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2010年12月

2010年12月29日 (水)

「明治はよかった」司馬史観再考の動き

 12月5日から放映されるNHKドラマ「坂の上の雲」第2部。いまや「国民的作家」と呼ばれる司馬遼太郎の人気小説が原作だ。
没後14年、歴史学者たちの間では「明治は明るい」とする司馬の歴史観を問い直す動きが広がっていることをご存じだろうか。
→こちら(2010.11.26  サンデー毎日)

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2010年12月22日 (水)

「坂の上の雲」のまちづくり ドラマ第2部放映で再度脚光、愛媛・松山へ

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松山市は地元タクシー会社と連携して2011年4月1日から9月30日まで、パックプラン「松山観光語り部タクシー」を登場させる。松山観光に精通した専門の乗務員が、「坂の上の雲」のまち・松山を案内。タクシーに乗り込めば、物語を生んだ風土をあますことなく体感できる。
専門乗務員が案内「観光語り部タクシー」→こちら

「坂の上の雲」のまちづくり ドラマ第2部放映で再度脚光、愛媛・松山へ (1)へ
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<下>坂雲ブーム後に不安
観光の拠点施設として建てられた坂の上の雲ミュージアム(松山市一番町で)  壁一面にテレビドラマのポスターが並び、テラスには「坂の上の雲のまち」と書かれたのぼり。松山市大街道の松山城ロープウエー駅舎は、「坂の上の雲」一色だ。特設の「スペシャルドラマ館」では撮影風景の映像やドラマの短縮映像が流される。

 市が10年前から進めてきた「坂の上の雲」の街づくり。明治の松山などを舞台にした、司馬遼太郎のベストセラー小説の舞台であることを前面に打ち出し、2007年に30億円をかけた中核施設「坂の上の雲ミュージアム」がオープン。ロープウエー街の電線地中化や、道後温泉本館前の歩行者天国化などを進めた上で、職員自ら作成した観光プランを旅行会社などに売り込んできた。
 松山市内を訪れる観光客数は約500万人で推移。しかし、小説がテレビドラマ化されると急増し、昨年は525万人を記録した。しかし、市の担当者は正直な思いを吐露する。「ドラマの放映が終了する再来年以降はどうなるか」。

    ■   □    
 松山市が05年度に東京と札幌で、松山にゆかりのある場所や人物などについて知名度を調べたところ、「道後温泉」が圧倒的だった。市の担当者は「松山にとって道後温泉が集客の中心であることは間違いない」と認める。しかし、「坂雲」の盛り上がりとは裏腹に、昨年の道後温泉の宿泊者数は76万9000人で、平成に入ってから最低だった。
 市は「団体旅行から個人旅行へという観光スタイルの変化に対応しきれていない部分はある」と説明する。

 集客の中心施設・道後温泉本館(重文)の老朽化も、関係者の頭痛の種だ。築116年。土台のコンクリート劣化が進み、シロアリ被害も深刻という。所有・管理する市は02年に全面改修を決定。11年かけて工事を行う計画案もまとまったが、その後は事実上の放置状態で、20億円と試算される改修費に二の足を踏む。道後温泉旅館協同組合が抱く思いはもっと複雑だ。「坂雲ブームが去った後、温泉まで長期改修中という事態は考えるだけで恐ろしい」。

    □   ■    
 市が4年前に作成した観光振興計画。表紙には「いで湯と城と文学のまち」と従来のイメージが踊るが、この計画のポイントは「雰囲気づくり」。観光客にとって街で出会う市民のもてなしが大事と、市民の観光ボランティアガイド養成や、タクシー運転手の接客研修、大学生が観光計画を立てて修学旅行生を案内する旅行プランを県外の高校に提案するなどのソフト施策に力を入れているという。
 このほか、「食づくり」として、正岡子規が好んで食したというちらしずし「松山鮓(ずし)」を市内の飲食店で扱ってもらうよう働きかけるといった試みにも取り組んでいる。
 市の担当者は「口コミで広がる評判によって旅行先を選ぶ人が多い。小さな取り組みでも、街に良い印象を持ってもらえれば、将来の観光客誘致につながる」と語気を強める。
(この連載は原典子が担当しました)(2010年11月20日  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/feature/matuyama1290088731688_02/news/20101119-OYT8T01234.htm

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2010年12月21日 (火)

「坂の上の雲」は天皇制下の朝鮮観で書かれている:京都民報Web

「坂の上の雲」は天皇制下の朝鮮観で書かれている 2010年12月20日 14:07  京都民報Web

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 「NHKドラマ『坂の上の雲』の歴史認識を問う」の緊急講演会が17日、京都市中京区で行われました。京都革新懇・北上革新懇どの主催で約80人が参加しました。
 主催者の京都革新懇代表世話人森川明弁護士は「次世代に平和で民主的な社会を引き継がなければならない。その為にも本日は『坂の上の雲』の裏の部分の歴史を正しく学んでいただきたい」と述べました。

 講師の奈良女子大名誉教授の中塚明氏は、「坂の上の雲」は「明治の日本」を無垢でいじらしく「少年の国」として、「日露戦争は祖国防衛戦争」「フェアで真っ直ぐな戦争」と描いていると指摘。「日清戦争、日露戦争って、どんな戦争だったのか?」として、二つの戦争の「宣戦の詔勅」によると、「朝鮮独立のため」「韓国の保全=日本の国利のため」とあり、結局、この大戦は「朝鮮を日本が独占的に支配する戦争」であったと述べました。そして、「司馬が朝鮮のことを書く『手法』」は「朝鮮が衰亡した原因は自主的に自国を変える力がまったくない国」として、「当時の日本の公言できない蛮行と朝鮮の民族的動き」について「ここをしっかりつかみたい」と述べました。

 また、「1894年7月朝鮮王宮占領」「1894年秋からの東学農民軍主力の大民族闘争」等々、1910年朝鮮併合に至る歴史を詳しく解説し、司馬は天皇制下の日本の「朝鮮の見方」から一歩も出ていないと批判。「司馬は朝鮮のことはほとんど具体的に書いていない。ここに『坂の上の雲』の最大の問題点がある。NHKも朝鮮の事を何ら調べていない」と指摘。最後に、「我々自身も、『明治栄光論』『平和主義者とする伊藤博文論』などの弱点をどう克服していくかが重要」と結びました。(越智薫史)
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戦争に反対した夏目漱石
 京都北・上革新懇は20日、西陣の町家「古武」(京都市上京区)で、『夏目漱石と戦争』を上梓した日本近代文学研究者の水川隆夫氏を迎えた講演会を開き、60人が参加しました。

 水川氏は、漱石が生涯で3度の対外戦争に遭遇し、それらの戦争をどのように見て、どのように考え、どのように語ったかという言説を、作品や伝記的事実を通じて紹介。戦争協力や徴兵制を逃れるため、戸籍を変えたりした弱さや漱石が生きた時代的制約もある中で、作品を通じ戦争を批判的にとらえるようになった変遷について事例をあげて話しました。
 参加者からは「夏目漱石が生きた時代で、戦争を批判していたことを知り漱石を見直しました」「もっと漱石のことを学びたい」などの声が寄せられました。

 同革新懇では、世界に誇る憲法、戦争放棄をかかげた9条をもつ日本に誇りを持ち、機会あるごとに、平和・民主主義・生活向上を望む多くの人々との共同と対話を広げ、革新懇運動を前進、発展させていきたい、としています。(太田建造)

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2010年10月 4日 17:58 韓国「併合」100年を考える
 韓国「併合」100年を考える府市民のつどい(韓国「併合」100年を考える会主催)が3日、京都市下京区のひと・まち交流館で開かれ、約160人が参加しました。
 第1部は、金一志韓国伝統芸術院による韓国舞踊で、金一志さんの創作舞踊と学院生による群舞で幕を開けました。第2部は、京都府立大学名誉教授の井口和起さんが「韓国『併合』100年を検証する」と題して講演。井口氏は、明治時代の「征韓論」から、いま日本で起きている沖縄・安保などの問題まで、16ページのレジメを準備し、1時間半にわたって熱弁しました。

 開会挨拶を大橋満(主催者代表・日朝協会代表理事)、閉会挨拶を望田幸男(非核の政府を求める京都の会常任世話人代表)が行いました。
 参加者からは「貴重な舞踊と講演でした。身近な人から青年たちとも一緒に学び考えたい」「明治時代の朝鮮観にさかのぼった話が聞けて、これまでの歴史の見方がすっきりしてよかった」「戦後65年を経てなお朝鮮半島が日本の生命線とする思想が脈々と生きていることに唖然とする思いですが、私たちの課題ですね」などの感想が寄せられました。
 終了後の懇親会にも雨の中24人が参加し、盛り上がりました。(福谷忠行)
http://www.kyoto-minpo.net/archives/2010/12/20/post_7445.php

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2010/11/22/post_7380.php

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2010/10/04/100_34.php

2010年11月22日 10:30

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2010年12月18日 (土)

丸山真男と司馬遼太郎の親和性 ~『坂の上の雲』をめぐって:酔流亭日乗

前回日記で紹介した『『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う 日清戦争の虚構と真実』(中塚明・安川寿之輔・醍醐聡 高文研)がユニークなのは、司馬史観の背景には丸山真男の影響があることを指摘した点である。

東大出版会から出ている丸山の『講義録』と文春文庫の司馬の『この国のかたち』とを通読して、この両者の問題意識に意外と親和性があると感じた記憶は酔流亭にもある。かつて三島由紀夫が丸山を「荻生徂徠気取り」と罵倒する一方で司馬を「よく勉強している」と持ち上げたエピソードなんか聞かされているから、この両者を対極にあるものと我々はつい思い込みがちだけれど、鎌倉新仏教の評価にせよ武士のエートスへの共感にせよ、あんがい似たようなことを二人は言って(書いて)いるのだ。→全部よむ

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「龍馬伝」と「坂の上の雲」を問う 阿部悦子の日々便り

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動画をアップロードしました。:全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」

全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」No1

全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」No2

全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」No3

全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」No4

全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」No5

全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」No6

全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」No7
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報告/討論:「松山から『坂の上の雲』を問う」8
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youtube版

「松山から『坂の上の雲』を問う」1
「松山から『坂の上の雲』を問う」2

「松山から『坂の上の雲』を問う」3
「松山から『坂の上の雲』を問う」4

「松山から『坂の上の雲』を問う」5
「松山から『坂の上の雲』を問う」6
「松山から『坂の上の雲』を問う」7

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2010年12月16日 (木)

大逆事件一〇〇年にあたって 中島 晃(京都 弁護士)

自由法曹団通信 第1358/10/1より

 今年(二〇一〇年)は、大逆事件から一〇〇年を迎える。大逆事件は、明治天皇の暗殺を企てたとして、多くの社会主義者等に対する逮捕、取り調べ、家宅捜索等が行われ、根絶しにする弾圧を政府が主導し、捏造したとされる事件である。
 この事件は、いまから一〇〇年前の一九一〇(明治四三)年五月に、長野県松本署に宮下太吉が爆裂弾製造の容疑で逮捕されたのを発端として、全国各地で次々と社会主義者、無政府主義者が検挙された。その一方で、同年八月、明治政府は韓国併合を強行し、朝鮮半島を完全に日本の植民地として支配することに踏み切った。

 大逆事件と韓国併合が同じ年におこったことは決して理由のないことではない。 続きを読む
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ぶどうの木の下の平和を──司馬遼太郎『坂の上の雲』の危うさ

「司馬遼太郎の『坂の上の 雲』見られる日本優越史観を問う」
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澤田ふじ子: 惜別の海

『惜別の海』 読了

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2010年12月13日 (月)

ニューズレター第22号を発行しました。

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ニューズレター第22号を発行しました。https://app.box.com/shared/xz3usuxd4x

Pdf_icon_311  PDFダウンロード

 

 

  目次  特集:  松山から「坂の上の雲」を問う
1頁:  レポート:全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」
  『明るくない明治こそが「暗い昭和」につながった
   -「坂の上の雲」と福沢諭吉-』安川 寿之輔さん
2頁:  投稿:目からうろこの「福沢諭吉論」を喝破された安川先生
  『日本は朝鮮の独立のために日清戦争を戦ったのか
   -伊藤博文はよりましな帝国主義者だったか-』醍醐 聰さん
3頁: 『日露戦争は祖国防衛戦争だったか-歴史研究者の立場から-』井口 和起さん
4頁:  『司馬は明治日本像をどうやってつくったかーその「からくり」』 高井 弘之さん
5頁:  「坂の上の雲のまちづくり」報告 松山市議会議員 武井多佳子さん
   パネルディスカッション

6頁:  意見交換会・質疑応答(パネリストを囲んで)
7頁: 「坂の上の雲」第2部・第1回を見て
     歴史の文脈を無視した「歴史ドラマ」梅田 正己
8頁:「坂の上の雲」第2部放映開始にあたりNHKに質問書を提出しました。
9頁: NHK大阪放送局と懇談(NHK問題・近畿3市民団体)

10頁: 次期NHK会長選出に当たっての要望書を提出しました。
   「放送を語る会」は2010年7月の参院選挙報道をモニターし
     報告と提言をまとめました。

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2010年12月 9日 (木)

「韓国併合100年」から学び 東アジアのこれからの100年を考える集い

○と き 2010年12月12日(日) 13:30~16:30
○ところ ウィルあいち:市政資料館前、県庁裏
     Phone:052-962-2511
地図: http://www.will.pref.aichi.jp/shisetsu/main01_v.html
○講 演 「韓国強制併合・大逆事件」100年と
    NHK[坂の上の雲]
    -日本の近代史を見直そう-
    講師:安川寿之輔名古屋大学名誉教授
今年は、「韓国併合100年」の年です。100年前は、
日本がアジアに侵略の牙をむけていった時代です。その
後、アジアは長期に戦争にみまわれ、多くの被害を出し
ました。 100年後の今は、どうでしょうか。世界に
は戦争が絶えませんが、多くの人々の努力で、多国間の
相互理解と平和のうねりが広がっているではありません
か。今回、アジアの平和と真の国際理解を目ざして、決
して戦争を起こさないという決意を新たにしていくため
に、集まりを企画しました。たくさんの方々のご参加を
期待しています。
<内容>
○あいさつ
○強制併合当時の映像上映(予定)
○講演
○提案-参加団体より
※会場では、写真展が行われています。ご覧ください。
 参加協力費 500円
主催:12/12集会を成功させる実行委員会
[構成団体]
「韓国併合100年」東海行動実行委員会
朝鮮半島出身者遺骨調査会
名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会
愛知県教職員労働組合協議会
〔連絡先〕愛知県教職員労働組合協議会(愛教労)
   〒460-0011 名古屋市中区大須4丁目14-57
       Phone:052-242-4474

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日韓弁護士会共同シンポジウム「戦争と植民地支配下における被害者の救済に向けて~韓国併合100年を機に過去・現在・未来を語る~」

http://www.nichibenren.or.jp/ja/event/101211_3.html
韓国併合から100年を経た今、過去の歴史的事実の認識の共有に向けた努力を通じて、日韓両国・両国民の相互理解と相互信頼が深まることが、未来に向けて良好な日韓関係を築くための礎であると考えます。   今回のシンポジウムでは、大韓弁協と日弁連の弁護士らがこの問題の解決の方向性と実現するための方策について検討します。    
PDF チラシ(PDF形式・158kB)                     

日時     2010年12月11日(土)10:00~16:00(開場9:30)
場所     東京国際交流館「プラザ平成」3階国際交流会議場
(東京都江東区青海2-2-1 新交通ゆりかもめ「船の科学館」東口徒歩約3分)(→会場地図)
参加費等     参加費無料・申込不要・同時通訳付
内容(予定)    

    * 【第1部】 基調報告
      日本弁護士連合会
      大韓弁護士協会
        【第2部】 パネルディスカッション
      テーマ1 日本軍「慰安婦」問題
      テーマ2 強制連行・強制労働問題について
      テーマ3 その他の未解決な課題について
      〔パネリスト〕
      日本側弁護士・韓国側弁護士・政治家・学者
主催     日本弁護士連合会 大韓辯護士協會
問合せ先     日本弁護士連合会  人権部人権第一課
TEL:03-3580-9815/FAX:03-3580-2896

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2010年12月 7日 (火)

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第2部・第1回を見て 梅田 正己

歴史の文脈を無視した「歴史ドラマ」
    梅田 正己(書籍編集者。著書『これだけは知っておきたい近代日本の戦争』他)

  さる12月5日放送の「坂の上の雲」第2部第1回を見ました。
二つほど、大きく引っかかった点があります。
一つは、伊藤博文の描き方、いま一つが義和団戦争の扱いです。

  伊藤は昨年の第1部を受けて、やはり非戦(避戦)平和主義者でした。
しかも、昨年は受身の軟弱な(?)平和主義者でしたが、今回は自らロシアへ出向いて日露協商条約の締結を画策する、アクティヴな「行動する平和主義者」です。
 このような伊藤に焦点を当てることによって、ドラマは「明治日本の平和主義」を強調したわけです。
しかし、今の私にはこの問題に踏み込む用意はありませんので、もう一つの問題、19世紀末の義和団戦争について述べることにします。

  義和団についての説明の中で、「拳匪」という文字が画面に写されました。
「拳」の字は、義和団がもともと武術結社が集まって生まれたことから用いられたのですが、「匪」はもちろん「匪賊」を意味します。「拳匪」とは、義和団に敵対する勢力が、義和団をさげすんで使った呼称です。
 当時の日本では、そのように言ったのでしょう。しかし100年がたった現在、当時使っていたからといって、差別語を何の説明もなく無造作に使っていいものでしょうか。

 義和団の運動は、1898年、山東省でのドイツの侵略に対する反発から始まり、翌99年から1900年にかけ、北京、天津を含む華北一帯に燃え広がりました。
スローガンは「扶清滅洋」――清国を扶(たす)け、西洋を滅ぼす、です。義和団運動はつまり、反帝国主義民族闘争でした。

  これに対し、列強8ヵ国はその鎮圧のため出兵します。独、英、米、仏、露、伊、オーストリア、それに日本の連合軍です。
帝国主義国連合軍は総勢7万、うち2万2千を日本軍が占めていました。
清国の首都・北京に乱入した連合軍は、ドラマにもあったように、破壊と略奪の限りを尽くしました。
  さらに戦後、連合軍に占領された北京で、清国は北京議定書により、連合国に対し、何十年かかかっても払えないような天文学的な賠償金を課されることになります。
あわせて北京、天津地区での外国軍の駐兵権を認めさせられました。
こうして中国は、以後半世紀にわたり、半植民地状態に置かれることになります。

 この義和団戦争は、日本では今でも「北清事変」と呼ばれ、何となく影の薄い存在ですが、実は東北アジア近代史の上で重要な画期となった事件でした。
そしてその直接のきっかけをつくったのが、日本だったのです。

 日清戦争で清国に勝利した日本は、下関条約で台湾を取得するとともに、賠償金2億両を手に入れます。当時の日本の国家予算の約4倍、莫大な賠償金です。
このような大金は、清国の金庫にはありません。では、どうしたか。
清国は、欧米列強から借りたのです。もちろん、「担保・抵当」を入れてのことです。

 以後、1895年から99年にかけ、帝国主義諸国による侵食がいっせいに始まります。重要な土地・港湾の半永久の租借、鉄道の敷設を軸とする利権の争奪戦です。
新興国・日本に敗れたことから、「眠れる獅子」が容易に目覚めないことを知った列強は、遠慮会釈なしに中国に襲いかかったのです。

 こうした帝国主義諸国の侵食・侵略に対して中国民衆が立ち上がったのが、義和団戦争でした。
以上のような「歴史の文脈」を押さえていれば、民衆の抵抗を「拳匪」の二文字で片付けることは出来なかったはずです。
まして、北京に乗り込んだ騎兵隊の隊長・秋山好古の「ヒューマニズム」の見せ場として気軽に使うことなど。

  ところで、今回のドラマの中に、英国で再会した秋山真之と広瀬武夫が、英国海軍士官の晩餐会(?)に招かれる場面がありました。
そこで、英国士官が、日本はせいぜい生糸を輸出して金を稼ぎ、英国製軍艦を買ってくれ、と冗談めかして言ったのに対し、真之が憤然としてこう言い返します。
――生糸を売った金じゃない。日本国民が爪に火をともすようにして貯めた金で買う軍艦なのだ。

 しかし、これは事実に反しています。
日清戦後の日本政府が軍拡のために増税に取りかかったのは確かですが、しかしこのとき英国に支払った資金の出所は国税ではありません。
先に日本は清国から2億両の賠償金を得たと書きましたが、その賠償金を日本は3800万ポンドの英貨で受け取り、その半分近い1750万ポンドを投入して、戦艦6隻を含む軍艦を英国で建造したのです。

 早くも第1回にして「歴史の文脈」を無視したドラマづくり、今後の展開が危ぶまれます。(了)
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梅田 正己氏の著作『これだけは知っておきたい近代日本の戦争』でさらに詳しく言及されていますのでご覧ください。→こちら
立ち読みコーナー

参考:書評(世に倦む日々)
高文研 『日本・中国・韓国共同研究-未来をひらく歴史』(1)(2)(3)
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日中韓3国共通歴史教材委員会『未来をひらく歴史』

[梅田正己世相論評]

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2010年12月 4日 (土)

歴史小説・歴史ドラマは史実からどこまで離れられるのか? 醍醐聰のブログ

楽しめればよいといって番組制作者は史実を切り張りしてよいのか?→こちら
歴史小説・歴史ドラマは史実からどこまで離れられるのか(2)→こちら
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「坂の上の雲」第2部が始まるという~ものものしい番宣: 内野光子のブログ→こちら

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2010年12月 2日 (木)

ブログ 新潟教育より

 27日(土)、新潟市で「NHKドラマ『坂の上の雲』は真実を語っているか 『日本近現代史』を学ぶ」というテーマで、明治大学の近現代史専攻の山田朗教授(歴教協委員長)が講演を行いました。→全部読む

ブログ 新潟教育より

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