レポート:全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」
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11月27日(土)1時~3時、佐倉市志津コミュニティーセンターにおいて開催された。佐倉市国際文化大学の一年締めくくりの最終講義で、毎年公開となるらしい。参加者は国際文化大学の生徒が大半だけに、リタイア世代の男性が圧倒的に多い。→ぜんぶよむ
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NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第2部放映開始にあたり
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティはNHK福地会長ほか3名宛に下記のような2項目の質問書を提出しました。
1つは、番組制作にあたって朝鮮半島でロケを行った形跡がないが事実はどうか、行わなかったとしたら、それはどのような事情によるのかという質問です。
もうひとつは、昨年放送された第4回目の番組のなかで、従軍中の森鷗外が戦地で出会った正岡子規に向かって語った、「戦争の本質から目をそらして、やたらと戦意をあおるだけの新聞は罪深い。正岡君が書く従軍記事なら、写実でなくては困るよ」という発言はどのような史実に基づいているのかという質問です。
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NHK会長 福地茂雄様 2010年11月21日
NHK放送総局長 日向英実様
「坂の上の雲」エグゼクティブ・プロデュ-サ- 西村与志木様
「坂の上の雲」の番組制作に関する質問書
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
共同代表 湯山哲守・醍醐 聰
皆様におかれましては日頃より優れた番組づくりのためにご尽力いただき、お礼を申し上げます。
まもなくドラマ「坂の上の雲」(以下、「ドラマ」と略します)の第2部が始まりますが、これまでに番組を視聴したり、関連資料を調べたりしている中で、ぜひ、お尋ねしたいことが2点、出てきましたので、この機会に書面で質問をさせていただきます。ご多用のこととは存じますが、このドラマを理解する上で重要な問題と考えていますので、書面でわかりやすくご回答くださるようお願いいたします。
ご回答は12月6日(金)までに書面にて、後掲宛までお送りくださるよう、お願いいたします。
〔質問1〕NHKはドラマの制作にあたって日本各地はもとより、モンゴル、中国、ロシアなどでもロケを行ったと公表されていますが、私たちが見る限りでは原作が扱った日清・日露戦争の主な舞台(戦場)である朝鮮半島でロケをされた形跡がありません。実際はどうだったのでしょうか?
(1)朝鮮半島でもロケをされたのでしたら、それはどのあたりでしょうか?
(2)朝鮮半島ではロケはされなかったのであれば、それは当初から計画されなかったのでしょうか? それとも計画はされたものの実現に至らなかったのでしょうか? 前者、後者いずれであれ、その理由を添えてお答え下さい。
〔質問2〕昨年放送された第1部の第4回「日清開戦」の中で、従軍記者として朝鮮半島に出掛けた正岡子規と軍医・森林太郎(鷗外)が金州の森の宿舎で出会い、語り合う場面がありました。その中で、鷗外は子規に向かって、「戦争の本質から目をそらして、やたらと戦意をあおるだけの新聞は罪深い。正岡君が書く従軍記事なら、写実でなくては困るよ」と語りかけました。
しかし、こうした会話は原作にはなく、鷗外、子規それぞれが書き残した従軍日記や2人の従軍体験を調査・研究した文献を調べても、1895(明治28)年に2人が金州で2度会ったことは確認できますが、鷗外が上記のような発言をしたことを裏付ける記録は見当たりません(後掲参考をご覧ください)。
ドラマの中で鷗外の上記のような発言を挿入されたのは、どのような事実なり記録に依拠したものなのか、お教え下さい。 以上
〔参考〕
鴎外の「徂征日記」を読みますと、鷗外と子規が1895(明治28)年5月4日と5月10日に会っていることは確認できます。しかし、その日記には「子規来たり。俳諧の事を談ず」(4日)、「子規来たり」(10日)と記されているのみです。また、この時期のことを記した子規の「陣中日記」には鷗外と会ったこと自体が記されていません。
さらに、鷗外の従軍体験について詳細に考証した末延芳晴『森鷗外と日清・日露戦争』(2008年、平凡社、)では、次のように記されています。
「軍医部長として書きつづっていった『中路兵站軍医部別報』や『第2軍兵站軍医部別報』といった公式記録に比して、私的記録として書かれた『徂征日記』の記述は極めて短く、そっけないほど簡略である。また、その記述内容は、軍医としての公務をこなす鷗外の行動や、行軍の途中や駐留地で目にした朝鮮や満州・中国の自然風土、人々の暮らしぶりについての観察記録が主体であって、軍医部長として知り得たであろう戦闘がもたらす悲惨な結果についての具体的な記述はほとんどない。また戦争の本質について鷗外個人が抱いたであろう思念や感慨についても、まったく表出されていない。<以下、略>」(35~36ページ)
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醍醐聰のブログ
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次期NHK会長選出に当たっての要望書を提出しました
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昨年に続きNHKスペシヤルドラマ「坂の上の雲」第2部が、12月5日(日)から4回にわたって放送されます。
日露戦争の最大の“勝因”は何だったのか?最新の知見を活用して司馬遼太郎の『坂の上の雲』では描かれなかった、日露戦争を語る上で外せない重要なポイントを、軍事史研究の第一人者が最新の研究成果を盛り込んでやさしく解説しています。→●担当編集者より
日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉
山田 朗=著
●46判 192頁
●2010年11月15日発行
●本体価格1400円
●ISBN 978-4-87498-451-2
立ち読みコーナーから
「・・・日露戦争は〈成功〉の頂点、アジア太平洋戦争は〈失敗〉の最底辺、という具合に二項対立的に考えることはわかりやすいのですが、実は、近代日本の〈失敗〉の典型であるアジア太平洋戦争の種は、すべて日露戦争においてまかれているのです。私たちは、日露戦争が、一見すると〈成功〉の典型事例に見えるけれども、〈失敗〉の種がそこでまきつくされたということについてもう少し考えなければなりません。
まず、日露戦争に勝利することによって、日本陸海軍が軍部──つまり政治勢力として──政治の舞台に登場するようになりました。軍の立場は、日露戦争をへることで強められ、かつ一つの強固な官僚組織として確立します。
もう一つ、近代日本の大きな〈失敗〉の種がまかれたのは、日露戦争後、日本が韓国を併合してしまったことです。それまで韓国は、日本によって植民地化されつつあったものの独立国でした。
ちょうど今年(二〇一〇年)は「韓国併合」から一〇〇年という節目になりますが、この日露戦争をへることで、列強との間にある合意が形成されたことは意外に見落とされています。つまり日本の韓国支配を欧米列強が基本的に認めるかわりに、日本は欧米列強のアジア支配──当時、アジアのほとんどの地域は欧米列強の植民地だった──について認めるという取り引き外交がおこなわれたのです。
・・・ 日露戦争を日本陸海軍がどのように戦い、どのように教訓化したかが、後のアジア太平洋戦争での大きな〈失敗〉につながるのですが、本当は、日露戦争でも、陸軍・海軍ともに〈失敗〉に次ぐ〈失敗〉だったのです。しかし、ロシアの方がもっと〈失敗〉が多かったから、そして英米が全面的に日本を支援したために日本は「判定勝ち」を得ることができたのです。・・・」→全部読む
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毎日新聞 2010年11月14日 地方版
司馬遼太郎の小説で、NHKがドラマ化した「坂の上の雲」を考える全国シンポジウム「松山から『坂の上の雲』を問う」が13日、松山市文京町の愛媛大であった。学生らの実行委が韓国併合100年に合わせた学生祭行事として主催。歴史認識を疑う立場からの報告などがあり、約150人が聴いた。
歴史学者ら4人が報告。安川寿之輔・名古屋大名誉教授は「『明るい明治』『暗い昭和』という歴史観は(政治学者の)丸山眞男の誤った二項対立史観に基づく」と指摘。醍醐聡・東大名誉教授はドラマの日清開戦の描き方を「なぜ全面開戦に至ったかが伝えられておらず、歴史のつまみ食い」と述べた。
実行委の高井弘之さんは「植民地化された朝鮮の人たちを(描かず)排除した物語」と語り、井口和起・京都府立大名誉教授は「現在の大新聞、大放送の報道も見抜く力が必要」と訴えた。4人のパネル討論もあった。
実行委の学生代表、的場竜一さん(22)は「論点を具体的に示せたと思う」。聴講した松山市道後樋又、団体職員、大嶋慶太さん(30)は「今後の国際友好を考える上でも参考になる内容だった」と話していた。【中村敦茂】
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「坂雲」の問題点議論:愛媛大でシンポ 暗部無視の指摘も
愛媛新聞 11/14
松山市出身の軍人秋山好古、真之兄弟と俳人正岡子規を主人公とした故司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」と、作品を原作としたNHKドラマを考えるシンポジウムが、同市文京町の愛緩大で13日あり、近代史研究者ら4人が、作品には描写されていない侵略戦争などの暗い側面が明治時代にはあるなどと問題提起した。
平和学を学ぶ学生やえひめ教科書裁判を支える会などの実行委主催。
東アジア近代史学会の井口和起会長は、朝鮮併合や日露戦争開戦は日本の自立のためやむをえなかったとの考え方を誤リと強調。「開戦前国民は国難と考えておらず、マスコミの世論誘導や日露戦争25周年以降の回顧プームで(国難の)イメージがつくられた。開戦前後を分けて考えないと、太平洋戦争も正当化してしまう」と述べた。
安川寿之輔名古屋大名誉教授は、作品では明るい明治を描くため「閔妃殺害事件などを無視した」とし、醍醐聡東京大名誉教授は、ドラマでは日本に不利な重要事件に触れていないなどと指摘。
「支える会」メンバーらは、こうした小説を活用した松山市のまちづくリを批判した。 質疑応答では、学生から「小説から生きる希望を見いだすこともある。歴史として正否の批評は有効か」などの問いもあった。パネリストは「独りよがりな視点から得た勇気や示唆は危険ではないか」などと答えていた。 (森田康裕)──────────────────────────────────────
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東京シンポジウム「韓国強制併合100年、韓日歴史認識の違い」
日時:11月13日(土)13時~18時
会場:在日本韓国YMCA スペースワイホール
参加費:1,000円(資料館会員800円、学生500円、資料代含む)
プログラム
13:00~ あいさつ(鄭進・在日韓人歴史資料館理事長)
13:10~ 映像上映「映像で見る在日コリアン史」
13:30~ 主題講演
13:30~14:10 「古代日韓関係史にみる植民地史観とその克服」李成市(早稲田大学文学学術院教授)
14:10~14:50 「司馬遼太郎史観批判-坂の下はどしゃぶりだった」姜徳相(在日韓人歴史資料館館長)
14:50~15:00 休憩
15:00~15:50 「韓国併合強制条約、何が問題だったか?」李泰鎭(韓国・国史編纂委員会委員長)
15:50~16:30 「植民地下朝鮮における徴兵制度」宮田節子(学習院大学東洋文化研究所客員研究員)
16:30~16:50 休憩
16:50~17:50 総合討論 司会:愼蒼宇(都留文科大学講師)
17:50 閉会
http://www.j-koreans.org/etc/picup.html
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在日韓国・朝鮮人 写真展
ことしで韓国併合から100年になるのに合わせて、在日韓国・朝鮮人の歴史を振り返ろうという写真展が神戸市で開かれています。写真展は、在日韓国・朝鮮人の歴史や文化を広く知ってもらいたいと、兵庫や大阪に住むおよそ30世帯から寄せられた写真や生活道具などおよそ150点が展示されています。
このうち、昭和10年ごろに撮影された結婚式を記念した家族写真には朝鮮半島では使われない畳の部屋で民族衣装を着た姿が写され、故郷を離れても自分たちの文化を大切にしようという気持ちをうかがい知ることができます。
また、第2次世界大戦中に出征する親せきを送り出す写真や「神風」のはちまきを巻いた女子学生の写真、それに、戦後の北朝鮮への帰国事業で北朝鮮に渡る親族や友人を新潟港で見送るときの写真などが展示され、歴史の中でほんろうされてきた在日韓国・朝鮮人の生活を振り返ることができます。
写真展を企画した在日二世のキム・シニョンさん(57)は、「日本人とともに生きてきた在日の歴史を写真などを通して理解してもらいたい」と話していました。
写真展は入場無料で、今月14日まで新長田勤労市民センターで開かれています。
11月09日 18時29分 NHK
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NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ「ニューズレター第21号」の3~5ページに「週刊金曜日」の安川寿之輔氏インタビュー「虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ」(HTML版はこちら)とそれについての「論争」について掲載しましたが追加記事を転載します。
”やはり「福沢諭吉はアジア侵略の先導者であり差別蔑視者であった」(安川寿之輔)”→こちら
これは2010.9.17(815号)の渡井啓之氏の疑問「福澤論吉はアジア侵略の先導者であり差別蔑視者であったのか」に対する回答になっています。
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明治学院大学 国際平和研究所・キリスト教研究所 共催
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/katsudo/sympo/sympo2010.11.htm
韓国併合100年にあたって発表された「首相談話」の評価は賛否両論、改めて日本の過去の清算が不十分であることが露呈されました。
戦後65年を経た現在、日本と韓国・中国をはじめとしたアジア諸国との間で、十分な和解がなされているかは不明瞭です。
これまでも政治や経済、また文化交流や市民活動のレベルで、「戦争責任」を果たすための活発な取り組みが行われてきましたが、なかなか進展していないのが現状です。
明治学院大学国際平和研究所は、東アジア諸国と和解するためには、日本が過去の戦争に向きあうことが必要だと考え、東アジアの戦後を考えるシンポジウムを開催いたします。
当シンポジウムでは、「日本がこれほどまでにあの戦争を直視できないのはなぜなのか?」「どうしたら『和解』の実現が可能になるのか?」という本質的な問いにまでさかのぼります。
さらに、戦争は「過去」の話ではなく、「現在」もその苦難が続いている点に注目し、戦前生まれのクリスチャンおよび精神医学者と、戦後世
代の若手研究者が議論してゆきます。ぜひご参加ください。
●日時 : 2010年11月14日(日) 13:00~18:00 (受付 12:30~)
●会場 : 明治学院大学 白金キャンパス 2号館2102教室 (東京メトロ「白金台駅」徒歩7分)
会場へのアクセス:
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/index.html
※お車でのお越しはご遠慮ください。
●内容 :
第1部(13:15~14:45):加害者はなぜ被害者を見いだせないのか?
野田正彰(精神医学者・関西学院大学教授)
コメント:鄭 栄桓(PRIME所員)
司会:石田隆至(PRIME研究員)
休憩(15分)
第2部(15:00~16:30):クリスチャンとして平和活動に取り組んで
中山弘正(明治学院大学元学院長、PRIME客員所員・キリスト教研究所名誉所員)
コメント:猪瀬浩平(PRIME主任)
司会:渡辺祐子(PRIME所員・キリスト教研究所主任)
休憩(10分)
第3部 パネルディスカッション・質疑応答(16:40~17:40)
野田正彰・中山弘正・鄭 栄桓・猪瀬浩平
司会:高原孝生(PRIME所員)
総括:竹尾茂樹(PRIME所長)
*資料準備のため、事前にお申し込みいただけると幸いです。 (※当日参加可)
(その際、メールでの連絡を御優先下さい)
prime@prime.meijigakuin.ac.jp
件名に「国際シンポ申込み」とご記入の上、お名前・ふりがな、ご所属、連絡先をお伝え下さい。
++++++++++++++++++++++++++++++
明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
〒108‐8636 東京都港区白金台1-2-37
Tel:03(5421)5652/Fax:03(5421)5653
E-mail: prime@prime.meijigakuin.ac.jp
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『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワークHPへ
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