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2010年12月22日 (水)

「坂の上の雲」のまちづくり ドラマ第2部放映で再度脚光、愛媛・松山へ

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松山市は地元タクシー会社と連携して2011年4月1日から9月30日まで、パックプラン「松山観光語り部タクシー」を登場させる。松山観光に精通した専門の乗務員が、「坂の上の雲」のまち・松山を案内。タクシーに乗り込めば、物語を生んだ風土をあますことなく体感できる。
専門乗務員が案内「観光語り部タクシー」→こちら

「坂の上の雲」のまちづくり ドラマ第2部放映で再度脚光、愛媛・松山へ (1)へ
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<下>坂雲ブーム後に不安
観光の拠点施設として建てられた坂の上の雲ミュージアム(松山市一番町で)  壁一面にテレビドラマのポスターが並び、テラスには「坂の上の雲のまち」と書かれたのぼり。松山市大街道の松山城ロープウエー駅舎は、「坂の上の雲」一色だ。特設の「スペシャルドラマ館」では撮影風景の映像やドラマの短縮映像が流される。

 市が10年前から進めてきた「坂の上の雲」の街づくり。明治の松山などを舞台にした、司馬遼太郎のベストセラー小説の舞台であることを前面に打ち出し、2007年に30億円をかけた中核施設「坂の上の雲ミュージアム」がオープン。ロープウエー街の電線地中化や、道後温泉本館前の歩行者天国化などを進めた上で、職員自ら作成した観光プランを旅行会社などに売り込んできた。
 松山市内を訪れる観光客数は約500万人で推移。しかし、小説がテレビドラマ化されると急増し、昨年は525万人を記録した。しかし、市の担当者は正直な思いを吐露する。「ドラマの放映が終了する再来年以降はどうなるか」。

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 松山市が05年度に東京と札幌で、松山にゆかりのある場所や人物などについて知名度を調べたところ、「道後温泉」が圧倒的だった。市の担当者は「松山にとって道後温泉が集客の中心であることは間違いない」と認める。しかし、「坂雲」の盛り上がりとは裏腹に、昨年の道後温泉の宿泊者数は76万9000人で、平成に入ってから最低だった。
 市は「団体旅行から個人旅行へという観光スタイルの変化に対応しきれていない部分はある」と説明する。

 集客の中心施設・道後温泉本館(重文)の老朽化も、関係者の頭痛の種だ。築116年。土台のコンクリート劣化が進み、シロアリ被害も深刻という。所有・管理する市は02年に全面改修を決定。11年かけて工事を行う計画案もまとまったが、その後は事実上の放置状態で、20億円と試算される改修費に二の足を踏む。道後温泉旅館協同組合が抱く思いはもっと複雑だ。「坂雲ブームが去った後、温泉まで長期改修中という事態は考えるだけで恐ろしい」。

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 市が4年前に作成した観光振興計画。表紙には「いで湯と城と文学のまち」と従来のイメージが踊るが、この計画のポイントは「雰囲気づくり」。観光客にとって街で出会う市民のもてなしが大事と、市民の観光ボランティアガイド養成や、タクシー運転手の接客研修、大学生が観光計画を立てて修学旅行生を案内する旅行プランを県外の高校に提案するなどのソフト施策に力を入れているという。
 このほか、「食づくり」として、正岡子規が好んで食したというちらしずし「松山鮓(ずし)」を市内の飲食店で扱ってもらうよう働きかけるといった試みにも取り組んでいる。
 市の担当者は「口コミで広がる評判によって旅行先を選ぶ人が多い。小さな取り組みでも、街に良い印象を持ってもらえれば、将来の観光客誘致につながる」と語気を強める。
(この連載は原典子が担当しました)(2010年11月20日  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/feature/matuyama1290088731688_02/news/20101119-OYT8T01234.htm

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