「大逆事件百年後の意味」を問う院内集会 (1/24)
ニューズレター第23号『大逆事件100年』特集を参照
http://kakaue.web.fc2.com/NL/n23.pdf
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昨二十四日は、新宿区富久町の東京監獄で、幸徳秋水など大逆事件に連座した十一人が絞首刑にされた日から百年目だった。が、最後の管野須賀子の処刑は、二十五日朝に引き延ばされた。一日では処理できなかったからである。
「百年後の意味」を考える集会が、参議院議員会館で聞かれた。福島瑞穂さんが司会して、「大逆事件の真実をあきらかにする会」の大岩川嫩(ふたばこ)さんと私がまず少し話し、ジャーナリストの早野透さん、弁護士の安田好弘さん、作家の中森明夫さんなどが発言をした。
東京監獄跡の児童公園の片隅に、「刑死者慰霊塔」が建っている。木造アパートの窓の真下で、頭の上にメリヤスの股引などがぶら下がっている。坂本清馬などの大逆事件の再審請求を担当した森長英三郎さんと、日弁連が協力して四十七年前に建てられた。
この碑は、でっちあげで死刑にされた幸徳たちぱかりでなく、監獄で刑死した二百九十人すべての人たちの慰霊塔になっている。年に一回、町会の人たちが、慰霊祭を行っている。涙ぐましい、優しい行為だが、その町会の人たちも集会に参加して下さった。
大逆事件から百年たっても日本の検察は、当時と同じように、過剰な権力をもった横暴を繰り返している。戦後の民主化でも変わらなかったが、百年目からは変えなくては。
(ルポライター)かまた さとし 鎌田慧 東京Web 1/25
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幸徳秋水の志引き継ぐ 大逆事件刑死100年 墓前祭 高知・四万十市(しんぶん赤旗)
(写真)追悼の言葉をおくる田中実行委員長=24日、高知県四万十市
幸徳秋水(1871~1911)が「大逆事件」の首謀者として処刑されて100年にあたる24日、出身地の高知県四万十市で、「幸徳秋水刑死100周年記念事業実行委員会」が主催し、墓前祭が行われ、大勢の市民らが参列しました。
四万十市は、田中全市長を実行委員長に官民12団体が実行委員会をつくり、秋水の偉業を伝える啓発事業やシンポジウムなどを、今年1年間を通じて行っています。
田中実行委員長は「秋水先生は日露戦争にも勇気をもって非戦論を唱え、非戦・平和、自由平等の思想の広がりを恐れた明治政府によってつくられた大逆事件の犠牲になりました。先生の志を引き継ぎ自由・平等・博愛の世界実現に取り組んでいきます」と追悼のあいさつをしました。
遺族や市民、大逆事件の研究者らとともに、日本共産党を代表して岡本かずや党幡多地区副委員長が献花しました。
日本共産党の志位和夫委員長がメッセージ(別項)を寄せました。
自由民権記念館友の会の窪田充治会長(79)は「100年前に戦争の本質を見抜き非戦論を唱えた秋水の思想は現代にも生きるものです」と話していました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-01-25/2011012503_02_1.html
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【写真】幸徳秋水の刑死100年をしのぶフォークソングを熱唱する参列者(四万十市中村山手通)(高知新聞)
1月24日に「大逆事件百年後の意味」を問う院内集会
週刊金曜日 1月19日(水)18時7分配信
100年前、天皇暗殺を企てたとして、社会主義者の幸徳秋水ら12人が死刑、12人が無期懲役になった事件があった。世に言う「大逆事件」である。
自白を強要する取り調べ、証人申請は全く認められず、大審院一審のみのスピード裁判。そして判決からわずか6日後の1911年1月24日に、幸徳秋水たち11人(1人は25日)が処刑された。
処刑の日からちょうど100年の今年1月24日、院内集会を開催し、冤罪、表現の自由、民主主義への弾圧などの大逆事件の現在に続く大きな問題点を共有し、「大逆事件百年後の意味」を共に考える集会が参議院議員会館内で開かれる。
開催概要は下記の通り。
日 時 : 1月24日(月)12:00~13:30
場 所 : 参議院議員会館B107会議室
講 演 : 鎌田 慧(ルポルタージュ作家)
大岩川嫩(「大逆事件の真実をあきらかにする会」世話人)
リレートーク :早野 透(桜美林大学教授・元朝日新聞記者)、安田 好弘(弁護士)、中森明夫(作家)ほか
メッセージ : むのたけじ(ジャーナリスト)ほか
■問い合わせ:福島みずほ事務所TEL03-6550-1111
今野東事務所TEL03-6550-0811 .
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110119-00000301-kinyobi-soci
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大逆事件百年後の意味 院内集会報告 【福島みずほ】
http://www.mizuhoto.org/news/2011/01/post-23.html
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大逆事件:秋水、刑死100年 出身地・四万十市で、きょう墓前祭 /高知
毎日新聞 1月24日(月)12時24分配信
◇再評価の動き
四万十市が輩出した社会主義思想家、幸徳秋水(1871~1911)が天皇暗殺を企てたとされる大逆事件の首謀者として処刑されてから、きょうで丸100年。地元でも長らくタブー視されてきたが、最近、功績を再評価する動きが行政や市民の間に広がっている。24日は墓前祭があり、県内外から大勢の関係者らが参列する。
秋水の再評価はまず民間から。郷土史家らが「幸徳秋水を顕彰する会」を00年3月に設立した。中村(現・四万十)市議会に、秋水の偉業をたたえる決議を採択するよう要請した。一旦は委員会段階で継続審査となったが、同会のメンバーが各議員を説得。同年12月に全会一致で採択された。これを機に、労働組合などが中心だった記念事業は一般の市民団体が加わるようになったという。
刑死100年の今年、約10件の顕彰行事を開く「幸徳秋水刑死百周年記念事業実行委員会」の委員長を務めるのは、田中全・四万十市長。官民一体となって、郷里の偉人の名誉回復に努める。
同委で中核を担う同会は、これまで秋水の研究会や講義開催などの活動を展開してきた。07年には小冊子「現代に生きる 幸徳秋水」を発行。小学生から読める内容にし、学校の副読本にするよう市教委に提案したが、採用は見送られた。
同会の北沢保会長(72)は「秋水が訴えた相互扶助、非戦論などは現代社会でも通じる。改憲論、それでいいのか。われわれは世の中の構造をもっと学ばねばならない」と力を込め、副読本について、難しい部分を編集し、市教委に再提案する計画だ。北沢会長は「外から来た人に『秋水? 知ってますよ』と住民が胸を張って話ができる町にしたい」と話す。
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商工会議所や商店振興会など12団体からなる同実行委は、秋水シンポジウム(5月29日)▽幸徳秋水特別展(9月)▽大逆事件サミット(9月24日)などの行事を予定。親しみやすいキャラクターを作り、観光用グッズの開発も控えている。
墓前祭は24日午後0時半から、四万十市中村山手通の正福寺墓地で。終了後、市役所で交流会。幸徳家の養子で秋水の兄、駒太郎のひ孫に当たる幸徳正夫さん(東京都)が講演する。参加費無料。【千脇康平】
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■ことば
◇幸徳秋水
中村町(現四万十市)出身。自由民権思想家、中江兆民に18歳の頃から師事。週刊「平民新聞」を創刊し、非戦論を貫いて日露戦争に反対する。渡米して無政府主義の影響を受け帰国。1910年、天皇暗殺計画の首謀者とみなされ逮捕された。暗殺未遂の大逆罪で起訴され翌11年1月24日、死刑執行。時の明治政府が仕組んだえん罪だったとの見方が今では大勢を占める。
1月24日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110124-00000140-mailo-l39
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【コラム】(TOKYO Web)
筆洗 2011年1月24日 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011012402000040.html
夕暮れが近づくと、東京都新宿区内の小さな児童公園には冬の日差しは届かない。子どもたちの歓声も聞こえない公園の片隅に、汚れたブロック塀に囲まれて一つの碑がある▼かつてこの地にあった東京監獄で刑死した受刑者を慰霊するために戦後、日弁連が建立した石碑だ。一九一一年、その監獄で大逆罪に問われた社会主義者の幸徳秋水らが絞首刑になってからきょう二十四日でちょうど百年になる▼明治天皇を爆弾で殺す謀議をしたとされる事件の真相は戦前、闇に包まれていた。刑死者の多くは、予審段階で検事が捏造(ねつぞう)した調書などを基に罪をでっち上げられた。その事実が知られるのは戦後になってからだ▼ 公判は非公開で、一人の証人尋問もなかった。大審院は一カ月足らずの審理で二十四人に死刑判決を下し、その翌日、天皇の恩赦で十二人が無期懲役に減刑されている。死刑執行は判決の日から六日後という異例のスピードだった▼韓国を併合し、遅れてきた帝国主義国家が、戦争に反対する社会主義者たちを一網打尽にしようとしたこの事件は、決して教科書の中の世界ではない。証拠の改ざんや冤罪(えんざい)の多発など最近の検察の不祥事を見てもそれは明らかだろう▼当時の新聞は政府の発表をうのみにして、何の疑問を差し挟むことなく、刑死者をむち打った。新聞も自らの過ちを問い直さなくてはならない。
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刑死から100年、幸徳しのぶ 大逆事件、故郷で墓前祭
大逆事件100年サミット
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