に政権を握る
も威福は尚(なお)依然として行わるべしと雖ども、恰(あたか)も人民自(みず)から行うの
威福なれば人情以て安かるべきのみ。滔々(とうとう)たる天下皆劉伶なり、その
禁酒は固(もと)より望むべきに非ず、唯今日の要はその座右の大甕を検束
して独(ひと)り之を専にせしめざるに在るのみ、仮令(たと)い之を専に(もつぱら)せしむ
るもその専有の時限を定め、天下の衆劉伶をして代る〲酔わしむ
るに在るのみ。
世人或(あるい)は今の旧強藩の士人が専ら政府の権柄(けんぺい)を握るを見て、一筋
に之を不遠慮なり傍若無人(ぼうじやくぶじん)なりとして咎(とがめ)る者あれども、我輩に於(おい)て
は漫(みだり)にその人を咎めず、唯(ただ)時勢に於て止(や)むを得ざるものあれば、時勢
のため、国安のために、その人をして自(みず)から遠慮する所あらしめんこと
を希望する者なり。前に云(い)える如(ごと)く、維新の大業は首として旧強藩
の力に依て成りしものなり。この一挙に就(つ)きその士人が心身を労した
るは如何(いか)ばかりなるべきや。維新以前の艱難苦辛(かんなんくしん)、国事犯の為(ため)に命
を隕(おと)したる者も少々ならず、維新に際して戦場に死したる者の如(ごと)
きは実に夥し(おびただ)きことならん。生命は人間無上の宝なり、強藩の士人は
この宝を投じて維新の大業を成したるものにして、その業成れば随て(したがつ)
政府の権力を握るも亦謂(またいわ)れなきに非(あら)ず。取りも直さず強藩の士人
は生命を以(もつ)て権力を買(かい)たる者なり、虎穴(こけつ)に入て虎子(こし)を得たる者な
り。今人動(やや)もすれば官員録を開き、奏任以上の官吏に強藩人の多き
を見て之(これ)を他諸藩に比較し、その平均を得ざるを以て不平の口実に
用る者ありと雖(いえ)ども、姑(しばら)くこの官員録を閉じ、維新の前後に強藩人が国
事に命を隕し戦争に討死(うちじに)したる者の数を挙て、之を他諸藩人の割
合に比較したらば是(これ)亦甚(はなは)だ不公平にして、命を捐(すて)る者は専ら強藩
人の職分の如くなりしを見るべし。命を捐たる不公平は之を黙々(もくもく)
に附して、独(ひと)り官員録の不公平を鳴(なら)すとは、少しく計算の法に叶わ
ざることならん。試に(こころみ)二百七十年の古(いにしえ)に溯り(さかのぼ)て徳川政府の事情を見
よ。関原(せきがはら)の一捷(いつしよう)以て天下の諸豪を威伏し、自(みず)からその子弟に大国を分
与し、その隸属を列藩に封じ、天下を三分してその二は徳川の一類に帰
し、如何(いか)なる大藩主にても所謂(いわゆる)外様(とざま)なる者は之を目(もく)して降参武士
と称し、蕞爾(さいじ)たる旗下の士に蔑視せられて復(ま)た顔色なかりしに非
ずや。不遠慮も亦甚(はなはだ)し。現に今日、第十五国立銀行の株主姓名表を一
見して、徳川家の一門より旧譜代大名の所有する株数を合して、之
を旧外様大名の株数に比較すれば、殆(ほとん)ど相半するに近し。その自(みず)から
利するの厚き、以て知るべし。武力の余光に非ずして何ぞや。跋乎(ばくこ)た
り二百七十年、その一戦の勝敗を以て今日尚(なお)十五銀行の株数に影響
を及すとは、実に驚くに堪えたる者なり。この辺の事実を勘弁して
今日の事を思えば、彼の強藩の士人が奏任以上の官に多ければと
て何程の特典とも云(い)うに足らず。昔日の日本ならば今の有様を以
て公平に過ぎ遠慮に過ぎたる者と云(いい)て可なり。又是等の士人は
維新の前後より引続き今の政府に在る者なれば、その交情の親密な
る固(もと)より論を俟(ま)たず。或は旧同藩の好(よしみ)もあらん、或は同窓同遊の交(まじわり)
もあらん。殊(こと)に昔年、京摂の間に江戸の内外に、辛苦(しんく)を共にし死生を
誓うたる事より、伏見の夜雨、奥羽の秋風、今にして之(これ)を語れば他人
の得て知るべからざるの至情もあらん。人生の一大楽事なり、又一大
得意なり。左(さ)れば今日在政府の人はその大半、情を以(もつ)て結合する者と
云(い)わざるを得ず。然(しか)るに今政体を一変して国会を開き、人物出処の
源を(みなもと)投票の多数に由(より)て決するものとするときは、維新の事業に関係
したる人も関係せざる人も同一様の地位に并立(へいりつ)して、一方は労し
てその酬を失い、一方は労せずして損する所なきが如(ごと)く、又これに加
るに事物の変動に際して懐旧の情も亦(また)随て(したがつ)自(みず)から動揺なきを期
すべからず、之をも放却し之をも忍ばんとするは事実に於(おい)ても人情
に於ても頗(すこぶ)る困難なる場合と云うべし。
二百年外の眼を以て今の有様を見れば、維新の功臣が維新の政府
に立ち、全権を以て国事を専にするも固(もと)より理の当然にして、日本
国中誰(た)れか一句の否の字を云わん。今の所謂(いわゆる)在野の有志にして参
九十四 頁
政の権を得んと欲する人物とは抑(そもそ)も何ものぞ。維新有功の人にし
て偶(たまた)ま路(みち)に当るを得ず、退て不平を鳴らして政治の一部分に参与
せんと欲するが如き者あらば、不平ながらも自(おのず)から男児の不平に
してその理由ありと雖(いえ)ども、顧て(かえりみ)その他を見よ。十三年前、酸風苦雨(さんぷうくう)のその時
には国事に就(つい)て毫(ごう)も痛痒(つうよう)を覚えず、恬(てん)として呉越(ごえつ)の観を為(な)すもの、
天下の農商、皆是(これ)なり。平民は姑(しばら)く擱(さしお)き士族以上の輩に於ても、首鼠(しゆそ)
両端に非(あら)ざれば則(すなわ)ち袖手傍観、(しゆうしゆぼうかん)見(けん)なく識(しき)なく、漫(みだり)に新政を怨(うらみ)て人の
事を妨げ、以て一時の快と為(な)す者あり。或(あるい)は自(みず)から強弱を揣(はか)らずし
て試に(こころみ)王師に抵抗したるも、その終局は降伏謝罪のみ。風雨既(すで)に収り、
事物漸(ようや)く緒に就(つ)くに及で、厚顔(こうがん)にも是等(これら)の輩が新政府の下に奔走
して名利を求め、意気揚々として恰(あたか)も他人の盛宴に伴食して得色
ある者の如し。何ぞ夫(そ)れ不廉恥(ふれんち)の甚し(はなはだ)きや。或はその名利を求めて得
ざるものあれば則(すなわ)ち怨望(えんぼう)す。何ぞ夫れ不条理の甚しきや。徳川の初
年ならば所謂降参武士のみ、卑怯者のみ。何ぞこの輩を名(なづ)けて有志
の人物とせんや、何ぞこの輩をして国事に喙を(くちばし)容(い)れしめんや、之を政
治社会の外に放却して可なり。二百年外の目を以て事を論ずれば
誠に然り、更に間然(かんぜん)すべきものなしと雖ども、人事に於て最も有力に
して敵すべからざるものは、その時の勢(いきおい)と歳月の経過とこの二者なり。抑(そもそ)
も維新の大業は専ら強藩の力に依て成りしものと雖ども、強藩の中、
徳川家康あるに非ず、強藩の士人、一個人を仰(あおぎ)てその指揮に従うたる
に非ず。況(いわん)や当時の事に当たる者は強藩に限らずして、その他にも人
物甚(はなは)だ多し。結局衆多(あまた)の力を結合して成功を得たるものなれば、体
裁こそ違え、衆庶の会議なり。或(あるい)は直に之(これ)を会議と名(なづ)くべからざれば、
会議の元素と云(いい)て可(か)ならん。当時有名なる五条の御誓文なる者
あり。この御誓文の出るや決して偶然に非(あら)ず、恰(あたか)もその時の勢(いきおい)を表し出
したる者と云(い)わざるを得ず。足利廃して織田、豊臣興(おこ)り、豊臣亡び
て徳川これに代る。この徳川を倒したらば第二の幕府こそ興りて誰
にか将軍宣下(せんげ)あるべき筈(はず)なるに、天下に信長、秀吉なく又家康なし。
仮令(たと)い是(こ)れあるも社会に斯(かか)る英雄の所用あるを見ず。即(すなわ)ち御誓文
第一条に、広く会議を興して万機公論に決すの句ある由縁にして、
会議の元素は明治元年三月十四日、既(すで)に已(すで)にその形を顕(あら)わしたるも
のと云うべし。左(さ)れば維新の功臣、その偉功は即ちその人の偉功にして
その栄誉もその人に属し、断じて他人の争うべきものに非ずと雖(いえ)ども、この
偉功栄誉に由(より)て門閥を起したる者に非ず。門閥と会議とは正(まさ)しく
反対して元素を殊(こと)にする者なればなり。之を王政維新の時の勢
と云う。この勢を以(もつ)て今日までに持続し、到底門閥論は勢の許さゞる
所のものなれば、俗に所謂(いわゆる)藩閥の勢力も次第に滅却せざるを得ず。
一時の功業に由て永く勢力を持続するもの之を閥と云う。閥論次
第に衰れば功業の余光も亦(また)随(したがつ)て衰えざるを得ず、その余光次第に衰
れば無功の人も亦随て平等の地位を得るは自然の勢にして、曩(さき)に
不廉恥として咎(とが)めたる者も今はその既往(きおう)を問わずして可(か)なり。況(いわん)や
維新の時に功なき者とて悉皆(しつかい)不廉恥者にも非ず、又爾後(じご)十三年の
日月に成長したる人物も甚だ多ければ、今日は平等一切、有功無功
を論ずるの日に非ざるなり。
歳月の経過するに従て時勢の変遷するは人のよく知る所にして、
人の口にも常に言う所なれども、唯(ただ)時勢の変遷とのみにては恰も無
形の働に(はたらき)して漠然(ばくぜん)たるが故に、爰(ここ)にその実況を説かん。抑(そもそ)も変遷とは
天下の人心、新説に遷(うつ)ることなり、新説に遷るとは旧套(きゆうとう)を忘るゝことな
り。而(しこう)してその由(よつ)て来(きた)る所の原因は後進の人物に在り。窃(ひそか)に案ずるに、
人心の規則に於(おい)て少年は性急なり、性急なるが故に時を長しと思
う。例えば児童が指を屈して元旦の来るを待ち、血気の壮年に十年
後の利害を語て耳を傾けざるが如(ごと)き是(これ)なり。又過去の事に就(つい)ても、
三年前の事は遥(はるか)に昔の如く、三年五年、或(あるい)は十余年前に溯れ(さかのぼ)ばその記
憶なき時なるが故に、殆(ほとん)ど太古の観を為(な)すも謂(いわ)れなきに非ず。時を
長しと思うが故に事を企ること多し、然(し)かも旧を忘れ或は旧を知ら
ざるが故にその企る所のものは新奇ならざるはなし。少年の時様(じよう)を
好むも偶然に非ず。之に反して老者の心は緩慢なり、心緩慢なるが
故に時を短しと思う。歳月流るゝが如(ごと)しと云(い)い、春去秋来忽(たちま)ち一年
を過ぐと云(い)うが如(ごと)きは、老者の心事を表したるものなり。時を短し
と思うが故に事を企ること少なし、偶(たまた)ま之(これ)を企れば旧(ふる)き事を再挙三
挙せんとするを常とす。或(あるい)は老人が性急にして頻(しき)りに事を急ぎ、壮
年が事を等閑(なおざり)にして怠るは、この論旨に反するが如くなれども、その実は
老人の心に於(おい)てこの事を成すに時間を不足なりと思うが故のみ。壮
者の之を怠るはその時間を十分なりとするが故なり。又少年の眼に
は老者の老するを見て怪しまざれども、老者は少年の妻を娶(めとり)て既(すで)に
子を生むと聞て驚き、又偶(たまた)ま既往(きおう)の事変の年月を忘れて、之を老者
に質(ただ)せば近きに誤り、少者に質せば遠きに誤ること多し。又彼の樹木
を植る者を見るに多くは老者の事たり。数理を以(もつ)て論ずれば少年
こそ之を植えて生涯に成木を期しその菓実(かじつ)の収穫を楽しむべき筈(はず)
なれども、決して然(しか)らず。何(いず)れも皆老少の心事に緩急あるの実証なり。
その緩、その急、孰(いず)れか是(ぜ)にして孰れか非(ひ)なるは明断し難(がた)しと雖(いえ)ども、新陳
交代は人間社会の定数にして、先進の進む者漸(ようや)く進で去れば、後進
の進む者漸く増進して漸く新主義を唱え、遂に旧を忘れて新に遷(うつ)
るは社会の風潮必然の勢なり。例えば今、弱冠の少年に封建時代の
事を語るも、漠然(ばくぜん)として感覚なき者の如し。諸侯の何者たるを知ら
ず、藩政の何事たるを知らず、領地、門閥、格式、知行云々等、当時に最も
重大なる事柄を告るも、その事の性質を解せざるのみならず、その言葉
をも知る者なし。在昔(ざいせき)、織田、豊臣、徳川等の交代したる時には、政府こ
そ交代したれども社会の組織は同一の筆法を存して、恰(あたか)も現在の事
物を鏡にして先代を写すが故に、旧を忘るゝこと甚(はなは)だ難(かた)しと雖ども、今
の日本には封建の時代を写すべき明鏡有るなし、旧を懐(おも)わんとし
て懐うに由(よし)なきものなり。然るにこの少年の教育は昔に倍して注意
を加え、才力の発達決して晩(おそ)からず。旧を知らずして新を知る、今後
黙止(もくし)する者に非(あら)ざるなり。又弱冠を超て三十歳前後の輩にても、維
新の時には僅(わずか)に十六、七の少年にして、固(もと)よりその事に参(あずか)らざるのみ
ならず、その事を目撃してその情を解すること能(あた)わざりし者なり。故に維
新の事情は今日三十三、四歳以上の者にして始めてよく之を知り、
彼の強藩有功の有様をも了解することなれども、今の社会の表面に立
つ者は必ずしもこの年齢の人のみに非ずして、三十以下の後進生に
人物甚だ乏しからず。年々歳々、進む者は進で止(や)まず、漸くこの後進生
を以て社会を組織するの勢なれば、この時に当て日本の政府は維新
有功の元素を以て立つものなりと云(い)うも、人民の社会はその功業の
実情を知ること深切ならず。その状恰(あたか)も今の児童に向て弓矢槍剣(きゆうしそうけん)の利
を説くが如くにして、殆(ほとん)ど感覚を起すに足らざることならん。蓋(けだ)し人
の無智なるに非ず、又薄情なるに非ず、真実これを知らざるなり。記
者の如(ごと)き老人の心に於(おい)ては歳月流水に似たり、十三年前の維新は
昨日の如くに思うのみ。政府の当局者に於ても必ず然(しか)らん。分明な
り革命維新の夢、蓋世(がいせい)の功名誰(た)れか忘るゝ者あらん、今にして黄口(こうこう)
の小児輩が喋(ちよう)々(ちよう)世事を語るも、誠に歯牙(しが)に留(とどむ)るに足らずと思わる
ゝことならんと雖(いえ)ども、如何(いかに)せん、この十三年の歳月は後進の社会に於て
百三十年の観を為(な)し、唯(ただ)明治初年、会議云々を以(もつ)て心に銘じ、有功藩
閥の旧套(きゆうとう)を知らずして民権の新説を悦(よろこ)び、我政府は立憲国会の政
府たるべき筈(はず)なりと信じて、その信ずる所に違(たが)うものあれば則(すなわ)ち不
平なきを得ず。その不平を訴るの法は、或(あるい)は演説に或は新聞雑誌に、様
々に術を尽して至らざる所なし。即(すなわ)ち社会の風潮なるものなり。固(もと)
より政府たるものに於て人民の不平は逐一これを慮る(おもんぱか)に遑(いとま)あら
ず、社会の風潮恐るゝに足らずとするも、爰(ここ)に之(これ)が為(ため)に恐るべきは
施政の難渋を致すの一事なり。難渋とはその字義の如く政令を施す
に難くして渋きことなり。渋は滑の反対にして、施政の是非得失にも
拘(かか)わらず、唯(ただ)これを遅滞せしむることなり。例えば政府より人民に令
して直に服すべきものにても、殊更(ことさら)に故障を生じて、或は歎願と云
い、或は訴訟と云い、一日に行わるべき事も十日を費し、十日に成る
べき事は三月を要するが如く、唯徒(いたずら)に時を消費して堪え難(がた)きもの
多からん。堪え難きに堪るは人類の能(あた)わざる所にして、遂には威力
を以て之を圧するの要用なるを見るに至らん。人民の為(ため)に所謂(いわゆる)圧
制政府なる口実を作て之に授るものなれば、政府の不利これより
大なるはなし。現に今日にても或は府県に於(おい)て官民の間に何か不
和を生じ、人民は事の成らざるを知りながら喋(ちよう)々(ちよう)之を談論して、県
庁に歎願し、本省に愁訴し、或は知事、県令等を相手取りて出訴する
者もなきに非ず。何(いず)れも皆施政難渋の媒介たるべし。具眼(ぐがん)有識にし
て恰(あたか)も悟道したる人物の評論に附すれば、この愁訴歎願も誠に愚な
るが如くなれども、智愚混同したる衆庶を相手にして政を(まつりごと)施す者に
於ては、決して之を蔑視すべからず。施政、内に難渋すれば、外に接する
の政略も亦(また)自(おのず)から為に退縮せざるを得ず。恐るべきの甚し(はなはだ)きもの
なり。局に当る者は時勢の変遷に注意して特に慮る所なかるべから
ず。若(も)し或は然らざるか、我輩も徒に論弁のみを費す者に非ず、局外
当に大に慮る所のものあるべし。
又維新の初(はじめ)より門閥を廃して人才登用の路(みち)を開き、爾後(じご)人物の出
処を問わずして政府に用いられたる者甚(はなは)だ尠(すくな)からず。殊(こと)に近年
に至ては教育の法も漸(ようや)くその実効を奏して、維新の時の少年も今は
既(すで)に有為(ゆうい)の人物と為(な)り、日新の時勢、必ずこの後進生を用いざるを得
ず。左(さ)れども人を登用するの路(みち)を開けば、又同時に人を沙汰(さた)するの路
を開くも当然の数にして、十三年のその間に新陳交代して政府を去
たる者も亦(また)甚だ多し。而(しこう)してその政府を去たる者の中には、維新の功
臣なる者もあり、仮令(たと)い或は功臣の名称なきも維新の事に関係し
て力を尽したる者は尠(すく)なからず。この流の人は昔年維新の人にして
今日維新の政府に立たざる者なり。維新の功臣果して功臣なるが
故に政府に立つべき者とすれば、その立つべきの地位に立つを得ざ
る者と云(いう)て可(か)なり。甚だ不都合なるに似たり。然(しか)りと雖(いえ)ども今その然る
由縁を尋れば、唯(ただ)歳月の経過するに従て人事も次第に変遷し、昔年
は天下維新の功臣に非(あら)ざれば人に非ずと云(い)う程の勢(いきおい)なりしも、今
や則(すなわ)ち然らずして、社会の人心次第に旧套(きゆうとう)を忘れて新説に遷(うつ)るの
証として見るべきのみ。歳月の経過、人事の変遷、恐るべきものなり。
故に是等(これら)の論点より見れば、今の強藩の士人が政府に在るは、唯その
維新の功臣なるが故のみを以(もつ)て然るものと云うべからざるなり。然
りと雖ども、目下(もつか)の事実に於(おい)ては政府は権力の本源にして、現にこの地
位に在てその権柄(けんぺい)を握り、有功の臣にして国事を左右す、容易に之(これ)に
向て喙(くちばし)を容(い)るべからず。即(すなわ)ち我輩が今の政府の人を不遠慮なりと咎(とが)
めずして、特にその報国尽忠の丹心(たんしん)を喚起し、時勢の変遷のため、内国
の安寧(あんねい)のため、又外に対する国権のために、却(かえつ)て自(みず)から遠慮する所
あらんことを希望する由縁なり。又我輩が之を希望するとは、徒に(いたずら)成
るべからざることを坐して待つに非ず、必ずその成を期して違(たが)うなきの
実証あり。その次第は、試に(こころみ)今の政府に在る人物を見よ、決して守旧因
循(いんじゆん)の人に非ず、門閥の子に非ず、深宮に養われたる軟弱的に非ず。今
を去ること十数年、天下有志の士人が徳川政府の頑陋(がんろう)不断を憤て之
を顛覆(てんぷく)せんことを企て、各(おのおの)自(みず)から志を決して凡(およ)そ人間の危険、一とし
て犯さゞるはなし。薩人は生麦(なまむぎ)に英人を殺して、翌年はその軍艦隊と
鹿児島港に戦い、長人は幕府に擯斥(ひんせき)せられたるを怒り、僅(わずか)に数百の
人数を以て諸藩兵の充塞する京師(けいし)に討入(うちい)る等、その勇決敢行(かんこう)、世間の
耳目(じもく)を驚かすに足るもの多し。又その前後より維新の際に至るまで、
この流の人が各地に出没して、人を殺したることもあらん、家を焼たる
こともあらん、或(あるい)は窃(ひそか)に討幕出師(すいし)の策を議する者あり、或(あるい)は公(おおやけ)に大政
返上の事を建言する者あり。その時に在ては過激乱暴の名ありと雖(いえ)
ども、乱暴にもせよ過激にもせよ、その当局者の身に於(おい)ては国事の為(ため)に
私心を去り、固(もと)より必死の覚悟にして万に一も生を期したることに
非(あら)ず、一身の生命を視(み)ること土芥(どかい)の如(ごと)くなるものと云(い)うべし。斯(かか)る事
の勢(いきおい)を以(もつ)て遂に維新の大業を成し、その新政府に立つ者は当時の有
志者、尚(なお)その時の文字を用れば当時の乱暴人にして、事変の際に幸(さいわい)に
して生命を全(まつと)うしたる者なり、即(すなわ)ち万一の僥倖(ぎようこう)に生き残りたる者
なり、又或は直に当時の事に関係せざるもその同流の人物ならざる
はなし。現に今日政府の人の履歴書を一見してその事実を知るべし。
之(これ)を要するに維新政府の人物は、守旧家に非ず因循(いんじゆん)家に非ず、却(かえつ)て
守旧因循の敵にして、その気象或は果断に過るあるも足らざるの証
を見ず。維新の大業纔(わずか)に成れば又随(したがつ)て廃藩置県、法律に兵制に、文物
に工業に、一切旧を棄(す)てゝ新に移り、恰(あたか)も日本国の全面を一変して
曾(かつ)てこの変動に驚くの色なく、悠々(ゆうゆう)平気にして十三年を経過したる
は、之を評して豪胆(ごうたん)剛毅(ごうき)と云(い)わざるを得ず。〔この〕豪胆剛毅の資を以て
この大変動に処し、百折不撓(ひやくせつふとう)、以て十三年の久しきに堪えながら、独(ひと)り
今日国会開設の一事に至て躊躇(ちゆうちよ)するの理あらんや。国会を開けば
とて政府の人の身に取りて何程(なにほど)の事かあるべきや、唯(ただ)国民投票の
多寡(たか)に由(より)て進退を決するのみ。我輩の所見にては、その開設の後とて、
悉皆(しつかい)今の在政府の人物を除(のぞき)て、更に新(あらた)に良政府の出現すべきとも
思われず。苟も(いやしく)内安外競の主義を重んじて乱を好まず、内に相和(あいわ)し
て一国実際の進歩を謀(はか)らん者は、官民を問わず唯有為(ゆうい)の人物に国
事を任ずるこそ国民たる者の本意なれども、若(も)し或は然(しか)らずして、従
前在官の人に限りて之を除かんと欲するか、その人は唯政府の地位
を棄てゝ去らんのみ。この地位固より金玉(きんぎよく)に非ず、昔年は一命を拋(なげうち)て
尚且(かつ)辞せず、今日僅(わずか)に在官の小栄利、これを棄(すつ)るは猶(なお)敝蹤(へいし)を棄るに
異(こと)ならず。十三年の功業、既(すで)に已(すで)に大なり、尚何ものに恋々(れんれん)して反顧(はんこ)
する所あらんや。之をその平生の気象に徴(ちよう)し、その多年の履歴に証して、
明に(あきらか)知るべし。我輩の希望決して空しからざるなり。
西洋諸国に行わるゝ国会の由来を尋るに、人民の智見漸(ようや)く進で漸
く勢力を得るに従い、次第に政府の圧制を厭(いと)うてその政権の幾部分
を剥取(はぎと)らんとし、政府は之を拒(こばん)で益(ますます)圧制を加えんとし、官民正(まさ)しく
相敵(あいてき)して毫(ごう)も相容(い)れず、或は兵力を以て集会を解き、王命を以て人
を捕縛し、或は金穀(きんこく)を以て政府を要し、徒党を結て王室を脅(おびや)かす等、
様々の事変を重ねて今日に至りしものにて、英国の如きその一例な
り。今の世の論者は是等(これら)の歴史を読むか、又は之を読書家の言に聞
て、国会を開設するは容易なる事に非(あら)ず、必ず人民の勢力を養うに
非ざれば叶わず、力を尽して政府に抗抵((ママ))するに非ざれば叶わず、国
会を開くは圧制政府を倒さんが為(ため)なり、之(これ)を倒さんとすれば政府
は必ず益(ますます)圧制に募(つの)るものなり、我々も固(もと)より覚悟の前なり、政府も
必ずその覚悟ならん云々とて、独(ひと)り自(みず)から煩悶(はんもん)する者の如(ごと)くなれども、
余輩はこの様子を見て唯(ただ)気の毒に思うのみ。蓋(けだ)し論者は人間活世界
の有様を臆測して、外題(げだい)の定りたる芝居狂言の如くに視做(みな)し、初幕
は大序(だいじよ)にして、二段目は宝物を紛失し、幾段目は悪人専権にして善
人圧制を蒙(こうむ)り、末段に至て王莾(おうもう)は夷誅(いちゆう)せられ周公(しゆうこう)は青天白日なり
と、幾度(いくたび)見物しても同一様の順序を違(たが)えず、人事も亦(また)斯(か)くの如しと
思込たることならん。故に爰(ここ)に国会開設と外題を出(いだ)せば、この外題に必
要なるは政府の圧制と人民の抗抵((ママ))と二様の主点なりと思い、乃(すなわ)ち
この主点に基き、数百年前、西洋諸国に行われてその歴史に記したる如
く、今日、我日本にも行われてその順序次第を同(おなじ)うし、我政府は西洋に
て云(い)えば数百年前の圧制政府なるが故に、我々人民も亦数百年前、
西洋諸国の人民の如く之(こ)れに抗抵せざるべからず、日本の明治十三年
は西洋の千何百何十年に当るとて、恰(あたか)も外題の定りたる西洋の歴
史を、無理に今の日本の活世界に附会(ふかい)せんと欲する者の如し。甚(はなはだ)し
き誤謬(ごびゆう)ならずや。抑(そもそ)も我日本の政府、圧制ならざりしに非ず、門閥の
権柄(けんぺい)、強大ならざりしに非ずと雖(いえ)ども、十三年前、維新の一挙、以(もつ)てこの政
府を倒しこの門閥を廃して、今日より見れば既(すで)に過去に属する事な
らずや、国会とこそ名義はなけれども衆庶会議、民権伸暢(しんちよう)の元素は、維
新の初(はじめ)に既に形を成したるに非ずや、廃藩置県はこの元素の発達し
たるものに非ずや、華士族が利禄を失うて黙々(もくもく)するはこの元素の勢
力に非ずや、平民に乗馬を許し、士族に帯刀(たいとう)を禁じ、地券を発行し、法
律を頒布(はんぷ)する等、一としてこの元素の影響に非ざるはなし、一として
民権の為に利ならざるはなし。之を要するに明治元年、将軍宣下(せんげ)の
事なくして第二の幕府を作らず、天下有為(ゆうい)の人物を選(えらん)で之を貴要
の地位に用いたるは、古来、日本政府の圧制消滅の日と云(いう)て可(か)なり。
即(すなわ)ち今の政府の当局者は十三年以前の民権家にして、その平生の所
見を実際に施行したる者なり。或(あるい)はその平素の主義、大に異(こと)なりしも
のもあらんと雖ども、維新に際して心事を改め、よく時勢に適して始
めて維新の政府に立つを得たる者なり。如何(いか)なる英雄豪傑にても
時の勢(いきおい)に反して時の事を執(と)るを得んや。その実証には、明治の初年に
政祭一途(いつと)論の如(ごと)きも暫時(ざんじ)行われんとしたれども、時勢に反するが故
に忽(たちま)ち跡を収めてその流の人は早く既(すで)に屏息(へいそく)したり。大勢の方向以(もつ)
て知るべきのみ。左(さ)ればこの当局者は之(これ)を今の世の民権論者に比較
して、その心事の改革に遅速前後こそあれ、主義に於(おい)ては同志同感の
朋友なりと云(い)わざるを得ず。然(しか)るを論者は、今日始めて民権の題目
を唱出(となえいだ)して、恰(あたか)も詩を作る人が先(ま)ず前句を得て後に対句を求るが
如く、民権の対句に圧制の二字を用い、政府施政の得失を攻撃して
この二字の名を蒙(こうむ)らしめんとするは、敵する所を誤る者と云うべし、
時節を取違えたる者と云うべし。旧幕府の時代に当てその門閥圧制
を攻撃するに今の筆法を以てせば則(すなわ)ち可(か)ならんと雖(いえ)ども、今や時節
は既に過ぎたり、尚(なお)何ものに敵せんと欲するか。今日の要は唯(ただ)数年
前に発達したる会議の精神を保存し、他をして之を瞞着(まんちやく)せしむる
ことなくして、この精神に附するに国会の体裁を以てするに在るのみ。
即(すなわ)ち儀式の事のみ。今この儀式を執行するに友意を以てすると敵
意を以てすると二様の別あり。甲は安全にして乙は危し。論者は危
道(きどう)に従わんと欲するか。我輩は然らずして安全を主とす。或(あるい)は仮令(たと)
い危道を用るも、之に由(より)てよく人民の志願を達し一国の幸福を致
すの目的あれば尚可なりと雖ども、その結局を推考すれば後日に至て
全く目的に反するの失望に逢うべし。論者の為(ため)に取らざる所なり。
我輩は悪意を抱かず故意を〔挟〕狭まず真成に国の為に国会開設を企
望(きぼう)する者なり。そのこれを開くの法は今の政府を挙て民権者中の一
部分と認め、政府をして自(みず)から之を開かしむるに在り。即ち之を友
視して人民と共に内国の安寧を維持せしめんと欲する者なり。即
ち友意に出(い)でゝ安全の道に由(よ)る者なり。若(も)しも然らずして他にその
法を求め、強(し)いて政府を敵視して争論を開かんか、目的を達する能(あた)
わざるのみならず、由て生ずる災害は底止(ていし)する所なかるべし。初め
は先ず筆端口頭を以て争論すること今の論者の如くせん。口既に論
じ尽し、筆既に書き尽したらば、之に次(つ)ぐの手段は如何(いかに)するや。必ず
腕力に訴えざるを得ざるべし。実に危道ならずや。この困難なる外国
の交際を引受けながら、内に腕力を以て相(あい)争うとは何事ぞ。論者の
為に取らざるのみならず、天下の禍(わざわい)これより大なるはなし。公衆の
許さゞる所ならん。左れども既に敵するとあれば、その結局の至る所を
予算して腕力の覚悟もなくて叶わぬことなり。論者果してその覚悟あ
るか。仮に一歩を許し腕力の用意もあるものとして、その勝敗の算は
如何(いか)ん、大に考うべきことなり。又一歩を許し腕力に勝利を得たりと
して、今の政府を受取りてその上の始末は如何(いかに)するや。維新の時に朽
果(くちはて)たる大木の如き旧幕府を倒してすら、尚且(かつ)その後の経営には困却
したるに非(あら)ずや、是(こ)れも大に考うべきことなり。又一歩を許しその始末
も神妙に出来るものとして、凡(およ)そ今の論者が筆端口頭を以(もつ)て正(まさ)に
論ずる今日より、幾歳月にして大願成就の日を期すべきや、甚(はなは)だ長
きことならん。この長き歳月は即(すなわ)ち我国内に安寧を失うの歳月にして、
その間に外国の交際は如何(いかに)するや、憂うべきの大なるものに非ずや。
尚(なお)これよりも甚(はなはだ)しきものあり。社会の生は猶(なお)一個人身の生の如(ごと)く、
一動一静、常に習慣を成すものなり。人身に於(おい)ては之(これ)を癖(くせ)と云(い)う。不
眠の人が一度(ひとた)び酒を以て眠を買うときは、爾後(じご)、酒を飲むに非ざれば
眠るを得ず。即ち人身の癖にして、生理の定則なり。社会政治上の変
革も亦斯(またかく)の如し。その変革の媒介として一度び腕力を用ることあるとき
は、爾後、必ずその例に傚(なら)うを常とす。即ち社会の習慣なり。今民権論者
の希望する所は、結局憲法を定めて国会を開き、執政の新陳交代の
路(みち)を公(おおやけ)にするの外(ほか)ならず。この企望(きぼう)を達するには自(おのず)から安全の道あ
り、何ぞ必ずしも危道(きどう)を踏て万一を僥倖(ぎようこう)するを須(もち)いんや。一度び危
険を冒したらば、その危険は唯(ただ)に一度びのみに止(とど)まらずして、今の日
本政府のあらん限り、執政の交代は必ず腕力を用い兵器に訴るの
悪習を遺(のこ)すの恐(おそれ)なきに非ず。始て俑(よう)を作る者と云うべし。災害の極
点、亡国の前徴と云うも可(か)なり。方今(ほうこん)西洋立憲の国に於て、その執政の
新陳交代するに最も安全にして、その方法の最も滑(なめらか)なるものは、英国
を第一とす。仏蘭西(フランス)の如き百事文明の中心とも称すべき国柄(くにがら)にし
て、唯政治の一段に至てはその変革の際、動(やや)もすれば平穏ならざるも
の多し。固(もと)より各国人民の気象にも異同あることなりと雖(いえ)ども、昔年の
先例、爾来(じらい)の習慣に由(より)て致す所のもの居多(きよた)なりと云わざるを得ず。
殷鑑(いんかん)として注意すべきことなり。
今の日本政府は固より民権家の叢淵(そうえん)にして、維新以降、十三年のその
間に民権の事を挙行し、只管(ひたすら)改進の一方に向て躊躇(ちゆうちよ)せざる者なれ
ども、その政府に在る人物の出処を尋れば旧強藩の士人に多く、又その知
己(ちき)朋友の中に多くして、他の日本人は勢(いきおい)に於て日本の政治に参与
するを得ず。十三年前、会議の元素は既(すで)に形を成したれども、未(いま)だ公然
たる国会なるものを開かざるが故に、今の人物が政府の地位に在
る由縁と、何時(いつ)までその地位に在るべきやの期限と、その進退は如何(いかに)す
べきやの方法とを明知するに由(よし)なし。蓋(けだ)しその貴要の地位を占(し)めた
るは維新の功労に由縁すると云うも、その功労に酬(むくい)るには必ず事務
の官職を以てせざるべからざるか、創業の武功を賞するに守成(しゆせい)の文
官を以てせざるべからざるか、仮令(たと)い或(あるい)は然(しか)りとするも、その在官の期
限は幾年にして功労に酬(むく)い了(おわ)るものか、或(あるい)は生涯なるか、或は子孫
に伝るか、仮令(たと)い或は子孫に伝えざるも、旧藩の藩名未(いま)だ忘れず、旧
藩地の地理尚(なお)存するが故に、今後人を用いて官を授るに当り、尚(なお)こ
の藩名と地理とに由(より)て恰(あたか)も日本国人中に人種の区別を作り、此(こ)れ
を内にして彼(か)れを外にするか、又維新の功労消滅すべからずと雖(いえ)ども、
功労の人物は今日野(や)に在る者も尠(すく)なからず、一旦の偶然に官を去
りたる者はその功労にも拘(かか)わらず之(これ)を本人の不幸として遂に擯斥(ひんせき)
するか、或はこの輩は時勢に後(おく)れたるが故に退ると云(い)うか、然(しから)ば則(すなわ)ち
維新以来の教育に由て大に進歩したる人物も甚(はなは)だ多し、この後進生
の適する所は如何(いかに)するや云々の質問に至ては、之を解すること甚だ
易(やす)からず。防禦(ぼうぎよ)線を張て敵と味方の境界を分(わか)ち、白刃(はくじん)を携えて軍門
に敵の入るを禁ずるは戦場の事なり。今日太平の政治場は日本全
国一家の政治場にして、敵味方の差別あるに非(あら)ざれば、防禦線を用
いて人を拒(こば)むに及ばず、或は政府の精神に於(おい)て決して防禦線を用
るに非ずと云う者あるも、世間一般の目にはこの防禦線あるが如(ごと)く
に見えて之に近づくを得ず。結局の実際に於て権力の帰する所、実
利の属する所は旧強藩の一類、然(し)かもその人数は多くして朝野(ちようや)過半
の地位を占るを如何(いかん)せん。故に政府公平の精神は兎(と)も角(かく)も、事実の
形は不公平なりと云わざるを得ず。民情の安からざるも亦謂(またいわ)れな
きに非ざるなり。爰(ここ)に維新以来、強藩の士人が日本社会に力を及ぼ
したる有様を形容すれば、一時の良薬にして次で又病毒たりし者
と云うべし。維新の大業を成したるは即(すなわ)ちこの士人の力にして、之を
良薬なりと云わざるを得ず。然(しか)るにその良薬を服用して十三年の星
霜(せいそう)を持続し、今日これが為(ため)に民情の安からざるを致すは、即ち之を
病の種子と云わざるを得ず。今この病を医(い)するの法如何(いかに)して可(か)な
らん。他の劇剤を用いて却(かえつ)て病に激し益(ますます)その勢(いきおい)を助るよりも、病をし
て自(みず)から病を医せしむるの安全なるに若(し)くものなし。我輩の医案
に於ては唯(ただ)この一法あるのみ。或は然らずして政府が自(みず)から病を
医するの意なく、即ち国会の開設を好まずして徒(いたずら)に民情に激し、我
れは我が所守(しよしゆ)を守る為に自(みず)からその力ありとて、暗(あん)に腕力を頼て人
を制せんとすることあらば、その精神は即ち英語に所謂(いわゆる)「ミリタリ・ガー
ウルメント」にして、兵力の政府と云うべし。去迚(さりとて)は維新十三年の勉
強を以て、漸(ようや)く旧弊を一掃し漸く腕力の古套(ことう)を脱して、智力の新境
に入らんとする我日本社会を如何(いかに)せん。多年改進の功労も空しく
水泡(すいほう)に属するものと云うべし。加之(しかのみならず)今後百千年の末世に至るまで
も政府の地位を守るに銃剣を以てするの悪例を遺(のこ)し、後世子孫の
不幸たるのみならず、世界万国に対して我体面を失する、之より大
125p
なるはなし。是(こ)れ亦始て俑(よう)を作る者と云うべし。我輩の所見にては
今の政府の全体に於(おい)て斯(かか)る悪念は万々なきことゝ信ずれども、緑陰(りよくいん)深
き処残紅(ざんこう)を点す、民権の叢淵(そうえん)たる政府中稀(まれ)に或(あるい)は腕力の古套(ことう)を残
すものなきを期すべからず。又或は思慮に乏しき壮年輩が、政府の意
を知らずして漫(みだり)に之(これ)に左袒(さたん)するの余りに、言うべからざるの妄言(もうげん)を
吐く者なきに非(あら)ず。依て爰(ここ)に末文の数行を贅(ぜい)して以(もつ)て警戒に供す
るのみ。
又一方より世の国会開設を願望する者を見るに、幾千名の調印と
云(い)い幾万人の結合と称するも、事実その人の大数は国会の何物たる
を知らず、その開設の後に如何(いか)なる利害が我身の上に及ぶべきやも
弁(わきま)えず、唯(ただ)他人が願望する故に我も亦(また)願望すと云うに過ぎず。その有
様は神社の本体を知らずして祭礼に群集するに似たり。又その中に
は非常なる狂者も多く、非常なる愚者も多くして、驚くに堪(たえ)たるも
のありと雖(いえ)ども、よく心を静(しずか)にして之を考れば、今の願望者を目(もく)して
一概に之を狂愚の社会と認むべからず。狂者、愚者はその一部分にして、
然(し)かも狂愚なるが故によく世上に発表し、往々人の耳目(じもく)を驚かし
て人を絶倒せしめ、狂愚の外(ほか)に物なきが如(ごと)くに思わしむれども、その社
会全面の本色は決して然(しか)らず。譬(たと)えば相風(かざみ)の木片の如し。唯風の吹
く徴候を示してその方角を指すのみ。木片は風に非ず。日本国中に国
会開設の気風流行するが故に狂愚者を出すのみ、狂愚はその気風の
本色に非ず。旧幕府の末年、攘夷論の行わるゝときに、往々外国人を暗
殺したる者あり。暗殺は攘夷の本色に非ざれども、以て当時全体の気
風を徴(ちよう)するに足るべし。今の国会論と同様の事情なり。都(すべ)て議論の
勢力は人の数には拘(かか)わらず、唯智徳の多寡(たか)に由(より)て世を制するもの
なれば、今日に於ても着実老練の士にして国会を是(ぜ)とし、口に容易
に言わずして心に窃(ひそか)に思案する者多きことならん。勢力の実はこの辺
に在て存するものと知るべし。之を要するに、国会を開くの旨は本
来人民の私慾に非ず、又今の在政府の人が政府に在るも本来私慾
に非ざれば、共に私(わたくし)を去て公明正大の本色を顕(あら)わし、その真実相通(あいつう)ず
るに於ては、之を開くこと決して難(かた)きに非ず。棄(す)つべからざるの物をも
棄てん、忍ぶべからざるの情をも忍ばん、之を開くこと決して難きに非
ざるなり。前段に我(わ)れより案内せざる客の入来は悦(よろこ)ばしからずと
云えり。是(こ)れは人民の方に就(つい)て云うものなれども、今政府に就て云え
ば、等しく与えんと欲するものにても、先方より無作法に来て掠奪
せんとすれば、その物を愛(お)しむには非ざれども、俗に所謂(いわゆる)意気地に為り
て之を渡すを快とせざるものなり。その意味の緻密なる、間髪(かんはつ)を容(い)れ
ざるの処に在り。先年、余が著したる通俗民権論に、世人が俄(にわか)に国会
を開て中央政府の政権を捻取(ねじりと)らんとするは、二尺八寸の大太刀(おおたち)を
上段に構えて真正面に立向(たちむか)うが如(ごと)し、如何(いか)なる結構人も悠々(ゆうゆう)とし
て敵の存念を聞くに遑(いとま)あらず、何は扨置(さてお)き先(ま)ずその切先(きつさき)を避けざる
を得ずと云(い)いしも、その微意(びい)蓋(けだ)しこの辺に在るものなり。今の有志者も
真実その開設を願うことならば、今少しく智恵の用い方もあるべき筈(はず)
なるに、自分の方には是(こ)れと云うべき用意もなくして、唯(ただ)真正面に
政府に向て愚痴を述立(のべた)て、甚し(はなはだ)きは漫語放言以(もつ)て公衆を動揺せし
め、その勢(いきおい)に乗じて無作法にも権力を取るの媒介に用いんとするは、
誠に智恵なき趣向にして、却(かえつ)て事の成期を遅延せしむるに足るべ
きものなれば、斯(かか)る無智の計略をば廃止して、真実の本色に立戻(たちもど)り、
明白に国会開くべきの道理を述べんこと、有志者の為(ため)に謀(はかり)て我輩の
希(ねが)う所なり。
教育の実験に於(おい)て、富家の子は怠り、貧家の子は勤む。故に人物は貧
家に出る多くして富家に稀(まれ)なりと云う。この事実果して違(たが)うことなく
ば、我輩は維新以来の所見にて、旧強藩の士人に忠告すべきものあ
り。強藩の士人は維新の際、既(すで)に政府に地位を得たる者も多く、之(これ)に
加るに爾後(じご)その同僚又は従属の者を用うるに当り、之を新旧知人の中
に求るも固(もと)より必然の事にして、その知人は必ず旧同藩の中に多し。
同藩同郷の士人、互に相引(あいひ)き互に相推(お)して、上は貴顕(きけん)の地位より下
は末流の小吏に至るまで、官途に充塞して自(おのず)から団結の勢を成し、
恰(あたか)も新政府の新官途に旧同藩の旧套(きゆうとう)を存する者の如し。既に団結
一社の勢を成すときは、その社中の進退自(おのず)から自由にして、官に就(つ)くこと
甚(はなは)だ易(やす)く、或(あるい)は機を見て官を去ることも亦(また)甚だ易くして、去(きよ)就(しゆう)共に便
利ならざるはなし。啻(ただ)に官途に便利を占(しめ)るのみならず、仮令(たと)い野(や)に
在て商売工業に従事する者にても、強藩縁故の人とあれば特殊の
利あるを常とす。之を彼(か)の諸旧藩人が、相応(そうおう)に才幹あるも出身の路(みち)、
容易ならず、百方周旋して纔(わずか)にその路を得るも、結局上流に達する能(あた)
わざる者に比すれば、霄壌の(しようじよう)差ありと云うべし。或は霄壌ならざる
も、統計の法に従て双方の便不便を計りたらば、百分に付き二、三十
の差は確(たしか)なるものならん。又右の如く相互(あいたがい)に推引(すいいん)するは必ずしも
その人の私心のみに非(あら)ず、実際の事務上に於て知人相共(あいとも)にするに非
ざれば、不便利なるが故に止(や)むを得ざるに出るものも多く、又その団
結社中と云うも、必ずしも外面より見るが如くならずして、内実は
その中に軋轢(あつれき)もあり、又或は公明正直の士は世間の嫌疑を避るが為
に、故(こと)さらに同族の輩を擯(しりぞけ)る者もありと雖(いえ)ども、如何(いかに)せん、凡俗の人心
は存外に弱きものにて、平生既に強藩の威勢に萎縮(いしゆく)して曾(かつ)て之を
犯さゞるのみならず、却てその勢を助けてその藩閥の名を成し、故さら
に我(わ)れより先(さきん)じて他の便利を献ずるの情なきに非ず、斯る事の成
行(なりゆき)に由(よ)り強藩の人は自(みず)から勢を作り、又他人に勢を助けられて、官
途民間何(いず)れの地に在ても身を処するに易(やす)く名利(みようり)を得るに易きその
有様は、恰(あたか)も富貴の子が内に在ては衣食に豊(ゆたか)にして、外に出ては人
に敬愛せらるゝ者に異(こと)ならず。誠に愉快なりと云(い)うべし。然(しか)りと雖(いえ)
どもこの愉快は唯是(ただこ)れ一時の愉快にして永(なが)く頼むべからざるものゝ如(ごと)
し。その故は仮に強藩の一族を一家と視做(みな)して後世子孫の事を思え
ば、豈(あに)計らん、曩(さき)の愉快は取りも直さず怠惰(たいだ)の媒介にして、却(かえつ)て大な
る毒物たりしとの実を発明するの日あるべければなり。固(もと)よりその
一族の人とて自(みず)から求めて怠惰なるに非(あら)ず、学業に刻苦勉強して
往々有為(ゆうい)の人物を出すこと少からずと雖ども、周囲の勢に推(お)され自身
の便利に引かれ、その業未(いま)だ大成するに至らずして早く既(すで)に社会の
表面に出て、却てその天資の本色を湮没(いんぼつ)する者常に多し。教育の一方
より論ずれば、人才を未熟に傷(そこな)うものにして、恰も教育進歩の生を
夭折(ようせつ)すと云うも可(か)なり。遺憾に堪えざるなり。この勢に従て今後十数
年を過ぎたらば、強藩一族の人は唯官民の俗途に充満するのみに
して、教育の範囲中より晩成の大器と称すべき人物を出すは甚(はなは)だ
難(かた)きことならん。試に(こころみ)旧幕政府の事実を見よ。幾千騎の旗本(はたもと)、幾万人の
御家人(ごけにん)と称し、その権力、利禄、共に之(これ)を諸藩の士族に比すれば天淵(てんえん)の
相違にして、諸藩士は常に陪臣(ばいしん)の名義を以(もつ)て軽侮(けいぶ)を蒙(こうむ)り、所謂(いわゆる)御旗
本様には同席も叶わず、御家人衆に対しても平身(へいしん)低頭(ていとう)の有様なり
しが、今日旧慣を一掃(いつそう)してその旧幕府の幕内(まくうち)を見れば、人物の尠(すく)なき
こと実に驚くに堪えたり。譜代の旧臣中、今の社会に立て事を為(な)した
る人物は誠に寥々(りようりよう)たるに非ずや。仮令(たと)い寥々たらざるも、その人物は
幾千万中の幾名にして、その割合を以て他諸藩の陪臣に比例すれば
大なる差違を見るべし。啻(ただ)に人物少なきのみならず、数十百年の間
に自(おのず)から人心を浮薄に養育して所謂御家人風なるものを生じ、華(か)
にして実(じつ)ならず、末(すえ)有て本(もと)なく、共に語るべくして共に為すべからざ
る者多し。その趣(おもむき)は殆(ほとん)ど名状に難しと雖ども、よく人の認知する所にし
て、或(あるい)は之を一種の臭気と云うも可ならん。在昔(ざいせき)豪傑の名聞ありし
地方官、江川太郎左(えがわたろうざ)衛門(えもん)が、自家譜代の臣属に御家人と縁組を禁じ
て、妻を娶(めと)り子を養うには必ず諸藩士の家よりすべしと諭したる
も、蓋(けだ)しこの臭気を厭悪(えんお)したることならん。然るに今この幕臣の祖先を
尋れば、大概(たいがい)皆二百余年前、天下に冠(かん)たる三河(みかわ)武士の一流ならざる
はなし。この祖先にしてこの子孫を生ずるは何ぞや。安楽得意の媒介を
以(もつ)て怠惰の毒に中(あ)たるものと云(い)わざるを得ず。左(さ)れば今の強藩の
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一族も今の勢に任じて変革する所なくば、百年の後には第二の徳
川たるなきを期すべからず。人誰(た)れか故郷を思わざらん、誰れか子孫
を愛せざらん。之(これ)を思い之を愛せば、早く之が謀を(はかりごと)為(な)して後進の為(た)
めに競争の壇場を開き、怠惰の毒物を去て教育の路(みち)に進ましむる
に若(し)かず。その法如何(いかに)して可(か)ならん。国会を開設して自(みず)から藩閥を棄(す)
て、又他の愚俗をして藩閥恐怖の迷夢を醒覚(せいかく)せしむるの一法ある
のみ。
前条々に述る如(ごと)く、国会を開くの一事は時勢に於(おい)て止(や)むべからざる
ものなり、国安の為(ため)に止むべからざるものなり、今の在政府の人もこの
勢を知るものなり、之を知て之に処するの胆力(たんりよく)に乏しからざるも
のなりとの事は、読者も之を了解したることならん。或(あるい)は人の説に、政
府若(も)し国会の開設を好まざるときは、そのこれを好まざるに処すること
甚(はなは)だ易(やす)し、唯(ただ)幾歳月も黙々(もくもく)に附して、今の法律を守り今の章程に従
い、今の陸海軍を厳にして外患(がいかん)内乱に備え、武断敢行(かんこう)以て天下を制
御するに、誰れかその行路を妨る者あらんや云々との言あれども、我輩
の所見にては政府決して然(しか)らず、政府は常に輿論(よろん)の在る所を視察
して、殊(こと)に老練着実なる智識と共に方向を与(とも)にする者なれば、或は
世上凡庸(ぼんよう)論者の期する所と少しく齟齬(そご)するものはあるべしと雖(いえ)
ども、早晩必ず国会を開設して偶然にも論者をして大に満足せしむ
るの日あるべし。我輩の極めて希望する所なり。但しその時限は得て
知るべからずと雖ども、若しもその期に臨みたらば、此(ここ)に至て又我輩が特
に希望して止むべからざるものあり。蓋(けだ)しその希望とは何ぞや。政府が
大英断を以て一時に之を開き、急進直行、毫(ごう)も愛惜する所なきもの、
即(すなわち)是(これ)なり。抑(そもそ)も今の政府は、旧徳川政府より大政を返上し、次て諸藩
主も亦(また)土地人民を私有するの理なしとて〔版〕藩籍を奉還し、以て一大
政府の体を成したるものにして、この際に返の字、還の字を用いたる
は、此(こ)の私有を返して他の私有に帰したるものにして、日本を支配
するの権力は目今(もつこん)大政府の私有にして、之を支配するの法を旧幕
府の如くし又旧諸藩主の如くするも、文字に於て更に差支(さしつかえ)あらざ
れば、政府に在ては誠に好(よ)き口実にして、人民も容易に議論すべから
ざることならん。故に今国会を開て人民に参政の権を附与するに当
り、或はこの口実を事実に現わして、尋常の私有を授受するが如く、双
方に貪吝(たんりん)の念を起し、授る者は寡(すくな)からんを欲し、受る者は多からん
を欲するの情なきを期すべからず。名を以て実を害するものと云う
べし。是(ここ)に於てか豪胆(ごうたん)剛毅(ごうき)、寛仁(かんじん)大度(たいど)なる政府は毫厘(ごうりん)も愛惜する所
なく、この情を割(さ)きこの鄙吝(ひりん)を脱して、却(かえつ)て人民の意表に出(い)でゝ一時に
物論を圧倒せんこと希望に堪えざるなり。等しく人に与うるものな
れば断然これを与うべきのみ。或(あるい)は然(しか)らずして、徐々に之(これ)に与え、半(なかば)
これに与え、或は与えんと欲して尚(なお)これを渡さゞるが如(ごと)きは、策の
得たるものと云(い)うべからず。その状恰(あたか)も芳を嗅(か)がしめて味を嘗(な)めしめ
ざるに等し。徒に(いたずら)人情を傷(そこな)うに足るべきのみ。例えば彼の府県会の
議事に於(おい)て認可不認可の苦情あるが如く、常置員の利害に紛論(ふんろん)あ
るが如し。政府の不認可は固(もと)より圧制を好むの趣意に非(あら)ず、又その常
置員の制も幾分か民権を伸るの旨なるべしと雖(いえ)ども、人民はその趣旨を弁(わきま)えずして、只管(ひたすら)民権に害ありと思う者なきに非ず。一方は物を
与えながらその好意の達せざるのみならず、他の一方に於ては物を
奪われたるの思(おもい)を為(な)すとは、事実の齟齬(そご)甚(はなはだ)しきものと云うべし。この
類の間違は官民の間に甚だ多し。畢竟(ひつきよう)その本(もと)を尋れば、徐々に之に与
え、半これに与るの弊害ならざるはなし。政府の内部に何程(なにほど)の誠意
誠心あるも、之を人民に通徹(つうてつ)せしむるは甚だ容易ならず。譬(たと)えば人
に火を与えて、この火は燧(ひうち)の火にして清浄なる火なりと云うに異(こと)な
らず。火は唯(ただ)火なるが故に、この火を鑑定して燧の火とするも腥(なまぐさ)き火
とするも、一に先方の人の臆測に任するのみ。その情実の相通(あいつう)ぜざる
斯(かく)の如し。故に今国会を開くにも、所謂(いわゆる)漸進(ぜんしん)の主義を以(もつ)て先(ま)ず人民
に少しく権利を与え、又随(したがつ)て少しく之を増加し、徐々に政府の意の
在る所を示すが如き策に出(い)でたらば、人民は之を解すること能(あた)わず
して、只管政府は権利を割(さ)くに吝(りん)なる者なりとて、その好意にも拘(かか)わ
らずして却(かえつ)て怨望(えんぼう)するの恐(おそれ)なきに非(あら)ず。結局今の民情に応ずるの
法は、一時に内部を開て之に示し、形を以て人を御(ぎよ)するの一策ある
のみ。固より我輩が一時に之を開くと云うと雖ども、今月今日、之を開
て明日より国事を議すると云うに非ず、国会開設は国の一大事変
にして、之を開くその前には民法も議せざるべからず、憲法も作らざる
べからず。政機全体の仕組より、尚(なお)細(こまか)に亘(わた)れば会堂の建築にも多少の
時を費すことならん。是等(これら)の用意に日月を要するは無論なれども、その日
月の長短は之を問わず、唯これを開くと開かざるとの問題に至り、
之を開かざれば則(すなわ)ち止(や)まん、若(も)し之を開かば大に開て遺憾(いかん)なきを希望するのみ。

第三編 政権之事
前編之続
前の第二編に政権の事を論ぜんとして、その論勢早くも国会開設の
事に亘り、未(いま)だ本論の主義に達せずして一段を終(おえ)たり。今この第三
編に於(おい)て始てその大概を述べんとす。爰(ここ)に一家族あり、男女の雇人(やといにん)を
使用して家事を治めんとするときは、雇人は必ず主人の命に従わざ
るを得ず。主人は固(もと)よりその雇人を奴隷にするに非(あら)ず、その生殺(せいさつ)の権を
執(と)るに非ざれども、そのこれを雇(やと)うときの条約に、雇われ中は家法に従う
べしとの明文あるを以(もつ)て、この条約に拠(より)て之(これ)を使用し、之に使用せら
れて、双方の権利に毫(ごう)も損害あることなし。故に雇人は唯(ただ)主命に従う
のみにして主命を是非するの権なし。若(も)しもその命に服し難(がた)きもの
あらば、自(みずか)ら雇を辞して去らんのみ。又爰(ここ)に商売工業の会社あり、その
社員、社則に従て頭取(とうどり)、支配人を選挙し、之に定りたる権限を授けた
る上は、その頭取は権限の中に在て自由自在に働(はたらき)を逞(たくまし)うし、支配人以
下の者を進退黜(ちゆつ)陟(ちよく)するは無論、要用の時には社員に命令することも
あらん、又或(あるい)は事業に見込(みこみ)あれば決断して之を行い、或は時宜に由(よ)
りては他人に秘することもあり、甚し(はなはだ)きはその社中の人にも告げざる
ことあり、如何(いか)にも全権独断の自由を以て始て事を成すべし。世界古
今、皆然(しか)らざるはなし。唯この一段に至て社員たるものゝ権利は、斯(か)
く頭取に打任(うちまか)せてよくその挙動を視察し、果して社則に違背(いはい)する所
あるか、若しくは犯則ならざるもその働き拙劣なりと認むれば、更に
投票して頭取を改選すべきのみ。若しも然らずして、会社の役員を
始め社員の者が朝に夕に頭取の挙動に喙(くちばし)を容(い)れ、一挙一動、議論を
仕向(しむ)けてその運動を妨げたらば、会社は果して如何(いかが)なるべきや。恰(あたか)も
兵卒が人々個々に軍略を運(めぐ)らして隊長の意に従わざるが如(ごと)きも
のにして、戦争ならば敗北、商売ならば損亡の外(ほか)なかるべし。苟も(いやしく)実
際の事に当たる人は、我輩の弁論を俟(ま)たずして明々白々に知る所
ならん。政府の事務も亦斯(またかく)の如し。如何(いか)なる人物にても既(すで)に政府の
地位に立つときは、長官、次官、以下次第に相列(あいれつ)して次第にその権力に限(かぎり)
を立て、所謂(いわゆる)権限なるものにして、毫もこの権限を超越すべからず。政府
の内部已(すで)に整頓し、次(つい)で令を発して政を施すに及び、その細目の機密
を挙げて人民に謀(はか)るべからざるは無論、時としては内部の人に秘す
ることも多く、甚しきは長官にして次官に告げざる事もあらん。既に
発表して政令と為(な)りし上は決して之を動かすべからず、人民に於て
も亦容易に之に喙を容るべからず、その姿は圧制束縛の如くにし
て施政の権力始て実を得るものと云(い)うべし。
人各(おのおの)その志あ(こころざし)り、又その才あり。固有の才力を活用して平生の志を達せ
んとするは普通の人情にして、然(しか)もこの情は壮年進歩の輩に於て最
も盛(さかん)なりとす。所謂熱心なるものなり。爰に世上の有様を察するに、
少壮の有志者がこの熱心を抱(いだき)て官途に就(つ)き、動(やや)もすれば意の如くな
らずして私(ひそか)に不平を鳴(なら)すものなきに非ず。曰(いわ)く、世人我を知らず、長
官我を用いず、我説行われず、我建言採用せられず、長官は不明なり、
局長は愚(ぐ)なり云々とは、今日常に聞く所にして、古来の歴史に多く
見る所なり。この不平或(あるい)は事実に然(しか)るものもあらんと雖(いえ)ども、亦(また)一概に
信ずべからざるの情あり。その次第は、凡(およ)そ人間社会に一事を為(な)すに
も、その事の関係する所は千緒万端(せんしよばんたん)にして、仮令(たと)い便利なりと思う所
のものにても、之(これ)を行うて利を得ざるのみならず、一利を興(おこ)して却(かえつ)
て二弊を生ずるの例少なからず。故に事を為すの要訣は、その事の利
不利を論ずるよりも、その事の関係を察するに在り、その関係の多寡(たか)を
察して行わるべきの路(みち)を取るに在り。蓋(けだ)し壮年進歩の輩はその責軽
くして、その関係する所少なきが為(ため)に、往々事を容易に視(み)るの弊なし
とせず、之を容易に視て容易に行われざるを見れば則(すなわ)ち不平を鳴
らす。その罪他(た)にあらず、自(みずか)ら反顧して可(か)なり。或は事実官途の全面に
於(おい)て愚論の行われて堪え難(がた)きこともあらん、我輩も亦(また)往々これある
べしと信ず。然りと雖(いえ)ども、全面の事は自(おのずか)らその主管の責任に在ることな
れば、傍よ(かたわら)り喙(くちばし)を容(い)るべきに非(あら)ず。この場合に於(おい)て、自(みずか)ら忍ぶべからざる
ものと決心したらば、唯(ただ)身を退て官を去るの一法あるのみ。条理に
違(たが)わざる者と云(い)うべし。若(も)しも然らずして、心に不平を抱きながら
身は尚(なお)官に就(つ)き、枉(ま)げて不愉快なる日月(じつげつ)を消(しよう)して公(おおやけ)にその心事を語
ることをも得ず、故(ことさ)らにその職掌を怠(おこた)りて公務に遅滞を致し、以(もつ)て不平
を慰るの方便に用るが如(ごと)きは、約束に背(そむ)くのみならず道徳に於て
之を許すべからず、破廉恥(はれんち)の甚(はなはだ)しき者と云うべきなり。世人の常に云
う如く、西洋諸国の人はよくその職掌を守り、官途に於て長官、次官、以
下の諸書記官、各そ(おのおの)の当務の権限内に居て毫(ごう)も超越する者を見ず。又
政党の新陳交代して諸省の長官進退するときにも、その進退は唯長官
のみに止(とど)まり、省中の常置(じようち)官員は素(もと)より政党に関せざるの約束に
して、政治両党の相(あい)容れざるは水火の如しと雖ども、常置官は恬(てん)とし
て之を傍観し、水来(きた)れば水に従い、火来れば火に従い、通常の事務を
執(とり)て嘗(かつ)て変動することなく、又その進み出(いで)たる長官も、唯施政方向の大
体を指示するのみにして、毫(ごう)も省中の常務に関渉することなく、以て
政党交代の大挙を滑(なめらか)にするが如きは、職掌を守るの気風美なりと
云うべし。唯官途のみ然るに非ず、諸商会社の役員より尚下て日常
の雇人、門番、小使、給仕の輩に至るまでも、その役前(やくまえ)を勤るの堅きは我
日本人民の及ぶべからざる所あるが如し。約束の時刻を違(たが)えず、約束
の場所を違えず、服役の間、笑語せず、遊戯せず、孜々(しし)勉強するその有様
は、実に感賞すべきもの多し。その外面を皮相(ひそう)すれば上下の間全く圧
制束縛を以て相接するが如くに見れども、之を束縛と思わずして双
方共に不快の感覚なきは、数千百年の間に養成したる習慣に由(より)て
致す所のものならん。事務の細大軽重に論なく、実際に事の挙らん
ことを欲するものは、この気風、習慣の大切なることに注意せざるべからざ
るなり。
事務上に権限を守るの大切なるは、世界古今、兵制の進歩を以てその
一例と為(な)すべし。人生野蛮のその時には人々党類を結ぶことをも知ら
ずして、個々相搏撃(あいはくげき)したることならん。次(つい)でその野蛮人の中に酋長(しゆうちよう)なる
者を立て、党を結て相互(あいたがい)に攻撃するときにも、その策略こそ酋長より出
れども、攻撃の働(はたらき)は各人の意に任したることならん。我日本に於(おい)ても中
古まではこの風にして、源平の戦、盛(さかん)なりと雖(いえ)ども、その働(はたらき)は皆人々箇々な
らざるはなし。下(くだつ)て足利の末年に至り軍法漸(ようや)く整頓したりと云(い)う
も、隊伍(たいご)の編法未(いま)だ厳ならずして、運動の機、必ずしも隊長の指令に
従うに非(あら)ず、一騎駆(いつきがけ)の勝負あり、一番槍(いちばんやり)二番槍の名称あり、戦士に各
自の働ある、以(もつ)て知るべし。近年、旧軍法を一変して西洋の風に倣(なら)う
たるは兵制の一大進歩にして、仮に今幾千名の兵士を双方に分(わか)ち、
双方共に兵員を同数にし、兵器も同様にして、唯(ただ)隊伍の編法を新旧
二様にすれば、その強弱勝敗、未だ戦わずして知るべし。その故は何ぞや。
新式は兵士を進退するに、隊長一人の意を以てして兵士に個々の
運動を許さゞればなり。一個の進退を不自由にして、全体の進退を
自由にすればなり。兵家の能(よ)く知る所にして、事実に於て違うなき
ものなり。この事実は唯兵事にのみ然(しか)るに非ず。政事に於ても然るべ
き筈(はず)なるに、動(やや)もすればその反対を現わし、一省一局中、幾多の政治家
を生じて各(おのおの)その所見を述べ、或(あるい)は甚(はなはだ)しきはその所見を実施すること、往古
の兵士が大将の号令を聴かずして一騎駆抜(かけぬ)けの功名を争うに等
しき者なきに非ず。一個の働は活溌なるが如(ごと)くなれども、全体の運動
は之(これ)に由(より)て大に妨げらるゝことなり。蓋(けだ)し今日の如き政体にして、長
官の任免毎(ごと)にその属官も自(おのずか)ら交代する慣行なれば大に妨(さまたげ)もなから
んと雖ども、一旦国会を開くの日に政治員と非政治員と介界(かいかい)を定め
たる後も、その非政治員たる常置官が個々に政治党派の思想を抱て、
政治員たる長官の意に従わず、或はその長官が政治にも関せざる事
柄を以て常置官を好悪し、自己の一進一退毎に全局の者を一掃す
るが如きあらば、国会党派の政事は到底行われ難(がた)きことならん。官員
も亦(また)兵士の如く調練を要するものなれば、国会開設の前にも諸省
中の調練、大切なることなり。
施政の要は厳正の一点にあり。一度(ひとた)び政令として発表したるもの
は、如何(いか)なる異論あるも之が為(ため)に変動することなく、異論を圧倒し尽
して既発の令を実行をすることに勉(つと)むべし。その姿は圧制に似たりと雖ど
も、自ら(おのずか)異(こと)なり、理を枉(ま)げて人を制するもの、之を圧制と云う。約束を
履(ふみ)て人を制するもの、之を厳正と云う。理を枉(まげ)ると約束を履むとの
別あるのみにて、何(いず)れも勢力を以て人を制するの義は免(まぬ)かれず。社
会を制するの勢力なきものは政府と云うべからず。文明の政は唯厳
正の一点にあるのみ。十人に接して十人の歓心を得んとするは、一
個人の交際に於ても尚且(なおかつ)能(よ)くし難(がた)し。況(いわん)や幾千万々、異面異心の人
類に対して政令を施す政府に於てをや。社会全体の好意を得て之(これ)
を籠絡(ろうらく)せんとするは万々望むべからざることなり。譬(たと)えば彼の訴訟人
の如(ごと)し。原被何(いず)れも自己に理ありと思えばこそ法〔廷〕庭に出ることなれ
ども、その審判の末は何れか敗せざるを得ず。その敗したるものは必ず不
平ならん。即(すなわ)ち政府より視(み)て訴訟人一半の歓心はなきものと認め
ざるを得ず。又人情憂苦を訴るに喧(かまびす)しくして、安楽に逢て黙(もく)するを
常とす。春秋の温暖清涼に黙して、夏冬の炎熱沍寒(ごかん)を喋々(ちようちよう)するが如
し。故に政府の法令、己(おの)れに便なるものは之を黙々(もくもく)に附して、苟も(いやしく)不
便利なるものあれば苦情止(や)むことなし。例えば今日の田租(でんそ)の如し。改
正のとき農民は既(すで)に非常の減租に逢い、爾後(じご)これに加うるに米価の
騰貴(とうき)を以(もつ)てして、千百年来、租税の寛なる、今の如きはあらず。然(しか)るに
この減租の歓声は曾(かつ)て世間に聞ることなくして、却(かえつ)て雑税等に僅々(きんきん)増
すものあるか、或(あるい)は新(あらた)に課するものあれば、百口(ひやつこう)聞くに堪(たえ)ざるの苦
情あるが如し。故に爰(ここ)に一国の政府を立てゝその政権を維持し、内に
は社会全体の進歩を謀(はか)り、外には各国交際の権利を伸(の)べんとする
には、内国人民の苦情は之(こ)れを顧るに遑(いとま)あらず。〔唐〕陶虞の民の鼓腹撃壌(こふくげきじよう)
とは腐儒(ふじゆ)の妄想なり、奸臣(かんしん)が暗君(あんくん)に献ずるの佞言(ねいげん)なり。人民全体の
歓心を収めんとするは、社会の勢(いきおい)に於(おい)て得べからず。政府に向て人
民の不平を唱うるは、世界今古の常態にして驚くに足らずと覚悟
を定め、その不平の性質と不平家の多少とを察して、社会の安寧(あんねい)に妨(さまたげ)
なしと認る限りは、確乎(かつこ)不抜(ふばつ)、厳正の政権を以て直行すべきなり。
旧幕府の時代、元禄年中、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が殿中に抜刀(ばつとう)したる罪を以て
翌日割腹(かつぷく)の命は、甚(はなは)だ酷なるが如しと雖(いえど)も、幕臣たる内匠頭が御場
所柄をも憚(はばか)らずして刃傷(にんじよう)に及びたるは、当時、君臣の慣行即(すなわ)ち法律
に於て許さゞる所の者なれば、その処分、当を得たりと云(い)わざるを
得ず。又その翌年、浅野家の遺臣が復讐の一挙に就(つい)ても、幕議の決する
所、忠は一人の忠にして法は天下の法なりとて、又その四十七士に割
腹を命じたり。元禄、尚武(しようぶ)の時代、天下の武人は勿論(もちろん)儒者流に於ても、
必ず遺臣の義気に感じその心事を憐て幕府の処分を非なりとした
ることならん、唯(ただ)に武人、儒流のみならず、天下を挙て輿論(よろん)の帰する所
は義士に左袒(さたん)したることならんと雖も、幕府の政権之が為(ため)に動揺す
ることなく、輿論を圧倒して法律を実行したるは、政府の体を失わざ
るものと云うべし。我輩固(もと)より今日に在て幕府の旧套(きゆうとう)を学ばんと
云うにあらず、今日の法律を以て元禄の事を論じたらば大に不都
合なることもあらんと雖も、唯是(こ)れ時勢の異なるのみにして、元禄に
在て政権を維持するの法は他に求むべからず。明治に在ては自(おのず)から
亦(また)その法あるべし。法の異同は舎(おい)て問わず、唯(ただ)政権維持の精神は元禄
の如(ごと)くならんことを企望(きぼう)するのみ。
世の論者は前に記したる圧制と厳正と二様の意味を混同して、只
管(ひたすら)政府の寛大を企望するが如くなれども、若(も)しその望(のぞみ)に任せて寛大に
したらば何(いず)れの辺を以(もつ)て限りと為(な)すや。政府の法令を視(み)て圧制と
認むれば、徴兵令も圧制ならん、教育令も圧制ならん、衛生法の差図(さしず)、虎
列剌(コレラ)病の予防の如きは、極て煩(わずら)わしきことならん。加之(しかのみならず)莫大(ばくだい)なる金を
費して、軍艦を作り、銃砲を買い、台場を築き、灯明台(とうみようだい)を建るが如き、甚(はなは)
だ不平ならん、是等(これら)の費用に供するためか、飲て英を養うの酒に税
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を課し、喫して憂(うれい)を忘るゝの烟草(タバコ)にも税を課し、舟に税あり、車に税
あり、物あれば爰(ここ)に税あるが如きは甚だ不愉快なることならんと雖(いえど)
も、是等の条件を枚挙(まいきよ)して之(これ)を圧制と視認することならば、我輩は全
く論者と反対にして、正(まさ)に圧制の足らざるを憂る者なり。日本には
陸軍も未(いま)だ強からず、台場も未だ築かず、軍艦も尚(なお)少く、郵船も尚微
々(びび)たり。迚(とて)も今日の有様にては外国に対して国権の鋒(ほこさき)を争うに足
らず。その本(もと)は畢竟(ひつきよう)国財の不足するが故なり。何(いず)れの日か之を人民の
心に感じ、人民自(みず)から奮(ふるつ)て国財を支給することあるべきや。何れの日か
政府に権力を得て人民に之を課すべきやと、我輩は之を企望して
止(や)まざるなり。左(さ)れば論者が寛大と云い圧制と云いしも左(さ)まで深
き意味あるに非(あら)ず、よく条理を分てば詰る所我輩と同説にして、圧
制とは厳正の間違ならん。若し強(しい)て之に圧制の名を附するときは、論
者も圧制の好むものなればなり。或(あるい)は然(しか)らずして真実これを圧制
としてその反対なる寛大を企望するか、その寛大は之を評して不取締
と云わざるを得ず。一令発して此処(ここ)に不都合あれば之を改め、今日
之を改めて彼処(かしこ)に差支(さしつかえ)あれば明日復(ま)た之を廃し、之を改め之を廃
して際限あることなく、遂には全く政府を廃止するに非ざれば穏(おだやか)な
らざるの奇観あるべきのみ。
政権を強大にして確乎不抜(かつこふばつ)の基(もとい)を立るは政府たるものゝ一大主
義にして、政体の種類を問わず独裁にても立憲にても又或は合衆
政治にても、苟(いやしく)もこの主義を誤るものは一日も社会の安寧を維持す
る能(あた)わざるや明(あきらか)なり。合衆政治など云えば、その字面(じづら)を見て国民の寄(より)
合(あい)世帯の如くに思われ、何事も簡易便利にして官民の差別もなく
随(したがつ)て政令の威厳もなきものゝ様に誤り認る者あらんと雖(いえ)ども、唯是(ただこ)
れ字面上の想像のみ。その実際に於て政権の厳なる、或は常に独裁国
の右に出るもの多し。亜米利加(アメリカ)合衆国の如きは即(すなわ)ち一例にして、その
政法、威ありて猛(たけ)からざるものと云(い)うべし。然(しか)るに今爰(ここ)に圧制と厳
正と二様の区別を立て、厳正は可(か)なり圧制は不可なりとて、その次第
を前条にも陳述したれども、或(あるい)は事の錯雑(さくざつ)したるものに至ては分明
に之(これ)を区別し難(がた)き場合あり。即(すなわ)ち当局者は自(みずか)ら厳正なりと称する
もの、傍観者は之を圧制なりと云わん。畢竟(ひつきよう)その人に由(より)て所見の異(こと)な
るものなれば、際限あるべからず。政治世界、凡百の紛論(ふんろん)は之より生
ずるもの多し。古来、専制政府が暴威を逞(たくまし)うして傍若無人(ぼうじやくぶじん)なるも、この
厳正を口実に用る者なり。或は専制その名に反して実際の施政専制
ならざるものも、自家自(みず)から緩急の度(ど)を測るに苦みて却(かえつ)て自(みず)から抑
制したるものならん。政権の厳正その度を失うて圧制に変ずるは固(もと)
より不可なりとす。去迚(さりとて)寛大に過て不取締に陥るも亦(また)甚(はなは)だ不可な
り。この緩急の度を測て誤らざるは所謂(いわゆる)聖人にして能(よく)すべきか。然(しか)る
に文明の社会には聖人なし。然(しから)ば即ち憲法を定て国会を開き、厳正
の人物を選(えらび)て厳正の政を施行せしめ、之を放て厳正の極度に達す
るを許すの外(ほか)手段あるべからず。斯(かく)の如(ごと)くして十目(じゆうもく)の所見、十指(じゆつし)の所
指、果してその度に過て圧制の境に入たりと認るときは、則(すなわ)ちその人を退
けんのみ。則ち多数の可否に由(より)て政府を更代(こうたい)せしむることなり。畢竟(ひつきよう)
国会を開設するの目的は之に由て施政の法を厳にせんが為(ため)なり、
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