坂の上の雲

2011年2月15日 (火)

「残夢 大逆事件を生き抜いた男 坂本清馬の一生」(鎌田慧)公開中

鎌田慧さんの新連載「残夢」の第1回を無料公開しています。

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▼明治維新後、新政府の要職は薩摩・長州出身者によって占められ、裁判官と検察官を統括する司法省(現、法務省)は非エリート官僚中心の三流官庁として誕生した。その三流官庁が浮上したのは、1909年の日糖疑獄と翌年の大逆事件だった。大逆事件で<検察は皇室の危機を未然に防いだ功績で司法部内での優位を確立し、政治的影響力も飛躍的に増大させた。 <検察は疑獄と思想事件の摘発を繰り返しながら政財界や他省庁への影響力を強めていく>(『冤罪法廷』魚住昭著、講談社)

 数々の冤罪事件を生み出す検察の体質は約100年前から同じ。事件をでっちあげて特定の政治的勢力に弾圧を加え、時代の風潮を替えてしまう。始末の悪いことに検事たちは「良いことをしている」と確信しているから暴走する。検察の問題だけではない。大逆事件は多くのことを教えてくれる。大逆事件は今も生きているのだ。
 今週から鎌田慧さんの新連載「残夢――坂本清馬の一生」が始まった。資料集めや高知取材など準備に数年をかけた渾身の力作にご期待ください。(伊田浩之)

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2011年2月 4日 (金)

安川寿之輔氏講演 「日の丸・君が代」強制と良心的不服従~「君が代」不起立の思想史的意義

http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20110206#p3

日時:2011年2月6日(日) 14時~16時半(1時半会場)
場所:東京・生活者ネットワーク4階会議室(地下鉄東新宿駅5分、西武新宿駅5分)→地図
資料代:500円
講師:安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)
「日の丸・君が代」強制と良心的不服従~「君が代」不起立の思想史的意義

主催:学校に対する君が代斉唱・日の丸掲揚の強制を憂慮する会

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2011年1月19日 (水)

「大逆事件百年後の意味」を問う院内集会 (1/24)

ニューズレター第23号『大逆事件100年』特集を参照
http://kakaue.web.fc2.com/NL/n23.pdf

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 昨二十四日は、新宿区富久町の東京監獄で、幸徳秋水など大逆事件に連座した十一人が絞首刑にされた日から百年目だった。が、最後の管野須賀子の処刑は、二十五日朝に引き延ばされた。一日では処理できなかったからである。
 「百年後の意味」を考える集会が、参議院議員会館で聞かれた。福島瑞穂さんが司会して、「大逆事件の真実をあきらかにする会」の大岩川嫩(ふたばこ)さんと私がまず少し話し、ジャーナリストの早野透さん、弁護士の安田好弘さん、作家の中森明夫さんなどが発言をした。

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 東京監獄跡の児童公園の片隅に、「刑死者慰霊塔」が建っている。木造アパートの窓の真下で、頭の上にメリヤスの股引などがぶら下がっている。坂本清馬などの大逆事件の再審請求を担当した森長英三郎さんと、日弁連が協力して四十七年前に建てられた。

 この碑は、でっちあげで死刑にされた幸徳たちぱかりでなく、監獄で刑死した二百九十人すべての人たちの慰霊塔になっている。年に一回、町会の人たちが、慰霊祭を行っている。涙ぐましい、優しい行為だが、その町会の人たちも集会に参加して下さった。
 大逆事件から百年たっても日本の検察は、当時と同じように、過剰な権力をもった横暴を繰り返している。戦後の民主化でも変わらなかったが、百年目からは変えなくては。 
(ルポライター)かまた さとし 鎌田慧   東京Web 1/25

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幸徳秋水の志引き継ぐ 大逆事件刑死100年 墓前祭 高知・四万十市(しんぶん赤旗)

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(写真)追悼の言葉をおくる田中実行委員長=24日、高知県四万十市
  幸徳秋水(1871~1911)が「大逆事件」の首謀者として処刑されて100年にあたる24日、出身地の高知県四万十市で、「幸徳秋水刑死100周年記念事業実行委員会」が主催し、墓前祭が行われ、大勢の市民らが参列しました。
 四万十市は、田中全市長を実行委員長に官民12団体が実行委員会をつくり、秋水の偉業を伝える啓発事業やシンポジウムなどを、今年1年間を通じて行っています。
 田中実行委員長は「秋水先生は日露戦争にも勇気をもって非戦論を唱え、非戦・平和、自由平等の思想の広がりを恐れた明治政府によってつくられた大逆事件の犠牲になりました。先生の志を引き継ぎ自由・平等・博愛の世界実現に取り組んでいきます」と追悼のあいさつをしました。
 遺族や市民、大逆事件の研究者らとともに、日本共産党を代表して岡本かずや党幡多地区副委員長が献花しました。
 日本共産党の志位和夫委員長がメッセージ(別項)を寄せました。
 自由民権記念館友の会の窪田充治会長(79)は「100年前に戦争の本質を見抜き非戦論を唱えた秋水の思想は現代にも生きるものです」と話していました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-01-25/2011012503_02_1.html
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【写真】幸徳秋水の刑死100年をしのぶフォークソングを熱唱する参列者(四万十市中村山手通)(高知新聞Newsimages1
1月24日に「大逆事件百年後の意味」を問う院内集会
週刊金曜日 1月19日(水)18時7分配信

 100年前、天皇暗殺を企てたとして、社会主義者の幸徳秋水ら12人が死刑、12人が無期懲役になった事件があった。世に言う「大逆事件」である。
 自白を強要する取り調べ、証人申請は全く認められず、大審院一審のみのスピード裁判。そして判決からわずか6日後の1911年1月24日に、幸徳秋水たち11人(1人は25日)が処刑された。

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 処刑の日からちょうど100年の今年1月24日、院内集会を開催し、冤罪、表現の自由、民主主義への弾圧などの大逆事件の現在に続く大きな問題点を共有し、「大逆事件百年後の意味」を共に考える集会が参議院議員会館内で開かれる。
 開催概要は下記の通り。
日 時 : 1月24日(月)12:00~13:30
場 所 : 参議院議員会館B107会議室
講 演 : 鎌田 慧(ルポルタージュ作家)
   大岩川嫩(「大逆事件の真実をあきらかにする会」世話人)
リレートーク :早野 透(桜美林大学教授・元朝日新聞記者)、安田 好弘(弁護士)、中森明夫(作家)ほか
メッセージ : むのたけじ(ジャーナリスト)ほか
■問い合わせ:福島みずほ事務所TEL03-6550-1111
今野東事務所TEL03-6550-0811 .
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110119-00000301-kinyobi-soci
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大逆事件百年後の意味 院内集会報告 【福島みずほ】
http://www.mizuhoto.org/news/2011/01/post-23.html
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大逆事件:秋水、刑死100年 出身地・四万十市で、きょう墓前祭 /高知
毎日新聞 1月24日(月)12時24分配信
 ◇再評価の動き
 四万十市が輩出した社会主義思想家、幸徳秋水(1871~1911)が天皇暗殺を企てたとされる大逆事件の首謀者として処刑されてから、きょうで丸100年。地元でも長らくタブー視されてきたが、最近、功績を再評価する動きが行政や市民の間に広がっている。24日は墓前祭があり、県内外から大勢の関係者らが参列する。
 秋水の再評価はまず民間から。郷土史家らが「幸徳秋水を顕彰する会」を00年3月に設立した。中村(現・四万十)市議会に、秋水の偉業をたたえる決議を採択するよう要請した。一旦は委員会段階で継続審査となったが、同会のメンバーが各議員を説得。同年12月に全会一致で採択された。これを機に、労働組合などが中心だった記念事業は一般の市民団体が加わるようになったという。
 刑死100年の今年、約10件の顕彰行事を開く「幸徳秋水刑死百周年記念事業実行委員会」の委員長を務めるのは、田中全・四万十市長。官民一体となって、郷里の偉人の名誉回復に努める。
 同委で中核を担う同会は、これまで秋水の研究会や講義開催などの活動を展開してきた。07年には小冊子「現代に生きる 幸徳秋水」を発行。小学生から読める内容にし、学校の副読本にするよう市教委に提案したが、採用は見送られた。
 同会の北沢保会長(72)は「秋水が訴えた相互扶助、非戦論などは現代社会でも通じる。改憲論、それでいいのか。われわれは世の中の構造をもっと学ばねばならない」と力を込め、副読本について、難しい部分を編集し、市教委に再提案する計画だ。北沢会長は「外から来た人に『秋水? 知ってますよ』と住民が胸を張って話ができる町にしたい」と話す。
 ×  ×  ×
 商工会議所や商店振興会など12団体からなる同実行委は、秋水シンポジウム(5月29日)▽幸徳秋水特別展(9月)▽大逆事件サミット(9月24日)などの行事を予定。親しみやすいキャラクターを作り、観光用グッズの開発も控えている。
 墓前祭は24日午後0時半から、四万十市中村山手通の正福寺墓地で。終了後、市役所で交流会。幸徳家の養子で秋水の兄、駒太郎のひ孫に当たる幸徳正夫さん(東京都)が講演する。参加費無料。【千脇康平】
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 ■ことば
 ◇幸徳秋水
 中村町(現四万十市)出身。自由民権思想家、中江兆民に18歳の頃から師事。週刊「平民新聞」を創刊し、非戦論を貫いて日露戦争に反対する。渡米して無政府主義の影響を受け帰国。1910年、天皇暗殺計画の首謀者とみなされ逮捕された。暗殺未遂の大逆罪で起訴され翌11年1月24日、死刑執行。時の明治政府が仕組んだえん罪だったとの見方が今では大勢を占める。
1月24日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110124-00000140-mailo-l39
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【コラム】(TOKYO Web)
筆洗 2011年1月24日 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011012402000040.html
 夕暮れが近づくと、東京都新宿区内の小さな児童公園には冬の日差しは届かない。子どもたちの歓声も聞こえない公園の片隅に、汚れたブロック塀に囲まれて一つの碑がある▼かつてこの地にあった東京監獄で刑死した受刑者を慰霊するために戦後、日弁連が建立した石碑だ。一九一一年、その監獄で大逆罪に問われた社会主義者の幸徳秋水らが絞首刑になってからきょう二十四日でちょうど百年になる▼明治天皇を爆弾で殺す謀議をしたとされる事件の真相は戦前、闇に包まれていた。刑死者の多くは、予審段階で検事が捏造(ねつぞう)した調書などを基に罪をでっち上げられた。その事実が知られるのは戦後になってからだ▼ 公判は非公開で、一人の証人尋問もなかった。大審院は一カ月足らずの審理で二十四人に死刑判決を下し、その翌日、天皇の恩赦で十二人が無期懲役に減刑されている。死刑執行は判決の日から六日後という異例のスピードだった▼韓国を併合し、遅れてきた帝国主義国家が、戦争に反対する社会主義者たちを一網打尽にしようとしたこの事件は、決して教科書の中の世界ではない。証拠の改ざんや冤罪(えんざい)の多発など最近の検察の不祥事を見てもそれは明らかだろう▼当時の新聞は政府の発表をうのみにして、何の疑問を差し挟むことなく、刑死者をむち打った。新聞も自らの過ちを問い直さなくてはならない。

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刑死から100年、幸徳しのぶ 大逆事件、故郷で墓前祭

大逆事件100年サミット

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2011年1月15日 (土)

『坂の上の雲』の映像化をめぐって 秋山久: ネットジャーナル「Q」

特別寄稿:『坂の上の雲』の映像化をめぐって   秋山久 先生(第88回生涯現役講座講師)→こちら

ネットジャーナル「Q」

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2011年1月 8日 (土)

酔流亭日乗 : 書評『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』

『『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う 日清戦争の虚構と真実』(中塚明・安川寿之輔・醍醐聡 高文研)の書評を下に転載します。これは新聞『思想運動』新年号に書いたもの。
なお、同紙の酔流亭記事と同じ紙面に安川寿之輔・名古屋大学名誉教授も寄稿している(『「学問のすすめ」の問い直し』)。酔流亭が書評を書いた本の著者の一人が安川教授なのである。これは新年早々、嬉しいというか身の引き締まる“バッティング”。→全部読む

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2011年1月 1日 (土)

誤謬だらけの『坂の上の雲』―明治日本を美化する司馬遼太郎の詐術 :高井 弘之 (著) 合同出版

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本書紹介
司馬遼太郎『坂の上の雲』は間違いだらけである。それを無批判にNHKが全国放送する。司馬いわく「日清戦争に日本は受け身だった」「日露戦争は、祖国防衛戦争であった」。
このゆがんだ歴史認識に逐次的批判を加え、明治日本を美化した司馬の詐術を明らかにする。

目次まえがきにかえて─司馬遼太郎の名前に幻惑されることなく

第1章 司馬が歪曲・偽造した日清戦争・北清事変
1 日本は清国との開戦に「受け身」であったか?
2 「日清戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなかった」というのは本当か?
3 司馬が避けた日清戦争の事実は何だったか
4 なぜ、司馬は、「中国人の血」については一顧だにしないのか?
5 「北清事変」では、「日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった」というのは本当か?
第2章 司馬は日露戦争を聖戦にした
1 日露戦争は「祖国防衛戦争」であったというのは、本当か?
2 朝鮮植民地化を黙殺する司馬
3 日露戦争で「中国人の土地財産をおかすことはなかった」というのは本当か?
4 「ロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した」というのは本当か?
5 日本は「前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始した」というのは本当か?
6 銃剣で「併合」を強要
第3章 司馬は、明治期日本を賛美するためにどのようなレトリックを用いたか
1 誇大妄想的な域にまで達している賛美
2 巧妙かつ詐欺的手法
3 日本型オリエンタリズムの正体
4 司馬の「日本型オリエンタリズム」
5 司馬がそう思いたかった明治期の国家制度
6 国家統治者の目線・立ち位置で明治期日本を描く
第4章 『坂の上の雲』によってつくられる新たなナショナルアイデンティティー
1 なぜ司馬は明治期日本を賛美するのか
2 従来の右派言説の弱点
3 TVドラマ『坂の上の雲』がつくり出す新たなナショナルアイデンティティー
4 「司馬史観」批判の地平にとどまることなく
参考資料・関連文献
NHKへの『公開質問状』と『回答文書』
 公開質問状
 回答文書
NHKからの「回答」を受けて
参考文献 204
日清・日露戦争と韓国併合関連年表
あとがきにかえて

作者紹介高井弘之(たかい・ひろゆき)
1955年生まれ。
えひめ教科書裁判を支える会スタッフ。
ブックレット『「北朝鮮」をめぐる問題の冷静な認識と理解に向けて─解放後の朝鮮にとって日・米とは何か』(ブックレット製作委員会発行、2003年)を執筆。
ブックレット『検証「坂の上の雲」─その、あまりにも独善的・自国中心的なるもの』(えひめ教科書裁判を支える会発行、2009年)を執筆。

イラク侵略戦争をしかけた頭目と舎弟:社会科学者の時評

ひまわり博士のウンチク: 「誤謬だらけの『坂の上の雲』」

NHK「坂の上の雲」の歴史観:N氏のつぶやき


福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 国権拡張」「脱亜」の果て 杉田 聡:編

Sugitasou

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『坂の上の雲』の映像化問題 :社会科学者の時評

【日露戦争に勝ったと信じる日本:本当は欧米帝国主義が停戦させていた】

① 辻井 喬『私の松本清張論-タブーに挑んだ国民作家-』2010年11月
② 映像化を担当しているNHKプロデューサーのいいぶん
③ 「21世紀に衰退する道を歩む日本」には「過去の栄光という虚妄の記憶」が要求されている。
こちら

司馬遼太郎さん「坂の上の雲」の映像化のこと:晴耕雨読

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2010年12月29日 (水)

「明治はよかった」司馬史観再考の動き

 12月5日から放映されるNHKドラマ「坂の上の雲」第2部。いまや「国民的作家」と呼ばれる司馬遼太郎の人気小説が原作だ。
没後14年、歴史学者たちの間では「明治は明るい」とする司馬の歴史観を問い直す動きが広がっていることをご存じだろうか。
→こちら(2010.11.26  サンデー毎日)

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2010年12月22日 (水)

「坂の上の雲」のまちづくり ドラマ第2部放映で再度脚光、愛媛・松山へ

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松山市は地元タクシー会社と連携して2011年4月1日から9月30日まで、パックプラン「松山観光語り部タクシー」を登場させる。松山観光に精通した専門の乗務員が、「坂の上の雲」のまち・松山を案内。タクシーに乗り込めば、物語を生んだ風土をあますことなく体感できる。
専門乗務員が案内「観光語り部タクシー」→こちら

「坂の上の雲」のまちづくり ドラマ第2部放映で再度脚光、愛媛・松山へ (1)へ
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<下>坂雲ブーム後に不安
観光の拠点施設として建てられた坂の上の雲ミュージアム(松山市一番町で)  壁一面にテレビドラマのポスターが並び、テラスには「坂の上の雲のまち」と書かれたのぼり。松山市大街道の松山城ロープウエー駅舎は、「坂の上の雲」一色だ。特設の「スペシャルドラマ館」では撮影風景の映像やドラマの短縮映像が流される。

 市が10年前から進めてきた「坂の上の雲」の街づくり。明治の松山などを舞台にした、司馬遼太郎のベストセラー小説の舞台であることを前面に打ち出し、2007年に30億円をかけた中核施設「坂の上の雲ミュージアム」がオープン。ロープウエー街の電線地中化や、道後温泉本館前の歩行者天国化などを進めた上で、職員自ら作成した観光プランを旅行会社などに売り込んできた。
 松山市内を訪れる観光客数は約500万人で推移。しかし、小説がテレビドラマ化されると急増し、昨年は525万人を記録した。しかし、市の担当者は正直な思いを吐露する。「ドラマの放映が終了する再来年以降はどうなるか」。

    ■   □    
 松山市が05年度に東京と札幌で、松山にゆかりのある場所や人物などについて知名度を調べたところ、「道後温泉」が圧倒的だった。市の担当者は「松山にとって道後温泉が集客の中心であることは間違いない」と認める。しかし、「坂雲」の盛り上がりとは裏腹に、昨年の道後温泉の宿泊者数は76万9000人で、平成に入ってから最低だった。
 市は「団体旅行から個人旅行へという観光スタイルの変化に対応しきれていない部分はある」と説明する。

 集客の中心施設・道後温泉本館(重文)の老朽化も、関係者の頭痛の種だ。築116年。土台のコンクリート劣化が進み、シロアリ被害も深刻という。所有・管理する市は02年に全面改修を決定。11年かけて工事を行う計画案もまとまったが、その後は事実上の放置状態で、20億円と試算される改修費に二の足を踏む。道後温泉旅館協同組合が抱く思いはもっと複雑だ。「坂雲ブームが去った後、温泉まで長期改修中という事態は考えるだけで恐ろしい」。

    □   ■    
 市が4年前に作成した観光振興計画。表紙には「いで湯と城と文学のまち」と従来のイメージが踊るが、この計画のポイントは「雰囲気づくり」。観光客にとって街で出会う市民のもてなしが大事と、市民の観光ボランティアガイド養成や、タクシー運転手の接客研修、大学生が観光計画を立てて修学旅行生を案内する旅行プランを県外の高校に提案するなどのソフト施策に力を入れているという。
 このほか、「食づくり」として、正岡子規が好んで食したというちらしずし「松山鮓(ずし)」を市内の飲食店で扱ってもらうよう働きかけるといった試みにも取り組んでいる。
 市の担当者は「口コミで広がる評判によって旅行先を選ぶ人が多い。小さな取り組みでも、街に良い印象を持ってもらえれば、将来の観光客誘致につながる」と語気を強める。
(この連載は原典子が担当しました)(2010年11月20日  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/feature/matuyama1290088731688_02/news/20101119-OYT8T01234.htm

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2010年12月21日 (火)

「坂の上の雲」は天皇制下の朝鮮観で書かれている:京都民報Web

「坂の上の雲」は天皇制下の朝鮮観で書かれている 2010年12月20日 14:07  京都民報Web

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 「NHKドラマ『坂の上の雲』の歴史認識を問う」の緊急講演会が17日、京都市中京区で行われました。京都革新懇・北上革新懇どの主催で約80人が参加しました。
 主催者の京都革新懇代表世話人森川明弁護士は「次世代に平和で民主的な社会を引き継がなければならない。その為にも本日は『坂の上の雲』の裏の部分の歴史を正しく学んでいただきたい」と述べました。

 講師の奈良女子大名誉教授の中塚明氏は、「坂の上の雲」は「明治の日本」を無垢でいじらしく「少年の国」として、「日露戦争は祖国防衛戦争」「フェアで真っ直ぐな戦争」と描いていると指摘。「日清戦争、日露戦争って、どんな戦争だったのか?」として、二つの戦争の「宣戦の詔勅」によると、「朝鮮独立のため」「韓国の保全=日本の国利のため」とあり、結局、この大戦は「朝鮮を日本が独占的に支配する戦争」であったと述べました。そして、「司馬が朝鮮のことを書く『手法』」は「朝鮮が衰亡した原因は自主的に自国を変える力がまったくない国」として、「当時の日本の公言できない蛮行と朝鮮の民族的動き」について「ここをしっかりつかみたい」と述べました。

 また、「1894年7月朝鮮王宮占領」「1894年秋からの東学農民軍主力の大民族闘争」等々、1910年朝鮮併合に至る歴史を詳しく解説し、司馬は天皇制下の日本の「朝鮮の見方」から一歩も出ていないと批判。「司馬は朝鮮のことはほとんど具体的に書いていない。ここに『坂の上の雲』の最大の問題点がある。NHKも朝鮮の事を何ら調べていない」と指摘。最後に、「我々自身も、『明治栄光論』『平和主義者とする伊藤博文論』などの弱点をどう克服していくかが重要」と結びました。(越智薫史)
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戦争に反対した夏目漱石
 京都北・上革新懇は20日、西陣の町家「古武」(京都市上京区)で、『夏目漱石と戦争』を上梓した日本近代文学研究者の水川隆夫氏を迎えた講演会を開き、60人が参加しました。

 水川氏は、漱石が生涯で3度の対外戦争に遭遇し、それらの戦争をどのように見て、どのように考え、どのように語ったかという言説を、作品や伝記的事実を通じて紹介。戦争協力や徴兵制を逃れるため、戸籍を変えたりした弱さや漱石が生きた時代的制約もある中で、作品を通じ戦争を批判的にとらえるようになった変遷について事例をあげて話しました。
 参加者からは「夏目漱石が生きた時代で、戦争を批判していたことを知り漱石を見直しました」「もっと漱石のことを学びたい」などの声が寄せられました。

 同革新懇では、世界に誇る憲法、戦争放棄をかかげた9条をもつ日本に誇りを持ち、機会あるごとに、平和・民主主義・生活向上を望む多くの人々との共同と対話を広げ、革新懇運動を前進、発展させていきたい、としています。(太田建造)

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2010年10月 4日 17:58 韓国「併合」100年を考える
 韓国「併合」100年を考える府市民のつどい(韓国「併合」100年を考える会主催)が3日、京都市下京区のひと・まち交流館で開かれ、約160人が参加しました。
 第1部は、金一志韓国伝統芸術院による韓国舞踊で、金一志さんの創作舞踊と学院生による群舞で幕を開けました。第2部は、京都府立大学名誉教授の井口和起さんが「韓国『併合』100年を検証する」と題して講演。井口氏は、明治時代の「征韓論」から、いま日本で起きている沖縄・安保などの問題まで、16ページのレジメを準備し、1時間半にわたって熱弁しました。

 開会挨拶を大橋満(主催者代表・日朝協会代表理事)、閉会挨拶を望田幸男(非核の政府を求める京都の会常任世話人代表)が行いました。
 参加者からは「貴重な舞踊と講演でした。身近な人から青年たちとも一緒に学び考えたい」「明治時代の朝鮮観にさかのぼった話が聞けて、これまでの歴史の見方がすっきりしてよかった」「戦後65年を経てなお朝鮮半島が日本の生命線とする思想が脈々と生きていることに唖然とする思いですが、私たちの課題ですね」などの感想が寄せられました。
 終了後の懇親会にも雨の中24人が参加し、盛り上がりました。(福谷忠行)
http://www.kyoto-minpo.net/archives/2010/12/20/post_7445.php

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2010/11/22/post_7380.php

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2010/10/04/100_34.php

2010年11月22日 10:30

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